第156話 教育を下さい

 全員で公共風呂に入り汗を流す。

 男湯に入ったヨハネはさっと体を洗い湯に浸かる。

 清潔さは人間関係の基本だ。


 病の防止にも効果がある。

 この文化が整備されてからは疫病の発生率が下がったとまで言われている。


 風呂好きの当時の皇帝が趣味に走った結果ではあるが、結果的に素晴らしい文化として定着したと思う。


 女性陣が風呂から出てくるまで周辺の店を巡り、帝国の豊かな都市のトレンドを確認する。

 銀山が豊富なだけあってアクセサリーは銀を使ったものが多い。

 それに加工技術は大したものだ。


 特に優れた加工技術を持つスパルティアに比べるとシンプルなものが多いが、銀の輝きを活かした指輪などは普段使いでも十分お洒落になる。


 戻る際に食料を買い込む予定だが、少しくらいはこういった物を買っていっても良いかもしれない。


 ヨハネが露店を物色していると、裾を掴まれた。


「あの、旦那様。そろそろ……」

「ん、おお」


 掴んできたのはオルレアンだった。

 温まったのか顔が少し赤い。


「ほら、やるよ」


 小さなペンダントをオルレアンに渡す。

 そろそろお別れになる。

 今回の思い出、あるいは記念として購入した。

 オルレアンが居なければここに来ることは無かっただろう。

 公爵夫人への商売はかなり大変だったが大きな利益になった。


 渡されたオルレアンはペンダントをじっと見つめる。

 そしてヨハネの顔を見た。


「これはなんですか?」

「ペンダントだ。こうやって着けるんだ」


 ヨハネがペンダントを持ち、オルレアンの首にかける。

 銀色のチェーンを繋いだだけのシンプルなペンダントだが、オルレアンの青い髪には良く似合っていた。


「……綺麗ですね」

「そうだな」


 オルレアンは今までお洒落などしたことは無かっただろう。

 生まれと育ちを考えればそれは仕方のない事だった。


 農奴として、頑丈だがそれだけの服。

 化粧など無縁の世界。


 ヨハネは女性陣と合流し、公爵家に向かう。

 風呂に入って身綺麗にしたし失礼という事は無い。


 門番に取り次いでもらい、少し待たされた後中へ入る。

 兵士達はいまだ慌ただしい様子だ。


 火竜が去ったとはいえ、すぐに厳重態勢を解くというのも難しいのだろう。

 彼らも大変だなと思いながら進む。


 通された場所は客間だ。

 中に居るのは疲れ切った公爵だった。

 豪華な椅子に座り、パイプを吹かしていたがその顔には疲労が見える。

 もしかしたら昨日から寝ていないのかもしれない。


「来たか。丁度一息ついたところだ。とりあえず座れ」


 公爵の指示に従い椅子に座る。


 メイドがこちらの飲み物を準備して壁際へと下がる。

 公爵は用意された茶に砂糖を入れて一息で飲み干す。


「昨日の件、詳しく聞かせて貰おうか」


 オルレアンと火竜の話し合いについてだ。

 火竜が立ち去った事で交渉が成功した事だけは伝わっているのだが、そこで話が終わっていた。


 なぜ火竜が来たのか。

 盟約の詳細について。

 魔物溜まりの封印の綻びがくること。


 ヨハネが言葉を選びながらそれを伝える。

 伝え方を間違うとオルレアンの責任に繋がる可能性が高い。


 公爵はただ黙って話を聞いていた。


 一通り話し終わると、部屋に沈黙が訪れる。

 パイプから出る紫煙が揺れていた。


 公爵がパイプの中の燃えカスをガラスの容器に捨てる。

 カン、という音が響いた。


 大きなため息が聞こえた後、右手で顔を覆う。


「やれやれ。トラブルは一度起きると続くものだな。火竜よりはマシか」


 疲れた声だが、しかし重く響く。

 老境に差し掛かる年齢の筈だが、衰えは感じない。

 その胆力は大貴族としての経験か。


「分かった。十分だ」


 公爵の声で部屋の空気が少しだけ緩む。

 ヨハネはホッと息を吐いた。


 どうやら、納得は引き出せたようだ。


「それではこれで……」

「待て」


 帰ろうとしたヨハネ達を公爵の声が引き留める。


「そこの農奴。お前に褒美をやろうという話があったな」

「はい」

「望みを言ってみろ」

「……私達に教育が欲しいです」


 緩まった筈の空気が、再び緊張に包まれるのを感じた。

 農奴達に教育が施されてないのは意図的なものだ。

 奴隷にしろ農奴にしろ、単純な事に使うなら知恵がない方が都合が良い。


 知恵があれば不満につながる。

 知らなければ、不満を抱かない。


 そしてそれは歴代の領主による意向による。


 つまり、これは明確な公爵に対する抗議に他ならない。


 公爵はじっとオルレアンを見ていた。


「子供の言う事です、なので……」

「私はこの農奴と話している」


 ヨハネが口を挟もうとしたが、しかし公爵は取り合わない。


「それが何を意味するか分かっていっているのか?」

「私は、旦那様に連れられるまで何も知りませんでした。私にはあの荘園の世界しかありません。でも今は少しだけ知りました」


 オルレアンは公爵に対して怯えがない。

 物を知らないからこそ、公爵という貴族に対する怯えがないのか。


「公爵様の為に働くのは構いません。収穫物も納めてます。でも、それだけで私達を終わらせないでください」

「ふむ……」


 公爵が黙る。

 長い沈黙だ。

 ヨハネは自分の唾が飲み込む音が聞こえた。


「檻に人間をとどめておくことは出来んか。だが、これはお前への報酬を超えている。ならば、更なる功績が必要だ」


 公爵はそう言った。

 そこで次の言葉は予想がつく。


「魔物溜まりをなんとかするならば、お前の願いをかなえてやろう」


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る