第110話 雨よふれふれここにふれ

 周囲の人たちが見守る中、アレクシアが戦斧を握りしめて魔法陣に魔力を流し込む。


 可視化されるほどの膨大な魔力。


 それが魔法陣から空へと昇り、都市を覆う。

 本来このような環境を変えるほどの規模の魔法は都市内では決して使えない。


 危険であり、許可が下りないからだ。

 この都市のような極めて特殊な環境だからこそ認可されたといえる。


 そもそも役人からの依頼というか、懇願だった。


 一応もし本当に雨が降ったら、役人も含めて周囲に金を木箱に入れてくれると嬉しいとは伝えている。


 都市を覆った魔力はまず水となり、そして蒸気となる。


 水と火の混合魔法と言っていたが、どういう理屈なのかは少し気になるところだ。


 暫くその状態が続く。

 少しずつざわめきが大きくなってきた。


 魔力が垂れ流されていく。


 さらに時間が流れた。


「やっぱり、雨なんて無理なんじゃないか?」


 近くでそんな声が聞こえる。

 アレクシアを非難するような声はない。

 だが、諦めを感じさせるような暗いムードが漂い始めた。


 魔法の事は分からない。だが、余りにも空気が乾きすぎている気がする。


 そんな中、一人の老母がアレクシアに向かって膝を地面に付けて祈り始めた。


「このままでは孫が余りにも不憫じゃあ……頼む、頼む」


 そんな老婆を見た後、再びアズとアレクシアを見る。

 アズは額に汗が浮かび始めている。

 アレクシアはフードを被っていて表情は分からないが、これほどの魔力を放出して平気な顔だとは思えない。


 このまま失敗するんじゃないか? という声が上がり始めた頃、少年が空を指さした。


「雲、雲が来てる!」


 周辺からまるで生き物の様に蠢きながら、灰色の雲が集まってきた。

 周囲はどよめきと混乱で声が大きくなり、半ばパニックだ。


 そんな中、アズが立っていられず地面にへたり込んだ。


 急いで近づいて体を支えてやる。


「無理をするな」

「まだ、大丈夫です……雨が降れば、皆喜びますよ」


 アズはそう言って、もう一度立ち上がる。

 足元が震えている。

 立っているのも限界だろうに。


 アレクシアの顔を見る。

 完全に集中して、トランス状態に入っていた。


 恐らく、魔力が完全に切れるまで反応することは無いだろう。

 そんなアレクシアの周りに小さな何かが纏わりついている。


 爪ほどの大きさの青い球体。

 これは……?


 疑問に思った瞬間、その球体が戦斧にぶつかってそのまま魔法陣へと流れ込み、空へと向かう。


 都市を覆うほどの雲に合流した瞬間、鼻に土のにおいが漂った。


 これは、雨が降る直前に感じる匂いだ。


 次の瞬間、額に何かがぶつかった。

 冷たいなにか。


「雨だ!」


 誰かが叫んだ。


 雨が降っている。

 この乾ききった筈の都市で雨が。


 絶叫のような歓声が都市を包み込む。


 雨は勢いを増し、都市を包み込む。


 あるものは慌てて水瓶をいくつもならべ、あるものは服を着たまま雨に打たれている。


「ちゃんとした雨なんて何時振りだ……」


 そう呟いたのは門番の男だった。

 どうやら仕事を放り出して見に来ていたらしい。


 アズが安心したのか、腰を抜かしたのでそのまま肩を貸す。

 すると消耗が激しかったのか寝てしまった。


「お疲れさん」


 アレクシアは魔法を継続している。

 雨の魔法が成功したからか、トランス状態からは脱したようだ。


「思った以上に空気が乾いてて、少し焦りましたわ」


 アレクシアに飲み物を渡すと、それを一気に飲み干してしまう。

 アズほどではないが、アレクシアもふらついている。


 戦斧を支えにしてようやく立っているだけだ。


 一番元気なのは間違いなくエルザだろう。


「私も祝福を維持するのは辛いんですけどー?」

「分かってるよ、エルザもご苦労さん」

「もっと心を込めて労ってください」


 そうねだるエルザは無視して、アレクシアに向き直る。


「やったじゃないか。流石に雨を降らすなんて最初は冗談かとも思ってたが」

「出来ない事は言いませんわ」

「そうだな。お前はそういう奴だ」


 都市の汚れと共に、雨は全てを洗い流す。

 人の不安も、乾きも。


 少女が老婆と共に近づいてきた。


「お姉ちゃん。凄いね」

「雨が降って嬉しい?」

「うん。お祖母ちゃんがずっとお水の事を気にしてたから、嬉しい」


 老婆は何も言わず両手をアレクシアに向けて拝んでいる。

 そして去り際に一言呟いた。


「誰も、貴女の事は恨んでませんよ」


 アレクシアの方を向く。

 小さい声だった。彼女の耳にその言葉が聞こえたのかは分からない。


 だが、その表情を見れば一目瞭然だ。

 アレクシアの泣きそうな顔は始めて見た。


「見ないで……ちょうだい」


 そう言って彼女は顔を伏せる。


 魔法陣の周囲は雨を弾いている。

 そのお陰で四人とも濡れずに済んでいた。


「この雨はどれだけ続くんだ?」

「二日ほど、ですわ。それ以上降ると今度は水害が起きますし……」


 確かに、いくら待望の雨だからと言って無限に降られると困る。


 要はバランスなのだ。

 だが、雨の魔法が解けるとまたあの乾いた空気が戻る。


 それを防がなければならないのだが……。


「ふふ。私が何も考えずに雨を降らせたと思います?」


 涙を拭いたアレクシアは、指を空に向ける。


「アーグ男爵は精霊に関して碌に知識がないのは直ぐに分かりましたわ。知識が有れば、水の精霊に対価を渡して精霊石を少しだけ分けてもらうことも出来たのに」


 そして次に指をアーグ男爵の館に向ける。


「そして、知識が有れば雨が降るなんてこと、絶対に許可しなかったはずですわ」


 アレクシアが不敵に笑った。

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