第196話 難易度を上げよう

 朝、いつもと違う様で、しかし同じ朝。

 違うのはアズへの気持ちだろうか。


 深く眠れなかったが、目覚めは爽やかだった。


 頭に昨日の光景が残っている気がしたので、顔を洗おうとベッドから降りて部屋から出る。

 洗面所に入ろうとしたら、アズと遭遇した。


「おはようございます」

「ああ、おはよう」


 顔を洗った後だったのか、首にタオルを掛けていた。

 僅かに残る水滴が光に反射し、アズの輝きが増した気がする。


 心臓が少し高鳴った気がするが、アズは動揺した様子は無い。

 こちらだけ動揺するのも損した気分だ。平常心で乗り切った。


「また後で部屋に行きますね」


 アズはそう言って立ち去っていった。


 改めて洗面所に入る。

 水の魔石で水を生み出し、桶に貯めるまで鏡を見て待つ。

 いつも通りの面がそこにあった。


 大きく息を吐きだす。

 奴隷に振り回されては主人としての沽券に関わる。

 力ではもう3人のうち誰にも勝てないのは置いておくとして。


 奴隷として制御するための道具はもう全て外させている。

 見ただけで奴隷と分かってしまうとトラブルに発展するし、痛みで言う事を聞かせてもサボタージュが起きるのは予想できた。


 なので今奴隷達が従っているのは信用関係があるからに他ならない。

 勿論、奴隷である彼女達に他に行き場など無いので、お互いの利害関係も存在する。


 桶に貯まった水の中に手を入れるとひんやりと冷たい。

 その水で顔を洗うと、頭が冷やされて思考が澄み渡るような気がした。

 目も冴えてきた。


 今日も1日しっかり稼ごうという気持ちになる。


 洗面所から外に出ようとすると、エルザとぶつかる。

 柔らかい感触を感じた後に、力負けして後ろへと倒れ込む。


「おっと、ごめんなさいー」


 エルザがヨハネの手首を掴み、倒れそうになる身体を支え引き寄せる。


「体重が軽いですね。ご飯食べてますか?」

「お前の力が強いだけだと思うが」


 見た目からして、体重はエルザの方が軽い筈だ。

 物理的な力の差としか思えない。


「女の子に言うセリフじゃないですよ?」

「女の子ねぇ」


 ヨハネはじーっとエルザを見つめる。顔から、胸、そして足も。

 エルザはどちらかというと大人びた容姿である。

 胸の大きさもそれなりに。

 美しい事に異論はないが、女の子というのは少し無理があった。


 ぐぃっとエルザが距離を詰めてくる。

 紫の瞳がヨハネの顔を映す。


 ……アズが可憐だとすれば、エルザは美人だ。


 ずっと見つめられると、先ほど落ち着かせた気持ちがざわつく。


「ふふ。許してあげます。私は今機嫌が良いので」


 そう言ってエルザが離れると、ヨハネの脇を通って中に入っていった。


「なんだったんだ?」


 訳も分からず、ヨハネはそう独り言を呟いて部屋に戻る。


 そういえばアレクシアはどうしたんだろうかと思って奴隷部屋を開けると、アズがアレクシアをなんとか起こしている最中だった。


 そっと扉を閉める。

 涎を垂らしている姿は見ないのが情けだろう。


 自分の部屋に戻り、着替えを済ませて椅子に座る。

 ようやく頭が仕事の状態に切り替わった。


 昨日終わらせる予定だった書類を片付けていく。

 こういう書類は1枚1枚は大した仕事ではないが、数だけは多い。


 手が付けられる時に進めておかねば。

 店に関しては今日は従業員達に任せてしまおう。


 そろそろ新人も雇わないといけないな。

 孤児院に相談してみるか。


 一区切りついた頃、部屋がノックされる。


「入れ」


 ドアノブが回る音がした後、扉が開かれる。

 アズを先頭に、奴隷達が入ってきた。


 いつも通り、絨毯を敷いた床に座る。


 この光景は久しぶりに見た気がする。

 アズの足に目を引かれた。

 初心忘れるべからず、だ。


 区切りがついた仕事を脇にどかして、奴隷を眺めながら次に何をするか考える。

 一番の問題だったオークションのチケットはアズのお陰で手に入ったので、次はそのオークションに向けた資金作りだな。


 今のアズ達の実力ならある程度仕事は選べるし……。

 今まで避けていた迷宮に行くのも良いだろう。


「さて、これからの事だが」

「はい」

「一応バカンスでリフレッシュもした事だし、バリバリ稼いで行ってもらうつもりだ」


 アズが頷く。

 他の2人は対応をアズに任せている感じだ。

 リーダーとして信用しているのか、あるいは面倒毎を任せているのか。


「そうだな……これなんかどうだ?」


 嘆きの丘。

 丘と名付けられているが、実質山だ。

 王国から少し離れた場所にある難易度の高い迷宮。

 これまでは選択肢にいれてこなかったが、今のアズ達ならば問題ないだろう。


 現在冒険者組合では中等冒険者の筆頭格らしい。


 嘆きの丘で手に入るのは雲母やめのうのような宝石や、ミスリルで作られた武具。

 他にも色々あるようだ。


 安定して稼げる場所らしい。

 大人数の冒険者を抱えた大規模なチームや、腕に覚えがある冒険者パーティーに人気がある。

 ただし、あんまりここでアイテムを収集して売ると相場が崩れてしまうという問題がある。


 最近のミスリル産の武具の値段はそれほど動いていないようだし、今なら大丈夫だ。


「迷宮の情報は残念ながら大して手に入らなかった。高難易度の迷宮だと良くあるらしい。情報自体が価値があるって事だな」


 噂話程度では、余り安全には寄与しないな。

 何時も通り十分な準備をして送り出す事しかできない。


「分かりました、すぐに用意しますね」


 そう言ってアズが立ち上がる。

 やる気の感じられる返答に、ヨハネは頷いた。


 アズ達が出発している間、店で新人を雇うとしよう。

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