第97話 あの夜の日

ヨハネ様は幾つかの書類を眺めている。

私達に割り振る仕事の事を考えているのだろう。


「とりあえず、今日は休んで良いぞ。アズもよく休め」

「分かりました。失礼します、ご主人様」


そう言ってヨハネ様の部屋から出る。

顔が少し熱い。どうしても心臓の鼓動が速くなる。


……あの夜の事が頭から離れない。

ついヨハネ様の事を頭に思い浮かべてしまう。


ずっと、私がどう思われているかは気になっていた。

沢山褒めてはくれるけれど、あまり言葉にはしてくれなかったから。


最初に買われた日からずっと、今度は捨てられたくないと思っていた。

ただそれをどうすれば良いのかかが分からなかった。


奴隷なのだから、言われた通りにすれば良いのかなと思ってはいたのだけど。


あの夜、見回りの末に出てきた銅像を相手にするのは怖かった。

でもエルザさんが前に出てくれたので私は周りから斬りつけるだけで済んだ。


銅像は私達だけじゃなく、冒険者の皆で戦ってようやく倒せたまでは良かったのだけど。


その後、領主の息子が来た時に物凄く嫌な予感がした。


後ろに神殿騎士を引き連れてきた領主の息子は、銅像を壊した私達を強く責めた。

しかし、この銅像はもう動物を殺めていて、更に人を殺そうとしたのを私は見ている。


だから何を言っているのかと思ったし、それは他の人も同じだった。


領主の息子は私達の意見を聞かず、神殿騎士を差し向けようとしてきた。


……そして、ヨハネ様が私達の前に立った。


私達、いや私を庇ってくれたのは本当に嬉しかったのに、嫌な予感はより強くなる。


神殿騎士の1人、確かエヴリスという人がヨハネ様に剣を突きつけてた。


そして領主の息子が言った言葉は、私の頭を殴るような衝撃を与えてきた。


2万枚の金貨。

私の値段など比較できない。どうやればそんなお金が用意できるか、私には想像も出来なかった。


そのお金と、私達三人の命のどちらかを選べ。


そんなの決まっている。

ヨハネ様は何時もお金のことを大事にしていた。

お金を稼ぐから私達を大事にしてくれていると私は思っているし、そうだと感じていた。


お金を稼ぎ続ける限り、私には価値がある。その価値を証明できる。


だというのに、そのお金と私達を選択して選べという。

膨大なお金。主人の命の次に大事なお金。


心臓が止まるかと思った。

私は選ばれない。ヨハネ様は私を絶対に選ばない。


また捨てられる。


そう思った途端、銅像と戦って全身が熱いほどに体温が高くなっていたのに冷たく感じた。


背筋に虫が這うような感覚が余りにも受け入れられなくて、私は剣を抜こうとした。


だけど、エルザさんを私を止めた。

エルザさんの力は強くて全く解けなくて、私は嫌でもヨハネ様の選択を聞かなくてはならなかった。


怖い。

実の両親の時は、私を疎んでいたのが分かっていた。

いつか捨てられるのが分かっていたから、心の準備は出来たのに。


ヨハネ様からは聞きたくない。


耳を塞ぎたかった。


……そして、ヨハネ様が口を開いた時。


私の心臓は止まったと思う。

私の価値。ああ、そうか。

もう、認めてくれていたんだ。


涙がいつの間にか流れていた。

流れる涙が余りにも熱を持っていて火傷しそうだ。


そして、右目が信じられないほど熱くなった。

燃えるようなほどの熱が右目から全身に広がり、私はただ剣を振り上げる。


神殿騎士の右腕を斬るにはそれで十分だ。


あれだけざわついていた心が静まり返っており、私の覚悟は自然と決まっていた。


命を捧げようと思ったのは覚えている。

ヨハネ様の為に、ヨハネ様を脅かす者を殺す。


そう自然に思った。


私を見てエヴリスは怯えたようだった。

関係ない。


ヨハネ様が傷つけられる位なら、このまま領主の息子たちを殺しても良いと思った。


幸い、そうはならず。

再び動いた銅像はエルザさんに言われるまでもなく二つに斬った。


頭部に炎が出た瞬間、物凄い力が右目から漏れ出た気がする。

後々説明されたのだけど良く分からなかった。


主人の、ヨハネ様の役に立てるなら良い。


ベッドに座り、首にぶら下げた道具入れの中から一枚の銀貨と金の髪飾りを取り出す。


これはヨハネ様から与えられたものだ。


始めて貰った銀貨一枚はずっと手元に置いている。

記念にくれたものを道具入れに保管していた。


眺めるだけで気持ちが熱くなる。


(……此処に居ても良いんだ。うん。頑張ろう)


余り本心を語ってくれないヨハネ様があそこまで言ってくれたのだ。

私もようやく、自分を信じられるようになった。


少しでも多く、恩を返そう。


それがきっと、私の主人の助けにもなる筈だ。


そんな事を考えていると、眠気が強くなってきた。

ベッドに身を預けて横たわる。

右目に変化があった日以来沢山寝るようになった。


日中は問題ないのだが、疲れているのかもしれない。


横になってすぐ、瞼を開けられない状態になった。

眠気に逆らわず、そのまま意識を手放せば眠れるだろう。


明日からも、主人の役に立たなければならない。

その為には良く眠る事が大事だ。


時間的には早いが、私は眠る事にした。





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