第87話 利権か、安全か

 フィンが去った後、主人は作業を再開しようとした。

 しかし一向に羽ペンが動かない。


 主人は溜息を付いた後、ペンを置いた。


 フィンの引っ越したら? という言葉と今の状況が余りにも引っかかるからだ。


「引っ越せるなら引っ越してるよ」


 主人以外誰もいない部屋で1人呟く。


 今のこの家はともかく、家の立っている土地、そして道具屋という商売。

 これらは親から引き継いだ利権なのだ。


 自分の土地だから借地料もいらないし、商人組合に参加しているからこうして店が構えられる。


 今の立場だってそうだ。

 この街の人間であるという証明がある。


 王国内といえど、他所の街に移れば余所者として始めなければならない。

 冒険者ならそれでも構わないだろう。

 泊まる場所と依頼があれば良い。


 だが商人となると難しい。行商人になるしかない。

 こうして店を開くとなると、どれだけ金と時間が掛かる事か。


 だがしかし、この街の状況は良くない。


 こうして帳簿を付けているが、この作業にもあまり意味が無い。

 税金は既に領主の息子が好き勝手に決めるからだ。


 銅像が完成したのに税はそのまま。

 むしろ上がる気配すらある。


 これでは人が寄り付かないのも当然だ。

 売り上げも落ちてきている。

 利権にしがみ付いて泥船のまま沈むか、いっそ新天地に行くか。


 王国の中枢に伝手があればこの状況を伝えられるのだが、残念ながら主人には無い。

 その辺は大商人がすでに動いているだろう。


 主人は立ち上がり、奥のある金庫を開ける。

 借りていた金は既に返した。


 その上で店の運転資金なども併せて金貨2000枚といったところだ。

 一般人からすれば大金ではあるが、商人としては大した額ではない。


 この金貨のうち主人が自由に使える金など金貨300枚程度だ。


 ようやく増え始めたところだというのに、人生とは上手くいかない。


 金庫の扉を閉める。


 すると、異変を知らせる鐘の音が街中に響いた。

 何かあったのだろう。


 このまま座っていても仕方がない。


 カンテラを取り出し、外套を着て外に出る。


 鐘のなっている地区に走っていくと、見回りをしていたであろう冒険者などもそちらに向かっていた。


 人だかりが出来ており、アズ達の姿も見える。


「なにがあった?」

「……馬が襲われました」


 アズが答える。

 一瞬ご主人様と言おうとしたようだが、人が多いので自粛したようだ。


 奥を見て見ると、馬が倒れている。

 腹の辺りが食われており死んでいた。


「家主の人が馬の声と物音で目を覚まして外に出たら、何かが馬を襲ってたみたいで、悲鳴を上げたら逃げ去ったようです」


 流石にこの騒ぎで警備隊の人間も遅れてやってくる。

 めんどくさそうに、襲われた馬の持ち主に事情を聴いていた。


 しかし、話を聞いているうちに警備隊の顔色が変わる。

 当然だ、と主人は思った。


 犬猫ならまだしも馬まで襲うとなれば、人間だって襲ってもおかしくはない。

 なにが馬を襲ったのかは分からないが、早めになんとかしなれば犠牲者が出る。


 多くの人が様子を見に来ていた為、警備隊は集まった人間を解散させた。


 どうやら警備隊も見回りに参加する事になったようだ。

 余り当てにはならないが、居ないよりは良いだろう。


 アズ達は既に見回りを終えていた。

 この地区は割り当ての場所ではない。

 担当者に任せて、一度家に戻る事にした。


 アズが先頭に立ち、それに続く。

 街は夜にもかかわらず、事件の所為でざわついていた。


「……妙ですわね」

「どうした」


 アレクシアが口を開く。


「馬を襲うような魔物が街にいるなら、探知に引っかかる筈なのですけど。それに馬の死体から考えて体格も大きいですわ。食欲も相当なはずですし、何時までも隠れているとはとても思えない」


 この中で一番魔物に詳しいのはアレクシアだろう。

 そのアレクシアが言うのであれば、信憑性がある。


「魔物じゃないかもしれませんねー」

「おいおい、魔物じゃなければ何だって言うんだ?」


 いくら腹が減っても馬を腹から食おうなんてやつは居ない。


「さぁ?」


 エルザは適当な事を言っただけなのか、それ以上は何も言わなかった。

 家に辿り着く。


 ふと、主人の視界の隅で何かが動いた気がした。

 彼はそちらへカンテラを掲げる。


「ご主人様、どうかしましたか?」

「いや、今何かが横切ったような」


 カンテラの明かりが道を照らす。


 フィンが主人の部屋から立ち去って時間が経っている。

 それに今この街では野良猫もすっかり居なくなってしまった。


 ただの気のせいか、と思い直して主人はカンテラを下ろそうとした瞬間、黒い何かが前に立っていた。


 主人の背よりも大きい。

 主人が顔を上げる前に、後ろに引っ張られた。


「下がって!」


 アズが主人の肩を掴んで自分の方に寄せたのだ。

 衝撃でカンテラが落ちる。


 アレクシアの明かりの魔法で照らそうとすると、黒い何かが立ち去った。

 一瞬だけ照らされて視界に映った顔には口元に大量の血が付着していたのが見える。

 そして青い目が見えた。


 馬を襲った犯人だろう。


 そしてその青い目はアズが以前目撃したものと同じだった。


「追うな!」


 アズが立ち去った黒い何かを追おうとしたので主人が止める。

 こんな暗い中で追走しようものなら、どこで襲撃を受けるか分からない。


 主人から見ても危険すぎた。


「やっぱり、魔物じゃありませんねー」


 エルザの声が夜に消えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る