第145話 招かれしオルレアン

 火竜の子による騒ぎで、見張りの兵士は未だに動揺していた。

 だが直に公爵が組織した軍隊が荘園に来る。

 今は引き返す方が良さそうだ。

 少し追いかけられただけで随分肝を冷やした。


 馬車まで一度戻る。

 ラバは普段と違い完全に縮こまっていた。

 決して火竜の子に近づこうとしなかったし、竜という捕食者に対しては人間よりよほど恐れている。

 オルレアンをもうじき荘園に戻すつもりだが、このまま戻して大丈夫なのだろうか。


「何か言いたそうでした」

「……そうだな。敵意があるならあのまま襲ってきただろう」

「見られただけで肌がざわつきましたわ」

「あれで子供なんでよねー」


 馬車に乗り込み、アテイルに向かいはじめると緊張が解けたのか皆の口数が多くなった。

 遠くには公爵の組織したであろう兵隊が移動しているのが見える。

 だがどれだけ数を集めてもあれに勝てるとは思えない。

 なんせ、あの太陽神の像よりも強そうに見えた。


「んんっ」


 オルレアンが身をよじる。


「どうした?」

「いえ、背中が……」

「凄い熱、大丈夫?」


 アズが背中をさすった後、服をまくる。

 どうやら背中が非常に熱いらしい。


「紋章が反応してる。火竜と会ったから?」

「火の精霊石も反応してますわ」


 馬車の中の気温が上がった気がした。

 いや、間違いなく上がっている。

 しばらく臥せるオルレアンの背中をアズとエルザがさすっていた。


 アテイルに到着しても治まらなかったので、宿をとって横にさせる。

 発汗症状がみられるので水差しで水を飲ませて様子を見る。


「アズ、お前も寝ておけ。本調子じゃないだろう」


 火竜の子から逃げるとき、アズは明らかに普段より動きが鈍かった。

 風邪がまだ癒えていないのだろう。


「……お言葉に甘えて横になります」


 変に意地を張っても仕方ないと思ったのか、少し沈黙した後アズもベッドに潜り横になった。

 水で濡らしたタオルを頭に乗せてやると、大分気持ちよさそうだ。

 オルレアンにはうつ伏せになってもらい、背中に乗せてやった。

 みるみるうちに水分が蒸発する。


「ちょっと楽です」

「そうか」


 公爵夫人の依頼で慌ただしかったことだし、取引の報酬も高額だった。

 少しここで休憩しよう。

 俺もベッドに座ると疲労がにじみ出てくるような気がした。

 迷宮に潜っていた三人は尚更だろう。

 食事もそこそこに、暗くなる前だが今日は寝ることにした。


 ――何かが羽ばたく音が聞こえる。

 真夜中だというのに目が覚めた。

 眠気はまだ消えていない。

 何事か気になるがもう一度寝直そうと、毛布を深くかぶった瞬間。


 まさに怒号というべき轟音が聞こえて跳び起きた。

 それが竜の咆哮だと気付くのにしばらくかかった。

 衝撃が大きい。

 全員が今の音で起きた。


 いや、オルレアンとアズは体調悪化の所為かあまり反応していない。

 アズがこういう時に真っ先に動くので、ずいぶん助かっていたんだなと実感する。


「今の音は……」

「外をみてくださいまし」


 アレクシアの声に従って窓を見ると、真っ暗なはずの空の一部が明るい。

 まるで星が近くまで降りてきたようだ。

 そして、その明るさは赤い光によってもたらされたものだ。


 空にいるのは、昼間に遭遇した龍の子供とは比較にならない大きさの竜だった。

 恐らく、あれが成体なのだろう。

 火竜の鱗が昏い空を照らしているのだ。

 都市の一部の空だけでまるで昼間のように明るい。


 絶望的な程の大きさだった。

 体は大きく、それを支えて飛ぶ羽は横に長い。

 尻尾は太く、あれで薙ぎ払われれば人間などひとたまりもないだろう。


 住人も先ほどの音で起き始めたのか外の様子を見て悲鳴を上げている。

 ほどなくパニックになるだろう。

 あの竜は都市を襲いに来たのだろうか?


 公爵の軍は荘園に向かったばかりだ。

 ここに戻ってくるまで時間が掛かるだろうし、戻ってきたところでどうにか出来るとは思えない。

 空の火竜が火のブレスを吐いたら、何もできずに死ぬだろうな。

 そんな事を考えていると、オルレアンが立ち上がる。


 ふらふらとしながら扉に向かっていった。


「オルレアン!」


 オルレアンがこっちに振り向く。

 目は虚ろだった。


「呼ばれています。行かないといけません」

「行くって、どこへ……まさか」


 あの火竜に呼ばれているのか?

 何のために?


「よせ、危険だ」

「あの子は、私に会いに来たみたいです。そう感じるのです」


 そう言って俺の静止を無視して扉を開けた。


「ええい、クソッ!」


 訳が分からないが、追いかける為に走る。

 アレクシアやエルザも続いた。


 部屋を出るときにアズが起き出すのが見えたので、体調が良ければ後で追いかけてくるだろう。


「あれはトランス状態ですねー」

「なんだそれ」

「ずっとお祈りをしていると、何か不思議な存在を感じる時があるんです。現実感の喪失といいますか……、多分オルレアンちゃんは今自分でも分からない何かの影響で動いているんだと思いますよ」


 信心深いわけではないので分からない。

 だが金もうけに置き換えてみると、なんとなく腑に落ちた。


 なんとなく何かに突き動かされる瞬間は確かにある。

 今しかないと思うという考えが頭を占めてしまうのだ。


 結果的に良い結果が出るかどうかは別なのだが。


「どうなると思う?」

「分かりませんわ。火竜の心なんて誰にも」

「それはそうだな」


 焼き払われないことを祈るしかあるまい。

 アズがそこに追いついてきた。

 少しだけ顔が熱っぽいが、体調の悪さは見られない。


「どうなってるんですか?」

「あっちを見ればわかる」


 そう指さすと、アズは絶句した。

 気持ちは分かる。先ほどと同じ気分になった。

 オルレアンはすばしっこい。

 走っても追いつかず、火竜の方へと走っていった。


 ここで見捨てるなら、そもそも預かってない。

 さっさとオルレアンを抱えて距離をとりたいが、あの火竜の目的がオルレアンなら……どうなるのか。

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