第112話 やりとりされた手紙

 領主の館に水の巨人が進んでいく。

 歩みは遅いが巨体の一歩は大きい。


 それはまさに神のような威容だった。


 一歩ごとに都市が揺れ動く。


 その様子を野次馬と化した住民達が遠巻きで追いかける。

 ザワザワと話しながら。


「あのまま突っ込むのかな」

「でしょうね」


 水の巨人がある程度領主の館に近づくと、それに気付いたアーグ男爵が館から出てきて魔導士を数人引き連れてきた。


 慌てて魔導士達に攻撃の指示を出す。

 魔導士達は水の巨人に向けて魔法を撃つ。


 様々な属性の魔法が水の巨人に衝突するが、水の巨人の質量を考えればほとんど効果がない。

 歩みを止める事すら不可能だ。


 そして水の巨人は館に到着すると、左手を大きく天に向かって振りかぶった。


 分かりやすい予備動作だ。

 館の人間達は慌てて非難する。


 アーグ男爵達は下がりながら必死に抵抗を続けていた。


 水の巨人の左手が館の左にある建物に叩きつけられた。

 轟音の衝突音の後に、もう一度爆発するような音がしてそこから蒸気が上がる。


 どうやら水の巨人が叩いたのは鍛冶用の小屋だったようだ。

 火をガンガンに焚いていたのだろう。


「ああそうか。あそこで燃える石を燃やしていたのか」

「……やっぱり、居ましたわ」


 水の巨人は左手で何かを掴んでいる。

 そしてそれを持ち上げると、手の平を開いた。


 手の平の上には水の球体がある。

 水の球体はゆっくりと水の巨人の中に入り込む。


「なあ、アズ」

「はい、なんですか?」

「でかくなってないか? あれ」

「なってますね」


 現実味が無さすぎて一応アズに尋ねてみたが、やはり水の巨人は大きくなっているようだ。


 水の巨人は重くなりすぎたのか、重心が僅かに前にずれるとそのまま倒れ込む。

 倒れ込む方向は……領主の館だ。


 水の巨人は館をその巨体で潰しながら地面に倒れた。

 そしてそのまま巨人の形が崩れ、水に戻る。

 その水は周辺に一気に広がっていく。


「水が流れてくるぞ!」


 誰かが叫んだ。

 アーグ男爵達は水が直撃して少し流された。


 こちらにも水が来る。


 慌てて避難しようとしたが、人が集まっているので動きにくい。

 そこに水が勢いよく流れ込んできた。


「大丈夫ですわよ」


 アレクシアがそう言うと、水が人をよけていく。

 俺達を含めて皆その光景に呆気にとられていた。


 水はそのまま枯れた地面を目指し、大地に染み込んでいく。

 雨がいつの間にか降り止んでいた。


「どうなってるんだ?」

「さあ……?」


 住人達は突然の出来事についていけない様だ。


 そんな中、流されたアーグ男爵達が立ち上がり、こちらへと向かってくる。


「なんなのだこれは!」


 そう言って怒鳴ったが、びしょ濡れの状態では威厳もない。


「あれはなんだ。説明しろ」


 そう言って彼は住人の男の胸ぐらをつかむ。

 捕まれた住人は慌てて説明すると、アーグ男爵は苛立たしげに手を放した。


「そこのフードの女! 貴様の仕業か!?」

「あら、私は役人と話して雨を降らせただけですわ」

「その雨がああなったのだろう?」

「あんなの、人間がどうこうできるとお思いで?」


 アレクシアも鬱憤が溜まっていたのだろう。

 あるいは、この状況ならどちらが優位なのか見極めたのかもしれない。


「何が言いたい?」

「水の精霊を捕まえるのは、人の手に余ると言っているのです」


 周囲がざわつく。

 肥沃な大地に、豊富な水。それがこの都市を支えていたのだ。


 住人達も水の精霊には馴染みがあり、一部では信仰の対象にもなっているとここ数日で聞いた。


 喧騒が大きくなる。


 アーグ男爵はなおも言葉をつづけようとしたが、その様子を見てたじろいだ。

 ようやく言葉を絞り出す。


「何を根拠に」

「今見た光景が全てですわ」

「ぐっ……、ええい、貴様は何なんだ。フードを取れ!」


 アレクシアを見る。

 するとこちらに向かって頷いた。


 正体を晒す覚悟はできているという事か。


 アレクシアがフードを取る。

 その姿を露わにすると、水の精霊がその隣に浮いた。

 ざわめきがより大きくなる。


「あれは……アレクシア様じゃないか」

「間違いない。生きていたんだな」

「何しに来たんだ……?」


 必ずしも歓迎の声ばかりではないが、それでも表立ってアレクシアを非難する者はいない。


 アーグ男爵は、目の前の人間が前領主の娘であることに驚いたようだ。


「アレクシア……アレクシア・ブバルディアか! のこのこと敗残した領主の娘が何をしに来た」

「何って、燃える石を売りに来たんですわ。そうしたらこの惨状、不思議に思ったら水の精霊が教えてくれましたのよ。あと家はもう残ってませんからアレクシアで結構です」

「ぐっ、だからといって余計な事を!」


 そう、呼び込んだのはアーグ男爵だ。

 ここからどうするか。


 俺達を捕まえるなら住人達も反発するだろうが、強行するなら無理やりにでも逃げるしかない。


 すると、以前カロルスと名乗った男がゆっくりとこちらに歩いて来た。


「やあ、盛り上がってるね」

「カロルス殿、無事だったようで」

「ああ。ところでアーグ男爵。こんな事をしている場合じゃないのでは?」

「今大事な話をしておるところで……それは?」


 カロルスが手紙らしきものを手に持っている。


「いやぁ、良くないな。伯爵とのやりとりを見せて貰ったけど、少しやりすぎだ。水の精霊を捕まえて渇水と引き換えに精霊石にしようだなんて」

「なっ、馬鹿な。それは金庫にしまっていたはず。まさか開けたのか!?」

「都市のひとつを犠牲にするだなんて、これは大きな問題だ。君の上である伯爵にも累が及ぶだろうね。これは急いで家に戻らないと」


 アーグ男爵の顔がみるみるうちに真っ青になる。

 アレクシアは腕を組んでアーグ男爵を見つめると、一言呟いた。


「それで、どうしますの?」

「て、手紙一つでは」

「周囲を見てもそう言えるかい?」


 住民達がアーグ男爵を見ている。


「これは、違う、誤解だ。私に何かすれば帝国に対する反抗だぞ」


 そう言いながら後ずさる。


「だから言ったでしょう。こんな事をしている場合じゃないと」


 カロルスがアーグ男爵を見ながらそう呟いた。


「ぐっう、ええい! いくぞ」


アーグ男爵はその場から立ち去った。


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