第144話 火竜の子
公爵夫人の機嫌は良いようだ。
商品を気に入ってくれたというのは本当だったらしい。
香料の方も少しだけ手首に付け、香りを楽しんでいる。
それを眺めながら紅茶の入ったカップを手に持って中身を飲むが、味なんてわからない。間違いなく高級品なのだろうが……。
自分でも分からないほど緊張している。
「約束通りすべて購入するわ。お茶会の丁度いいお土産を探していたの」
「ありがとうございます。気に入って頂けて嬉しいです」
家令が金貨の入った袋をこちらに持ってくる。
数が数だ。ずっしりと重い。
ここ最近では一番の取引だ。
帝国では銀貨が主流だが、こういう大きな取引ではやはり金貨が扱われるようだ。
帝国金貨には見事な獅子の国旗の意匠が施されていた。
裏面には現皇帝の似顔絵がある。
「またお願いするわね」
「畏まりました。冒険者組合を通していただければすぐに」
俺達は帝国に普段からいるわけではない。
だが大陸に根を張る冒険者組合を通せば、依頼として受け取ることが出来る。
出された紅茶を飲み干す。
アズたちも飲み終わったようだ。
オルレアンだけ少し遅れているが、もう飲み終わったな。
長居すると何があるか分からない。
公爵夫人の機嫌が良いうちに退席するとしよう。
「それでは失礼いたします」
「もう帰るの? 商人はみんな忙しいのねぇ」
感心したように公爵夫人が頷く。
引き止められなくて助かった。
正直立場が離れすぎていて何を話したらいいかも分からないし、これが得策だろう。
立ち上がり頭を下げ、帰ろうと背を向けた矢先、扉が音を立てて開かれた。
「レクレーヌ様!」
声を上げたのは兵士だ。
その様子はかなり慌ただしい。
「何事だ」
家令が兵士を嗜める。
「火竜の子が荘園に近づいております。公爵様にご報告したところ、レクレーヌ様の意見も聞きたいと」
「まぁ」
兵士の言葉に思わずオルレアンを見た。
何事にも反応の薄かった表情が今、動揺している。
「すぐに夫の所へ行きます。ごめんなさいね。慌ただしくて」
「いえ……」
火竜の子とはいえ、竜は竜だ。
身体が小さかろうとその危険度は並外れている。
とりあえず今は部屋から出るのが先決だ。
全員で部屋から出ると、兵士たちが慌ただしく移動している。
既に何らかの命令が出ているのだろう。
公爵の屋敷から外に出て馬車を引き取る。
金貨は持っておくには多すぎるな。
門を出て、ようやく一息ついた。
「火竜の子が荘園に、か」
「あの壁画と関係あるんですかねー」
「分からんな……子供でも竜ならブレスが吐けるだろうし」
ブレス。竜は凄まじい魔力を身に秘めており、それを息に乗せるだけで人間には脅威となる。
火竜なら火のブレスを吐き出すだけで軍隊でも大惨事だろう。
「あの、旦那様……」
オルレアンがおずおずと話しかけてきた。
用件は察しが付く。
「分かってる。とりあえず金貨だけ預けて荘園の近くまで行く」
「ありがとうございます」
オルレアンはそう言って頭を下げた。
何か言われたら取引の時に聞いて気になったとでも言えばいい。
どうこうできるわけではないが……。
金貨は冒険者組合に預けることにした。
利子も何もつかないが、冒険者の金を預かってくれる。
公爵家に武装して入るにはいかないので、武装は馬車の中に置いていた。
アズたちにそれを身に着けさせる。
「準備できました」
「よし、行くぞ」
冒険者としての身分もある。
様子を見に行くくらいはできるはずだ。
荷のなくなった馬車は軽快に動き出す。
今のうちに食事代わりにクッキーを齧る。
砂糖とバターが多く使われていて美味い。
いくらでも食べられそうだ。
それなりの数を買ったが、五人だとそれでも足りないくらいだった。
次第に荘園が見えてくる。
だが、ある程度近づくとラバが止まった。
いくら指示しても進もうとしない。
「きっと竜の気配に怯えてるんですわね」
アレクシアがラバを宥める。
「まだ姿も見えていないのにか」
「姿は見えませんけど、確かに荘園の方から圧迫感というか、何か感じます」
アズは何かを感じ取ったようだ。
ラバはこれ以上進めないので、近くの木に待機させておく。
馬車と木を繋いでおけば逃げ出す事も無いだろう。
ここからは徒歩で行くしかないようだ。
アズを先頭に、荘園に近づく。
大分近づくと様子が見えてきた。
荘園の見回りをしていた兵士達が一ヵ所に集まっている。
手には槍やら剣を持っているものの、まさに及び腰といった感じだ。
その向こうにはまだ幼い火竜の子がいた。
大きさはうちの馬車くらいだが、それでも見事な鱗に覆われていてかなり強そうだ。
全身見事な赤い色をしている。
まだ飛べないのか、未熟な羽を広げながら荘園の近くをうろついている。
見たところ敵意があって近づいてきたわけではないようだ。
ただ、離れる様子もない。
下手に刺激するわけにもいかず、かといって職務を放棄して逃げれない。
荘園の兵士は針の筵といった気分だろう。
「あの」
オルレアンが俺の袖を引っ張る。
「どうした」
「これが……」
そう言って火の精霊石が入ったポーチを俺に差し出す。
「光ってるな」
「光ってますね」
普段よりも明らかに強く反応している。
火竜の属性は火だ。
火の精霊石と反応してもおかしくはないが……。
火竜の子は荘園ではなく、こちらを見た。
どうやら向こうも火の精霊石に気付いたようだ。
精霊石のあった場所の壁画では、オルレアンのような背中に紋章のある少女が火竜に祈りを捧げていた。
無関係ではあるまい。
すると、火竜の子がこちらに走ってくる。
まずい。
慌てて荘園から離れる。
火竜の足は人間より早い。
少し離れたところで先回りされてしまった。
荘園の兵士達がこっちに来ない事だけは救いか。 恐らく腰が抜けたのだろう。
火竜の子はじっとオルレアンを見ている。
武器を抜こうとしたアズを止めた。
刺激すると不味い。
しばらくこちらを観察した火竜の子は、静かな鳴き声を出したのちに住処の山に戻って行った。
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