第142話 待つのも仕事
アズたちを緑の迷宮に送って数日。
オルレアンに色々な事を教えながらただ待つ。
期日まであと四日ほど。
移動を考えてそろそろ戻ってこないと厳しい。
他人に人生を委ねて待たなくてはいけない時がある。
今がその時だ。
頭の片隅には常に依頼がこなせるかどうかの不安が付きまとうが、やるしかない。
「アズ様たち遅いですね。旦那様」
頼んでおいた品出しが終わり、オルレアンが俺に声を掛けてきた。
「まだ予定してた時間じゃないさ」
「ですか」
オルレアンは素直に頷く。
人を疑うことを覚えた方がいいと思うが、育ちを考えれば純粋すぎるのも仕方ない。
ラミザさんの方は予定通りだ。
そもそも腕のいい錬金術師なのだから当然なのだが。
後は白銀桃のエキスを最適な濃度に薄めて調合すれば出来上がり。
包装用の道具もそろえてあるし、石鹸は積み込み済み。
あとは本当に待つことだけだった。
仕事をすることで紛らわそうとするが、そういう時に限って忙しくない。
暇つぶしにオルレアンに算数を教える始末だ。
「月に果実が五個取れて、三個を荘園主に納めると残り二個だ」
「はい」
「それを二ヵ月続けるとどうなる?」
「えっと……四すか?」
「そうだ。四個あればたとえ収穫できない月があってもなんとかなるし、そのまま貯めることも出来る」
「収穫できない月はたまにあります。でも貯まるとどうなるんですか?」
「それが財産になるんだ」
農奴とはいえ、収穫の全てを取られるわけじゃない。
集めてまた配りなおすのは非常に非効率だからだ。
微々たる量であっても貯蔵する事は身を助けることになる。
その為に必要なのが数字と算数なのだ。
とはいえ、オルレアンにはまだその辺りが良く分からないようだった。
収穫が出来ない時に助かるということだけでもとりあえず覚えておけばいいか。
そもそも財産を持つという発想もない。
この辺りは荘園の運営のために意図して行われた事だろう。
そうしていると夕方になった。
子供ができる量とはいえ仕事をして、その後勉強もしたオルレアンは日が沈む前には眠ってしまう。
オルレアンを寝かせた後は、自室でただアズたちを待つ。
時間はかなり厳しい。
これ以上遅れるようなら、品質を落としてでも納品するしかない。
家の近くで慌ただしい音がする。
この時間は周囲はとっくに店じまいをしていて静かなものだ。
慌てて火のついた燭台を掴み、階段を下りる。
急いでドアを開けると、今まさに鍵を開けようとしていたエルザと目が合った。
「あらあらー」
そう言ってエルザが苦笑する。
予定よりは遅かったが無事に戻ってきたようだ。
「よく戻った。首尾はどうだ?」
「それは勿論、ただ……」
奥でアレクシアがアズに肩を貸しているのが見えた。
「アズ? どうかしたのか?」
「戦闘で水を被ってしまって、それから悪寒がすると思ったら風邪をひいたみたいです」
やや枯れた声でアズがそう言う。
風邪は厄介だ。なぜか司祭の浄化では風邪は治療できない。
暖かくして、栄養をとって休むしかない。
アズが風邪をひいたことでどうやら少し遅れたらしい。
だが、まだ間に合う。
とりあえずアレクシアにアズの着替えやらを任せ、エルザから白銀桃のエキスを受け取る。
「一旦休め。俺はラミザさんにこれを届けてくる」
「こんな夜更けにですか?」
「ああ。事前にこういう事態があるとは言ってある」
「分かりました。気を付けて」
戸締りも任せて燭台を掴んだままラミザさんの店に走る。
店は素通りし、裏の住居に走って扉を叩く。
何度も大きく叩くと、中から死んだような顔をしたラミザさんが出てきた。
「ちょっと、睡眠妨害はお肌の天敵なんだけど」
「そういうな。持ってきたぞ」
「お、本当に優秀なんだねあの子達。君も鼻が高いだろ」
「ああ」
白銀桃のエキスが入ったフラスコを渡すと、一気に目が覚めたようだ。
寝間着のまま調合部屋に走り、早速栓を抜いて様々な薬品と混ぜる。
「純粋な白銀桃の果汁はすぐにその輝きを失っちゃうから」
そう言ってフラスコを振る。
何度かその作業を繰り返し、ようやく目的の濃度になったのか香料の原料と混ぜ始める。
するとひたすら甘い香りだった香料の匂いが変化し始めた。
これだ。
アテイルに持っていった香料の匂いそのままだった。
「詰めるのは宜しくね」
「分かった」
漏斗を使ってガラス瓶に一つ一つ手作業で入れていく。
もしこれを自動化できたら楽だろうな、なんて考えながら中身を注ぐ。
途中の破損も考えると二百二十個分だ。
朝までに終えて、それから包装して……今日は眠れないな。
百個ほど注いだ辺りで一度腰を伸ばす。
ラミザさんは必要な分を作り終わったからと椅子で寝てしまった。
ここ数日缶詰めになっていたから仕方あるまい。
残りの分を入れるか、と構えるとアレクシアがやってきた。
着替えと入浴だけしてこっちにきたらしい。
「手伝いに来ましたわよ」
アズをエルザに任せたようだ。
こいつも大分疲れているだろうに。
二人で残りの香料を瓶に詰め、蓋を閉める。
それをただ繰り返す。
「こうやって出来てたのね」
アレクシアが最後の1個に香料を注ぎ、蓋を締めながら言う。
確かに中々工房の中を目にする機会はないだろう。
ラミザさんの工夫で、蓋をしたまま押すだけで霧状の香料が散布できるようになっている。
この辺りの工夫も気に入ったのかもしれない。
「後は箱詰めして包装だけだ」
「ええ。終わらせましょう」
アレクシアの手先は俺よりも器用で、最初こそ手間取ったもののすぐに慣れて俺よりも早い。
なんでも金のない騎士の家では内職をこっそりやる家もあるのだとか。
世知辛い事情を聴きながら包装していくと、朝になる頃には目途がついていた。
「……流石に、眠いですわ」
そう言ってアレクシアは壁にもたれかかり眠ってしまった。
どうやらこちらも割と無理をしていたらしい。
身体が冷えない様に毛布を被せる。
二人を起こさない様にこっそりと調合部屋から出て、自分の店に戻りラバ達を起こす。
馬車を調合部屋まで移動させ、荷台に香料を詰め込んでいく。
香料の入れ物は中身が分かるようにガラスを採用しているので、積み方も気を付けなければならない。
商品を傷つけない梱包技術も商人の求められるスキルだ。
全て積み終わったら動かない様に布で固定する。
伸び縮みするような素材があれば便利なんだが……。
納品の期日まで残り三日。
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