第108話 雨の準備

「まだ水の精霊石は出来ないのか!」


 アーグ男爵の叫び声が部屋に響く。

 その声に側近の男は汗を拭いながら釈明した。


「最初に比べて随分と小さくなりました。あと少しかと」

「次の元老院選出まであまり時間が無いのだぞ……。伯爵様が元老院の一人に選出させれればこんな場所ではなく、帝都に返り咲ける。子爵も約束されたようなものだ」


 ワインの入ったグラスを乱暴につかみ、それを一気に呷る。

 そして口元についたワインをハンカチで拭う。


「ふぅ。喉が渇いて仕方ないな」

「そう言えば男爵様。昨日から水を売る者たちが現れたとか」

「んん? ほう。まあ売れるだろうな」

「如何しますか?」

「そんなものは放っておけ。大して水を配っていなかった領民の不満も多少逸れるだろう。ああ気になって仕方ない。いまどうなっているか確認しに行く」


 アーグ男爵は側近の男を押し退け、部屋から出ると一目散に館に併設された鍛冶場に向かう。


 鍛冶場の中は凄まじい熱気に包まれていた。

 その中心では水の精霊が捕らわれている。

 部屋の外から数名の魔導士が魔法によって結界を作り、水の精霊を抑え込んでいた。


 その水の精霊に熱を送る為に、その直下で燃える石が積まれて火をつけられている。


「最初に比べて随分と縮んだな」

「でしょう。後七日もあれば恐らく精霊石化すると思われます」

「七日か。それならば間に合う、か。燃える石を追加しておけ」

「分かりました」


 水の精霊は凄まじい熱気に包まれた部屋でゆっくりと蒸発している。


「しかし精霊一つで周囲にこうも影響があるとはな。まあだからこそ価値があるのだろうが」

「正直少し心が痛みますね」


 側近の男の言葉にアーグ男爵は鼻を鳴らした。


「ここは長年肥沃な土地だったのだろう? 偶には飢えや渇きも経験しておいた方が良いのさ」

「それは……」

「食料だけが取り柄の都市。それなりに安定はしているが、私の金にはならん。先代の領主が魔物も魔獣も狩りつくしたみたいだしな」


 二人が話していると、側近の部下の男が走ってこちらに向かってきた。


「あ、あの」

「何だ騒々しい」

「お客様がいらしています……マグヌス侯爵家の方が」

「マグヌス侯爵家? 誰が来ているんだ」

「カロルス様とおっしゃっていました」


 アーグ男爵は少し考える。


「確か……マグヌス家の三男だな。家督は継げないから旅に出たんだったか」

「領主であるアーグ男爵にお会いしたいと。この都市は以前数年ほど滞在していたみたいです」

「ふむ。マグヌス侯爵家の人間を追い返す訳にもいかんな。私の部屋にすぐに通せ」

「はっ」



 少しして、アーグ男爵の部屋にカロルスが通される。


「お久しぶりですね、アーグ男爵」

「む? どこかでお会いしましたかな」

「ええ。私がまだマグヌス家に滞在していた時にパーティーでお会いしました。随分前の事なので覚えてないのも無理はないですよ」


 アーグ男爵はカロルスを見ながら考える。

 野心がある彼としては、それなりの立場がある人間は可能な限り覚えるようにしていたはずだ。


 パーティーで格上の地位に関係した人間を忘れる失態は犯すとは。

 あるとすれば、何かのついでに僅かな挨拶で済ませたのかもしれない。


「それで、何の御用かな? 私も忙しい身でね」

「懐かしい場所に立ち寄ったら、随分と様変わりしていたので少し話を聴けたらなと」


 アーグ男爵はカロルスをジロジロと見る。

 マグヌス侯爵家の三男坊。

 彼本人が貴族位を持っているわけではないのでアーグ男爵が無理に頭を下げる相手ではない。


 ただ無体に扱わなければ良いだけだ。


「ここ最近日照りが続いてましてね。とりあえずこちらにどうぞ」

「日照りですか。私も見たことがあります。あれはとても大変だ。ではお邪魔します」


 アーグ男爵の後ろに続きながら、カロルスの目はアーグ男爵ではなく別の場所を見ていた。

 水を売っていた一団の居た方を振り返り、小さく呟く。


「ふふ。相変わらずの魔力だ。腕は衰えてない様だね、アレクシア」








「今何か言いました?」


 アレクシアは振り返り、ヨハネに尋ねる。

 雨の準備を名目に水の販売を早めに終えて、必要なものを集めている最中だった。


「いや、何も言ってないが」

「なら構いまわんわ。雨、雨か」

「やっぱり難しいのか?」

「簡単ではありませんけど、一度やると言ったのです。二言は無くてよ」


 そう言ってアレクシアはメモを書いていく。


「これを用意して。手に入りやすい触媒に絞ったから揃うはず」

「どれどれ、水のクリスタル、涙の結晶、ミスティックストーン?」

「さあ時間がありませんわ。早速行ってきて」

「分かった分かった。これなら確かに錬金術か道具屋で揃うな」


 ヨハネはそう言うと買い出しに向かう。


「道具関連は主人に任せておけば大丈夫ですわね。本職ですし」

「何か手伝う事はありますか?」


 アズがアレクシアに尋ねる。


「じゃあアズは一緒にこの通りに絵をかいて。少し大きく、それで綺麗であるほどいいわ」

「分かりました。やってみます」


 アズは渡された紙を見ながら地面に炭で絵をかく。

 少し線がガタガタしていたが、許容範囲だ。


「私はどうしましょうかー?」

「エルザ、あんたは明日扱き使うから今は休んでて構いませんわよ」

「そうなの?」

「ええ。今の私だと小さい範囲でも雨は厳しいから。明日は一日祝福を維持してもらいますわよ」

「一日、ですか。まあいいです。人助けも司祭のお仕事だし」


 着々と準備を進めていた。

 周りの住民も邪魔にならない様に遠くからその様子を窺っている。

 多くのものは雨を降らすという言葉に半信半疑の様子だった。

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