第166話 アズの悪戯心
バカンスの予定は立てたが、流石に次の日から即出発とはならなかった。
そもそも全員疲れが残っている。
遊ぶにも体力が必要という事もあって、数日程間を開けることになった。
道具屋そのものは相変わらずヨハネが居ても居なくても稼働できる状態になっている。
むしろ上司がいなくなり、従業員達はのびのびと仕事が出来ているようだ。
ちゃんと成果が出ている以上、ヨハネとしても文句を言う気もない。
流石に帳簿や金勘定まで任せると問題があるので、やはりそこはヨハネがやる。
人間、何かの拍子で魔が差すことはあり得るからだ。
いくら信用していても店の根本まで任せてはいけない。
実際の運営は任せきりになっている事も踏まえ、少しだが給金は気前よく上げた。
拡張した部分の売り上げも順調であるし、レイアウトも効果が出ている。
上げた給料以上に儲かっているのは計算する前から分かっていたが、思った以上の成果だった。
そして仕事を終えたヨハネは仮眠をするためにソファーへと横になり、タオルで目隠しをする。
少しすると、小さな寝息が部屋に響き始めた。
その後すぐ、アズがヨハネの部屋を訪ねた。
ノックは控えめだった。
ゆっくりと扉が開かれ、そこからアズが顔を出す。
ヨハネが寝ていることを確認すると、物音を立てずに部屋に入るとそのまま仮眠しているヨハネに近づいた。
フィンを参考にしたのか見事な気配の消し方だ。
眠っている人間が気付くことはないだろう。
アズは人差し指でそっとヨハネの頬をつつく。
特に反応はない。寝息が聞こえるのみだ。
聞きたいことがあったアズは止む無くヨハネを起こそうとしたが、その直前で何かを閃く。
そっとヨハネの耳に口を近づけて囁く
「可愛い」
すると眠っているヨハネはアズの声をそのまま呟く。
「かわいい」
アズは自分で狙ってやったにもかかわらず、あやうく腰を抜かしそうになった。
考えていた以上に衝撃が大きかったようだ。
恥ずかしさや嬉しさで思わず両手で顔を覆う。
ヨハネが普段はまず言わない言葉というのもある。
アズは深呼吸をして心と体を落ち着ける。
跳ね上がった心拍数も落ち着いてきた。
もう一度そっと近寄り、ささやく。
「俺のものになれよ」
すると、先ほどと同じくヨハネがアズのセリフを繰り返した。
「おれのものに、なれよ」
アズは全力で部屋から出て、廊下で転がる。
もはや形容できない感情だった。
暫く転がり、ようやく落ち着いた。
「私は一体何をしているんだろう……」
滅多にない機会だからか、いたずら心でやった事で自分が一番動揺している事に気付いたアズは若干自己嫌悪を感じていた。
今度こそ起こそう。
そう誓って、再び部屋に入る。
先ほどは流石に気配を消しきれなかったので起こしたかと思ったが、ヨハネの体勢は同じままだ。
胸もゆっくりと動いている。
アズは自分の痴態がバレずに済みホッと胸をなでおろした。
同時に、折角だしもうちょっと位やっても良いのではないかという考えが浮かんできた。
アズはヨハネに忠実だった。
だからこそ、こういった場面は初めてでその刺激に逆らえなくなっている。
あと一回、あと一回だけ、と言い訳のように呟きながらヨハネに近づき、そっと耳元に口を寄せる。
「今夜は、覚悟しておけ」
アズはヨハネが繰り返すだろう言葉を聞こうと、期待しながら耳をすます。
――だが、一向に声は帰ってこなかった。
アズは不思議に思い、ヨハネの方を見る。
そこには目が覚めてドン引きしているヨハネが居た。
「あ、あの」
アズが声を出すと、ヨハネは跳び起きてそっと一歩後ずさる。
「ち、違うんです、そうじゃなくて」
「話せば分かる」
ヨハネは両手をアズの方へ向け、これ以上近寄るなというポーズをとった。
アズが一歩近づくたびに大きく後ろへと進む。
力では勝てない事はもう十分すぎるほど理解している。
ヨハネは躾以上には奴隷に対する罰を基本的に与えない。
つまりアズの忠誠心によって関係性が保たれている。
「わ、私がされる方で!」
「不満があるなら聞こう。だから落ち着こう、な?」
アズはアズで恥ずかしさと焦りと動揺のあまり上手く声が出ない。
何とも異質な空気が形成されている。
「あんたたち、一体何をやってんの……?」
それを破ったのは、先ほどから窓の外から部屋を眺めていたフィンの一声だった。
アズが精一杯説明し、フィンが目撃情報を伝えたことであわや奴隷の反乱かと思われそうになった一件は沈静化した。
自分で自分の恥ずかしく間抜けな行為を説明する羽目になったアズは、完全に意気消沈している。
ヨハネからすると、年相応な悪戯心があったんだなと感心してしまった。
過去が過去だけに余り子供心を出さないと感じていただけにヨハネも笑って許す。
「本当に襲わないよな?」
「襲いませんったら!」
フィンの用事は裏で集まる情報の提供だった。
王国内で遂に太陽神教の禁止の声が上がり始めているらしい。
銅像事件が伝わったのと、太陽神教そのものが腐敗しているという声があるそうだ。
尤も、王国内でも既に布教されている大陸最大の宗教をそう簡単に禁止には出来ない。
配備された銅像もこことは違い何も起こらなかったそうだ。
失敗したからなのか、初めからここだけを狙っていたのか……。
答えはここに居る誰にも分からない。
フィンが立ち去った後。しばらく2人は無言が続く。
そしてようやくヨハネが口を開いた。
「それで、何の用事だったんだ?」
「あ、そのですね。冒険者組合で丁度海の依頼があって、一応報告しようと思って、それでその」
「ついやったのか」
「はい……」
消えいるような返事だった。
ちなみに海の依頼は海の家の手伝い募集というものだった。
1日だけならやらせても良いなと少し気に留めておく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます