第189話 成長しているアズ

 老婆との商談は終わった。僅かな時間だったが、目的だけに絞った商談ならこんなものだろう。

 あの老婆は必ず約束を守る。

 高齢だが衰えもなくしっかりしていた。


 これで別の出資者が高値を提示しても断ってくれるだろう。

 元々顔見知りだったのも大きい。

 もし知り合いでなければそもそも商談する事も出来なかった。


 金貨500枚という額も宿の状態を考えれば決して高くはない。


 ヨハネにとって金貨500枚は決して小さくは無いのだが、今しかないと思った。


 年内までにお金を用意する必要がある。

 場合によっては借金に頼る事になるかもしれない。

 以前借りた借金は既に一度返し終わっているうえ、身代は以前借りた時よりも大きくなっている。


 売る気は一切無いが、アズ達も今冒険者としての評価はかなり上がってきていた。

 借りようと思えばかなりの額を引っ張れる。


 だが、この段階ではまだ借りたくない。

 宿を実際に買い取った後、どの程度のリターンを見込めるかを把握してからだ。


 宿の運営は余程人が寄り付かない都市でなければ赤字にはなりにくい。

 少し表通りから離れた老婆の宿でも。

 だからこそ買うのだが。


 そんな事を考えながらアズ達が待っている馬車に戻った。


「お帰りなさい」

「ああ。出してくれ」


 御者に座っていたアズがラバ達へ移動の指示を出す。


「何をしに行ってたんですかー?」

「ちょっと新しい商売を。だいぶ前に閉めた宿屋を抑えにいってた」

「えぇ……」


 エルザが呆れた声を出す。


「バカンスの帰りですよ。もうちょっとリフレッシュしましょうよ」

「無理ですわ。うちのご主人様は頭の中がお金で一杯ですもの」

「商人が金の事を考えなくてどうする」


 正確には金の使い道だ。

 溜め込んでも意味が無い。


 アレクシアは何時もの事だとでも言うように呆れている。


「それは結構ですけど、遊びに行った帰り位は忘れろって事を言ってますの」


 少しばかり耳が痛い。

 金は使ってそれ以上に回収するのが商人の仕事だ。

 その点アズ達は非常に良い仕事をしてくれている。


 金があればあるほど選択肢が増え、身を守る手段にもなるのだ。


「宿屋を始めるんですか?」

「ああ。具体的な事はまだずっと先だがな。それに、俺にいざという時があれば……」


 お前達が居る場所になるだろう、と言おうとしてヨハネは途中でやめた。

 縁起でもない。


 家にある倉庫には、もしヨハネが死んだときにアズ達を自由にする権利書がしまってある。

 アズ達ならばもしそうなっても自活できるだろうが、元奴隷が市民権を得るのは難しい。


 だが宿屋をアズ達に引き継がせれば、宿屋ギルドの会員権も引き継がれる。

 会員権があれば市民権の取得は容易だ。


 死んだ後の事を考えるなんて非効率なのも良い所だが、アズ達の運命を背負っているという自覚がある以上は準備しておかなければならない。


 今の店はもしそうなればアズ達に引き継がせるのは難しい。

 ヨハネが死んだら商人ギルドが即抑えに来る。


 今ではこの都市での知名度もあるし、増築の成果もあって売り上げ高の伸びも順調だ。

 競合も少ない。

 欲しいという人間は幾らでも居る。


 ふとアズと目が合った。

 しばらく顔を眺める。

 美しい蒼い目がヨハネを見つめていた。


「な、なんですか? ずっと見られると恥ずかしいんですが」

「大分髪が伸びたな。背も少し」

「そうですか? 確かに伸びたかも」


 そう言ってアズは髪を広げる。

 銀色の髪が日の光を反射して輝く。


 隣に座っていると良く分かる。

 以前よりも確実にアズは成長していた。


 身長も、それ以外も。

 そして更に美しくなっている。


 頼りなかった姿はもう過去の事だ。

 今は自分の意思を持ち、しっかりとヨハネの事を見ている。


「ご主人様は長い髪が好きですよね? 割と見てますし」


 そう言ってアズは髪を梳く。

 見られているという自覚があるからこその行動だ。


 確かにアレクシアもエルザも長髪だ。

 言われてヨハネが気付く。


「確かにそうかもな」


 選んだ基準の1つに確かに入っている。

 母が長い髪だったからだろうか。


 眺めていると落ち着くのだ。


 エルザがチラチラと髪を広げながらヨハネを見ていたが、無視した。

 エルザの金髪も非常に美しいのだが、褒めるとめんどくさい反応をするのが分かっているからだ。


 しばらくして反応がないのが分かったのかアレクシアに絡み始めた。

 全く仕方ない司祭だ。


 ようやく店に戻る。

 すると、慌てて従業員の1人が出迎えに来た。


「慌ててどうした?」

「ヨハネさん、丁度良かった。こっちに! 」


 従業員はアズ達に頭を下げるとヨハネの手首を引っ張って連れて行ってしまった。

 アズが慌てて追いかける。


 すると、店の中はごった返していた。

 普段から客足は途絶えないのだが、そういうレベルではない。


 ヨハネもすぐに状況を察して、手伝いに入る。

 慌てて追いかけてきたアズにも仕事を言いつけた。


 追いかけてきたのだから手伝ってもらうしかない。

 馬車を移動させてきたエルザは少しだけ顔を見せて、忙しいのを見た後逃げようとしたがアレクシアに腕を掴まれる。


 奴隷3人にはひたすら品出しをしてもらった。

 売れ筋の物はすぐに消えていく。


「出した端から売れていきます!」

「とりあえずあるだけ出せ!」


 もはや悲鳴のような声だった。


「いやぁ良いタイミングでした」

「珍しいな。ここまで混むことはあんまりないぞ」

「最近お客さん増えてきましたからねー」


 そんな事を言いながら客を捌いていく。

 お土産用に置いてある棚はもう空だ。


 結局客足が落ち着いたのは店を閉める手前の時間だった。


「明日は相当仕入れしないとな」

「倉庫も空っぽですよ」

「それは……凄いな。この時期は何かあったか?」

「さあ?」

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