第176話 討伐に向けて
主だった店は一通り見て回った。
プレゼントの効果か、その間奴隷3人の機嫌は良い。
特にアズは少し浮かれているようですらある。
歩く度にヨハネが渡したイヤリングが揺れて目に映る。
その姿は海に居る誰よりも輝いていた。
誰もが目を奪われるほどの、可憐さと美しさが両立した奇跡のような少女。
目を向ければ笑顔で振り向く。
その度にこの奴隷は自分の物なのだと実感する。
よくぞここまで……人は育つものだ。
大人ですら、知らない事を学べばそれだけ知恵が増す。
子供ならば、肉体的にも精神的にもその成長の速さは大人の比ではない。
最初のアズを見た時、こうなると思う人間は少なかっただろう。
ヨハネですらそうだった。
十分なリソースを注ぎ、本人の努力と運があってここまで来たのだ。
「楽しいですけど、やっぱり海に来て海に入れないのは物足りないですね」
「そうだねー。いっそ海に入っておびき寄せるのは?」
「来ると限らないのにいつまで待つつもりですの?」
アレクシアは呆れたように言う。
気が長い作戦ですわね、と付け加えた。
「残念。確かに明るいうちに来ないと意味ないか」
「夜は夜目が利かないと戦えませんから」
エルザが肩を落とす。それを見てアズがなんとかフォローしようとしていた。
海岸沿いで少し海から離れた場所から眺める。
海は広い。広大な海水の中で様々な生物が生きているのだ。
透き通った空気のせいか、ずいぶん遠くまで見通せる気がする。
これだけ広ければ確かにあれほど巨大な魔物が居てもおかしくない。
クラーケンだろうか。
陸では大きな魔物はその体格に見合った餌が必要になる。
その為生活圏が限られるのだが、海では大きさで移動の制限がない所為かそのような制限はないようだ。
神出鬼没の大型の魔物、どう考えてもかなり厄介だ。
もし討伐に失敗すれば冒険者組合に持ち込まれるだろう。
そうなったら単独で挑戦する機会を失う。
報酬は良くて頭割り。下手すれば成果分配だ。
あのクラーケンの素材に値打ちがあるかはともかく、出来ればここで仕留めておきたい。
そんな思いをあざ笑うかの如く、遠くで海水が盛り上がった。
クラーケンだ。
こちらを観察しているのか、それともただ海面に出ただけなのかは分からない。
アレクシアが咄嗟に魔法を準備したものの、すぐに引っ込んでしまった。
「行ってしまいましたか。流石に無理でしたわね」
そう言って準備していた魔法を霧散させた。
距離もあるし、魔法を撃ってもダメージは与えられなかっただろう。
「あの大きさであれだけ素早く動かれるとねー。アズちゃん以外はちょっと分が悪いかも」
「陸なら幾らでも燃やせますのに」
「まぁね。でもそれは無理な相談だと思うけど」
相性の悪さを自覚しているのか、アレクシアは少し機嫌が悪い。
武器で戦おうにも戦斧は小回りが利かない。
エルザは相性的には良くも悪くもないが、いくら力があってもメイスであの大物を倒すのは骨が折れるだろう。
やれやれ、とヨハネがため息をついていると呼び出しを受けた。
どうやらあのクラーケンの寝床が分かったらしい。
早速移動してみると、ズーカシーが待ちわびたとでも言うように迎え入れる。
「いくつか餌を撒いて置いたんだが、そのうち1ヵ所に食いついた。大量の餌を抱えてここに移動したのを確認済みだ」
近辺の地図を広げて、いくつかの場所をチェックした。
そして1ヵ所に赤く丸が記されていた。
そこは小さな洞窟があるだけの離島だ。
一周を歩いて回っても大した時間が掛からないほどのサイズらしい。
「クラーケンは餌をその場で食べない。自分の陣地へ持って帰ってゆっくり食べるんだ。地道に特定していたんだが、ようやく分かってよかったよ」
退治するにもまず場所が分からなければ話にならない。
この離島の洞窟が住処だ。
「餌を食べるときと、眠るときもここを利用する筈だ。ここで待てば確実に遭遇できるだろう。問題は倒せたとしても逃がさない様にすることなんだが……」
ズーカシーはそう言ってアズ達を見る。
実力をまだ完全には信じていないのだろう。
それでも話を進めているのは、失敗したらそれはそれで構わないという判断か。
「イカの生態が当てはまるかは分からんが、これで興奮状態に出来ると思う」
そう言って小瓶に入った液体を渡された。
「これは?」
「イカの漁で使う薬品だ。成分は言えないが人間には毒性は無い。司祭もいるなら心配は無いと思うがな」
ヨハネは受け取った小瓶を日にかざして眺める。
紫色の液体が透けて見えていた。
「分かった。必要なら使うとしよう」
「そうしてくれ。倒した証拠に何かしらの部位を持ってきてほしい。あるいは死体を確認しに行く。報酬はそれからだ。危険に見合った額にはなったと思う」
討伐報酬は金貨30枚。
付属として戦利品は全てこちらに権利がある。
とはいえ、あるかどうかすら分からない空手形だ。
金貨30枚が基本的に報酬の全てと言って良いだろう。
悪くない。冒険者組合に評価は入らないが、1日に金貨30枚の仕事は中々ないだろう。
「勿論受けるよ。海もまだ満喫したいからな」
「助かる」
ズーカシーと握手を交わし、羊皮紙の依頼書にサインする。
依頼書の内容は念の為確認したが相違は無かった。
「よし、それじゃあ頼むぞ。必要なものがあれば手配する」
「分かりました。とりあえず船ですね」
「船はこちらから貸し出そう。金はとらんよ」
そう言って若者を走らせ、船の手配をしてくれた。
「ご主人様は邪魔なのでここで待っていてくださいね」
「ああ、分かってる」
ガラスの小瓶をアズに渡す。
火竜の時は同伴したものの、何の役にも立たなかったのは自覚していた。
やはり準備に専念して送り出すのが一番良い。
ヨハネにとっての戦場は準備段階にこそある。
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