第261話 風呂は命の洗濯


 公爵邸の警備は来た時とはうって変わって厳重になっていた。

 目的を果たし、公爵邸を後にする。それでよしとしよう。

 あの赤いフードの連中とはもう二度と会いたくない。


「宗教にあそこまでのめり込むのはなんででしょうね。分かりませんわ」

「私が言うのもなんですが、答えを欲しがる人はたくさんいるんですよ。そしてその答えを与えるのが宗教なので。でも殆どの人はそれで安らぎを得て日々を生きていくのですけど」

「自分から身を捧げるのは、ちょっとやりすぎよ」


 エルザとアレクシアが話をしているのが聞こえた。

 宗教か。今は金より崇める物はない。


 長時間緊張していたからかひどく疲れた。

 実際に身体を張ったアズ達はもっと疲れている事だろう。


 熱い湯を張った湯船に浸かりたい。

 最初は観光も考えていたが、とてもそんな気にはなれない。


 しばらく歩き、馬車の停留所を見つけたのでそこで馬車を待ち、到着次第乗り込む。


「ふぅ」


 ようやく腰を落ち着けられる。

 対面にはアズが座っているが、うつらうつらと舟を漕いでいた。

 やがて隣に座るエルザの肩に体重を預けて寝てしまった。


「あらら。疲れたのね」


 エルザはそう言って微笑む。

 使徒の力はとても燃費が悪く、盛大に使うとこうなってしまう。


 身体には異変はないとエルザからは聞いているが、少し心配になる。


 都市の中心街に辿り着く。馬車に料金を支払って降りた。

 アズは一応起きたが、少しふわふわしている。


 銀行に立ち寄り、耐魔のオーブを売って得た金貨を預ける。

 代わりに割符を貰ったので、無くさないように厳重にしまう。

 街並みは相変わらず派手だ。


 アルサームは煌びやかな場所だが、今はその輝きが鬱陶しい。

 確保した宿に向かってもいいのだが、風呂はなかったはずだ。


 どうしたものかと思っていると、風呂の看板が見える。

 看板の指示に従って移動すると、少し小さな風呂屋があった。

 表通りではなく、奥の人気のない場所に店を構えているようだ。


「入っていこう」


 そう提案すると、女性陣も頷く。

 風呂が嫌いなやつはそうはいない。


 銀貨を支払って入場する。風呂用のタオルなど一式を渡される。

 奥に入り、男湯と女湯に分かれる通路で寝惚けたアズが服を脱ごうとした。

 慌ててその手を止める。


 周りに人がいなくてよかった。


 アレクシアとエルザにアズを預けて、男湯へ向かう。

 脱衣所で服を脱ぐ。

 片眼鏡を取り外して眺めると、少し汚れが目立つ。戻ったら磨いておかねば。


 男湯に入ると、思ったよりやや狭い。

 先客は一人だけだ。


 贅沢はいうまい。

 今は熱い湯に浸かれば十分だ。


 身体を綺麗にしてゆっくりと湯船に浸かる。

 熱い。熱いが、しばらくすると身体が慣れてくる。


 やがて緊張がほぐれていくのが実感できる。

 狭いといっても足を伸ばす余裕はあった。


 熱で血行が良くなり、思考がクリアになっていく。

 少しのんびりしていると、先客の男が湯船で立ち上がる。どうやらもう出るようだ。

 先客の男はこっちを一瞥する。


「あんた、商人かい?」

「そうだが、よく分かったな」

「手を見れば分かるさ」


 言われて手を見る。

 帳簿を書くためによくペンを握るので、少しペンだこができている。それ以外は普通の手だ。


「肉体労働とは違うが、よく働いている手だよ」

「ふむ」


 それなりに働いている自覚はあるが、そう言われたのは初めてかもしれない。

 男はなんとなく話を振っただけの様で、すぐにいなくなった。


 それからもう少しだけ熱い湯を堪能し、風呂から出る。


 入口は待合室にもなっており、氷水で冷やした飲み物まで販売していた。

 風呂から上がって火照った身体にそれを流し込めば、どれだけ気持ち良いか。


 商売上手だなと感心する。

 風呂と冷たい飲み物の相乗効果か。

 うちの店でも組み合わせて売れるものはないだろうか。


 考える余地はありそうだ。


 瓶に入った飲み物を購入し、一気に飲み干して空になった瓶を返却する。


 少し長めに風呂に入ったつもりだったが、アズ達はまだ出てきていない。

 そういえばアレクシアは長湯が好きだったな。


 二本目を購入してゆっくりと楽しんでいると、ようやくアズが出てきた。

 その後ろにアレクシアとエルザもいる。


 アズは湯に浸かった事で少し目が覚めたようだ。

 ほかほかと湯気が出ているので芯から温まったのだろう。


「ほら」

「わっ、これは……」


 飲み物を渡すとその冷たさに驚いていた。

 そのまま飲むように促すと、蓋を開けて口をつける。


「っ美味しいです!」


 目を輝かせながら一口飲んでそう言った。

 喉を鳴らして残りも一気に飲み干す。


「ぷはっ、ご馳走様でした」


 瓶を戻したアズが礼を言ってきた。

 どうせ欲しいと言われるのは分かっているので後ろの二人にも飲み物を渡す。


「あら、気が利きますわね」

「ありがとうございますー」

「ま、これ位はな」


 ようやく気分を切り替えられた気がする。

 緊張が抜けないとストレスも溜まって後が大変だ。


 しかしアルサームにもこんな落ち着ける場所があるとは思わなかった。

 浴場は衛生管理の役割も果たしているので、ない方がおかしいのだが。


 都市の雰囲気に少し当てられてしまったのかもしれない。


 風呂屋から外に出ると、火照った身体にひんやりと冷たい風が当たる。

 湯冷めしないうちに宿に移動した。


 食事は宿で済ませる。

 今日はもう何もしたくなかった。


 目を覚ましていたアズも食事が済む頃にはまたまぶたが重くなっていた。


「あと少しだ。頑張れ」


 肩を支えて部屋に向かう。

 部屋に入り、ベッドに座らせるとそのまま横になって寝てしまった。

 やれやれ、と思うとアズが右手で袖を握りしめている。


 袖を引っ張ってもビクともしない。

 どうやら相当強い力で握られているようだ。

 とてもじゃないがほどけない。


「一緒に寝てあげたら?」


 こっちの様子を見ていたアレクシアが、あくびを堪えながらそう言って横になった。

 エルザがこれ見よがしに近寄ってくる。


「私も一緒に寝て川の字になりますか?」

「ベッドからはみ出るだろ」

「残念です」


 結局、アズの隣で寝ることになった。


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