第89話 長い夜の始まり

 主人はアズ達を再び見回りに出して家で待機する。

 正直気になって仕事どころではないが、待つのも仕事だ。


 何か起きたら見に行けば良い、と判断した。


 見回りが強化されて、夜にもかかわらず人の気配が多い。

 肝心の馬や動物を襲った何かはそれを警戒してか鳴りを潜めた。




 1日、2日と経過するが、見回りは不発に終わる。


 何事も無ければそれが一番ではあるのだが、事件が解決したわけではない。

 領主の息子は、毎日銅像を見てご満悦のようだ。


 神殿騎士はそんな領主の息子をおだてている。

 分かりやすいおべっかばかりだ。


 あの神殿騎士は、領主の息子が税金を払っていないのを知っているのだろうか?


 見回りが強化されて3日目。

 主人から見ても街全体がピリピリとしていた。


 今日は何かが起きる、そんな予感がした。

 役人が到着する日取りも近い。


 主人に出来るのは、待つことだけだ。







 アズ達は自分たちの持ち回りのルートを警邏する。

 夜にもかかわらず、どうにも生暖かい日だ。


 アズは背中に嫌な汗が流れるのが分かった。


 街そのものは眠りに入り、静まり帰っている。


 だが、所々に明かりが見えそれが動いていた。


 警備隊も含めれば街全体をカバーできるだけの人数が投入されている。

 少し前に遭遇したあの黒いものの大きさを考えれば、もし動けばどこかで引っかかるだろう。


 見回りも数日続けば話す内容も無くなる。

 3人とも喋ることなく周囲を見渡して、異常が無いかを確認する。


(今日も異常なし、かな)


 アズはそう感じた。

 折り返し地点に到着した。

 こう見回りが続くと、地図が無くても覚えてしまう。


 広場の近く。

 念の為、アレクシアが銅像の方へ明かりを向ける。


 まず台座が照らされ、それから銅像本体の姿が見えるはずだったのだが――。


「居ない!」


 銅像の姿が無かった。

 アズは以前渡された赤い棒を空に向け、紐を引っ張る。


 色付けされた火が空に向かって放たれると、一番近くの見回り櫓に取り付けられた半鐘が鳴らされる。


 じきに人が集まるだろう。

 アズ達が知らせるまで何もなかったことから、銅像が此処から消えたのはつい今しがたの可能性が高い。


 人が集まる途中で遭遇するかもしれない。


 アズは周囲を警戒する。

 銅像が居ない以外は特に何もおかしなところはない。


 だが、銅像は黒い金属を加工して作られている。

 真っ暗な夜の中でそれは迷彩として機能するだろう。


 半鐘を聞きつけ、見回りをしていた警備隊や冒険者が広場に到着してきた。


 台座の上にカンテラを置いてあるので、何が起きたのかがすぐ伝わる。

 広場に人が増える。


 だが、あくまで周辺の人員のみだ。

 街全体の人を集めるにはもう一度合図しなければならない。


 銅像が見つけなければ手薄な場所を生み出してしまう。

 まだ二度目の合図は早い。

 そう告げたアレクシアの助言にアズは頷く。


 警備隊の男が合図をしたアズに近寄ってきた。


「銅像そのものは見ていないのか?」

「はい。私達が来た時にはもう居ませんでした」


 そう答えると、警備隊の男はあからさまに溜息を付いた。

 何事も無ければ帰宅して眠っている時間なのに、とぼやいている。


 それは私達も同じなんだけど、とアズは心の中で呟いた。


 ふと、アズは右を見る。

 何故と言われてもアズ自身にも分からないが、右目が疼いた気がしたからだった。


 そこには、信じられないほど大きな口を開けた銅像が居た。

 警備隊の男のすぐ近くだ。

 警備隊の男は気づいていない。


「あっ」


 何か言わねばならない、とアズは思った。

 だが咄嗟に声が出ない。


 アズの呟きに警備隊の男は顔を上げる。

 そしてアズが見ている方へ顔を向けた。


 警備隊の男が見たのは、大きく開けられた口の中だった。


「ひぃぃ!?」


 警備隊の男の悲鳴が上がるのと同時にアズは剣を抜き、銅像の顎を打ち抜く。

 大きく開けられた口が閉じて、間一髪で警備隊の男には届かなかった。


 警備隊の男は腰を抜かし、後ずさる。

 台座に男の背中が当たった。


「化け物だ!」


 警備隊の男が叫ぶと、広場の人間もこちらの異常に気付く。

 銅像の大きさは成人男性より身の丈も横幅も大きい。


 銅像と比べるとまるで警備隊の男が子供のようだ。


 銅像は左手で顎を撫でた。


 そしてその直後、閉じられていた目が開かれる。

 青い火が灯っていた。


 それはカタコンベに居た4つ腕のスケルトンと同じものだ。

 銅像の表情が、無表情から激怒へと変わる。


 その姿はとても信仰されている神とは思えぬほど禍々しい。


 これでは、ただの魔物と何が違うのか。


「そんなに人間が食いたいのね。形を真似たら性根も移ったのかしら」


 エルザがメイスを構えた。

 同時に祝福がアズを包む。


「アズちゃん、こいつを放っておけばいつかご主人様を害するよ。だから、ね」


 エルザの言葉にアズは頷く。

 警備隊の男は先ほど死ぬ寸前だった。


 あれが主人であったならば。


 アズの両手に力が籠る。


 銅像が動くという異常事態ながらも、荒事に慣れた冒険者達は各々武器を構えた。


 警備隊の人間は判断に迷っているものが多い。戦力にはならないだろう。


 銅像が錫杖を構えた。

 圧倒的な威圧感を放つ銅像に真っ先に魔法を撃ちこんだのはアレクシアだった。


 火球が夜を照らしながら銅像へ向かう。

 銅像は錫杖を振り抜き、火球を霧散させた。


 錫杖の頭部についてある遊環が衝撃で鳴り響く。


 それを合図に、広場で戦いが始まった。

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