第157話 儲かるならやりますよ。商人ですからね

 教育、か。

 難しい話だなとヨハネは思った。

 公爵は確かにオルレアンに褒美を約束した。


 恐らく、考えうる殆どの事が実現できただろう。


 元老院の一席に座る公爵は帝国でも随一の権力者であり、そして大金持ちだ。

 皮肉にも荘園がその一役を担ってはいるものの、望めば一生困らないだけの金を手に出来ただろう。


 両親の願いであった普通に生きる為の市民権ですら、容易く手に入る。


 だが、オルレアンが望んだのは荘園にいる家族を含めた一族の教育だった。

 解放はありえない。それは幾らなんでも理解できたのだろう。


 ならば少しでも良くする方法は何かを考えて教育に行きついたとすれば、やはり頭が良い。


 ……教育とは、知らない事を知るという事だ。

 農奴が農奴であるという事を自覚すれば、次に起きるのは何か。


 暴動か、待遇改善の要求か。


 いずれにせよ公爵にとっては好ましくない。

 力で押さえつければやる気を失うし、要求を一度叶えれば次が来る。


 使う側からすれば、無知に近いほど物事を知らない方が良いのだ。


 それでも公爵は条件付きで叶えるといった。

 これがオルレアンに対する報酬といっても良いだろう。

 公爵はじっとオルレアンの目を見ている。


 一切視線をそらさず、子供でも農奴でもなく交渉相手として。


「どうする? お前に出来るか?」


 オルレアンは黙っていた。

 出来ないと言えば話が終わる。

 だが、1人では到底出来ない事も分かっていた。


 公爵はこちらの事を正確に把握している訳ではない筈だが、それでも僅かな時間で関係性を読み取ったのだろうか。


「魔物溜まりといえば」


 ヨハネが落ち着いた口調で喋る。

 公爵は僅かだが視線を向けた。


「冒険者が攻略すれば報奨金が貰えるとか」


 迷宮や危険な魔物の出現に繋がる魔物溜まりは、可能な限り見つけたら処理するのが領主の仕事だ。

 遠く離れた場所ならまだしも、この都市の影響が及ぶ距離に存在する。


 恐らく、何事も無ければ明日にでも冒険者組合に魔物溜まりに対する依頼が発注されただろう。

 この都市は好況だ。人も物も金も集まっている。

 そんな場所に冒険者が集まらない筈もなく。


 数の暴力で魔物溜まりは処理されるだろう。

 竜のような個の暴力には歯が立たないが、数が通用するなら話は別だ。


 ……もし、そんな依頼を独占して解決できれば。

 分散されてそれなり程度になる依頼料を、まとめて回収できるならば。


 それは美味しい仕事になる。


「当然だ。仕事とは対価があるもの」


 そして、この公爵は世の中の酸いも甘いも理解している。

 意図は伝わったようだ。


「やります」

「やるだけではダメだ。確実に成功させろ」

「成功すれば、私の願いを聞いてもらえるんですね」

「我が家名に誓って」


 貴族、それも当主が家名に誓うということは、本気だという事だ。

 神に誓うよりもよほど。


「成功させます」

「では行け」


 話は終わりだ、とでも言うように公爵は右手を払った。

 おそらくこれから寝るのだろう。


 公爵の館から追い出されるようにして外に出た。


 門の閉じる音が響く。


 客ではなく、雇われた立場になったという事か。


 オルレアンがヨハネの前に立ち、頭を下げる。


「旦那様、勝手に申し訳ありません」

「全くだ、と言いたいところだが金になるなら話は別だ」


 この世で最も楽しい事の1つは、金の稼げる仕事をすることだ。

 それも自分でやるのではなく誰かにやらせる事。


「出来るな?」


 ヨハネはそう言って奴隷達を見る。


 アレクシアはいつも通りやや不満げだが否とは言わない。

 エルザは何を考えているのか分からない微笑みで頷く。

 アズはやる気を感じさせる返事をして、頷いた。


「実はちょっと暇で退屈してました。ようやくお仕事ですね」


 まさにやる気に満ちている。

 頼もしい。


 それから一行は準備に取り掛かった。

 魔物溜まりは長い戦いになる。それをこの面子で戦い抜かなければならない。


 あの公爵の事だ。

 失敗も見越しているだろうが。


 鍛冶屋に足を運び、装備の手入れを依頼する。

 急ぎの仕事にしてもらったので少し高くついた。


 ポーション類も必要だ。

 準備をしておいて損はない。


 あれもこれもと買い込んでいく。


 必要な出費は削れないし削らない。


 これはヨハネの譲れない美学のようなものだった。

 以前大きな商売を成功させた商人と会った時に、ケチるとケチが付くぞと教わったことがある。


 実際、準備に金を掛けない商売は大して儲からなかった。

 格安で仕入れたと思ったら品質が悪かったり騙されたり。


 その事もあり、奴隷達にも最初から金を掛けるようにしていたが、それは今のところ上手くいっていた。


 一番忠誠心が低いであろうアレクシアでも、文句を言いながらもちゃんと働いている。

 奴隷達の待遇はかなり気を使っている。

 それが伝わっているのだろう。信頼関係を築けているのも大きい。


 気合を入れてやろうと尻を叩くと、流石に睨まれた。


「景気付けに毎回叩こうとしないでくださいます?」


 とはいえアズにやると流石に罪悪感があるし、エルザは喜びそうなのでアレクシアが一番叩きやすいのだが、それを言うと怒られる気がして言わなかった。


 女性は何かの代わりにされるのを嫌がるらしいからな。


 次の日、手入れの終わった武器を回収し、準備が整った。

 抜けがないかをアズに確認させる。

 早速指で差して確認していく。


 意外とこれが効果があるのだ。

 目視だけでは認識から抜けやすい。


「準備、ヨシ。ですね。ご主人様」

「よし、出発だ」


 同行するか悩んだが、ヨハネは一緒に向かう事にした。

 今回は非公式とはいえ公爵からの依頼だ。顛末まで見届ける必要がある。

 魔物溜まりを処理すれば冒険者としての地位も上がるであろうし、その報告書も必要だ。

 


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