第135話 間に合うかどうかではなく、間に合わせるんだ
馬車に全員を乗せ、慌ただしく都市アテイルを出発する。時間との戦いだ。
公爵家家令の貴族からは割符と共に一枚の紙を渡されていた。
これがあるから相手を公爵家の人間と信用したのもある。
流石に口約束だけで動くのは怖い。
だが貴族相手に貴方は本物ですかと聞くわけにもいかない。
その辺りの配慮もあるということだろう。
公爵夫人のレクレーヌ様とやらは商人とのやり取りに確かに慣れているようだ。
そこには納める品物と個数、料金が記されており、最後に署名と公爵家の家紋が模された印がある。
こんなもの偽造すれば即死刑だ。
宿の人間も家令の顔を知っていたようだし、大丈夫だろう。
都市の城壁を背にラバを急かす。
アレクシアがため息をつきながらラバと馬車が通れる幅の足場を固めていった。
ラバは指示を正確に理解し、馬車を力強く曳く。頼りになる。
ここに来るさいに作った道は他の商人たちが利用していたので、この道もそうなるかもしれない。
道路事業とか儲かるかな?
「途中の休憩と夜の睡眠以外は移動する。ただ気分が悪くなったら言えよ」
「どの位余裕があるんですか?」
「難しい所だ。行き帰りはアレクシアとラバの頑張りで大分余裕があるんだが、モノの確保がない。一応こっちに来る前に増産しようって話はしてたが、流石にこの個数に対応できるほどは……」
「あららー、大貴族相手に納品できません。じゃ済まないですからね」
「ああ。まあ千個とか言われたら不評を買っても無理だと言ったが、この数ならいける」
「その辺はご主人様の仕事ですから、頑張りなさいな」
アレクシアの言葉に頷く。
貴族は商人にとって困った相手だが、同時に上客になりえる。
以前貴族と大口の取引をしたときは冷や冷やしたが、大きな儲けになった。
アクエリアスでのアーグ男爵との取引は全くもってうまみはなかったが。
魔物も極力無視して移動する。
どうしても追ってくる奴はアレクシアに魔法で吹き飛ばしてもらった。
今は素材を拾う時間も惜しい。
急いで二日かからず、生まれ育った都市カサッドに到着した。
ラバにもアレクシアにも無理をさせてしまったな。アレクシアは疲労でうつ伏せになっていた。
カサッドは随分と賑わいを取り戻している。
代理領主のジェイコブは変わらず上手くやっているようだ。
そのまま領主になってくれないかな。
タフなアレクシアも疲れ切っていたのでアズとエルザに任せた。
ラバと馬車は店の裏に繋ぎ、オルレアンに水と飼葉を用意させる。
場所だけ教えておいたので大丈夫だろう。
アズたちの手が空けば手伝うだろうし、今はそれどころではない。
店の裏から表を覗く。
保存食を買っていく冒険者の客が見えた。
どうやらその客が店内最後の客だったようで、従業員だけになる。
小声で従業員を呼び込んだ。
「店長。戻ってたんですね。帝国への行商は楽しかったですか?」
「まあな。土産話もあるんだが、今はそれどころじゃない。石鹸と香料は今いくつある?」
「あー、それがですね……」
従業員は気まずそうに眼を逸らす。
(この反応は何だ? まさか何かやらかしたのか?)
ヘマをやらかすとこの癖が出ることはそれなりの付き合いで分かっている。
「いいからサッサと言え。時間がない」
「ええと、こっちに来てください」
棚に品物を補充していたもう一人に店番を任せて、従業員と共に倉庫に向かう。
倉庫の鍵を開けると、中には石鹸が山積みになっていた。
「ちょっと寝惚けて発注しちゃって。すみません。売れ行きはいいので、時間はかかるけど必ず捌けます。減給とかクビは勘弁してもらえませんか」
「今いくつあるんだ?」
「三百個です」
「支払いは?」
「現金で払いました。その代わり割引してもらってます」
普段なら怒号を飛ばすくらいのミスだ。
いくら売れると言っても一度に仕入れては他に回せる資金が無くなってしまう。
「石鹸はまあいい。あるのは分かった。香料は?」
「ええと、はい。香料はこっちです」
一角に香料の在庫がある。
今回必要なのはフレグランスと呼ばれているタイプだ。
数は精々二十個か。
「今回のことは大目に見てやる。その代わり石鹸を一個一個包装して運ぶ準備をしておいてくれ。全部で二百十個だ」
発注は二百個だが、予備も含めて少し増やしておく。
何事も無ければサービス品にすればいい。
大事なのは確実に納めることだ。
「はぁ……はぁ!? 二百十個もですか」
「ああ。急げよ」
「分かりましたよ。その代わりこの件はお咎めなしですからね。約束しましたからね」
「俺が嘘をついたことがあったか?」
「確かにないですね」
結果的にだが石鹸は問題ない。
上手く種類もばらけてあるようだ。
後の問題は香料か。
「後は頼むぞ。俺は出てくる」
「はーい」
従業員の気の抜けた返事を聞きながら店を出るとき、用事の終わったアズと会う。
「アレクシアさんは水を飲んだら横になりました。お出かけですか?」
「そうだ。丁度いい、ついてこい」
「分かりました」
話もそこそこにアズと共に移動する。
余計なことを言わないのがアズの良い所だ。
香料は錬金術でもある薬屋から仕入れている。
店の位置は割と近い。
いつもと変わらず寂れている店の扉を開けると、店主の女が暇そうにこちらを見る。
「ヨハネ君、どうしたの?」
「ラミザさん、久しぶり」
売れない薬屋の店主であり、錬金術師が本業のラミザさんが顔を起こす。
多分寝ていたなこの人。
腕はいいが、そもそも働くのが嫌い。
うちや他の店にポーションなどを下ろすだけで生計が立てられるので、この店は売れなくても構わない。
ただ働いてないと思われると困るからやってるだけ、とは彼女の言葉だ。
ただ今回は働いてもらう。
あれだけ高品質の香料を作れる人はこの人だけだ。
仕事の気配を感じ取ったのか、ラミザはうへーといった顔をする。
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