第80話 信じて欲しい

 準決勝を前に、再びインターバルが置かれた。

 主人は立見席から離れる。


「どこへ行くの?」

「少しな」


 アレクシアからの質問に主人はそう答え、居なくなる。


 それから主人が戻ってきたのは、インターバルが終了しアズとフィンの試合が始まる直前だった。


 空は暗くなり始めている。

 それでも闘技場内は明かりに照らされ、まるで昼のようだ。


 アズが入場する。観客たちはアズをみて声援を送る。

 続いてフィンが舞台に上がった。


「アズに賭けてきたの?」

「今回は賭けなかった。倍率も低いしな」

「ふぅん」


 じゃあ何をしに行ったのかしら、とアレクシアは思った。


 それにアレクシアから見てフィンの様子も変化がある。

 服装はボロボロのままだが、さっき見た時よりも顔色に随分と余裕があった。


 相変わらずダガーを両手で持ち、くるくると回して遊んでいる。


 審判が試合開始を宣言すると同時にフィンはダガーを仕舞い、アズの方へただ歩いた。

 剣を構えたアズは流石に面食らう。


 アズはフィンの意図を測りかねたが、やる事は変わらない。

 フィンが間合いに入った瞬間、アズが小さく左から右へ剣を振るう。


 少しでも当てやすい胸を狙ったアズの斬撃を、フィンは上体を逸らして回避する。

 フィンは上体を起こすと、更に一歩進む。


 拳でも届くほどの距離だ。

 アズの蒼い目とフィンの黒い目が合う。


 アズは右に振り抜いた剣を切り返し、胴を目がけて再び剣を振るおうとした。

 だが、フィンは更に一歩進む。


 吐息が掛かるほどの距離だ。フィンが左手でアズの右腕を抑えてしまう。


 そしてアズの前に出た右足の膝をフィンが右足の膝で蹴りつける。

 膝を蹴られてアズの姿勢が崩れた瞬間、フィンが右手でアズの胸を押した。


 アズはあっさりと後ろへと転がされ、フィンが倒れたアズへ乗りかかる。


 アズの胴の上にフィンが座る。

 フィンの左手はアズの右腕を抑えたままだ。


 アズの顔にフィンが顔を近づける。


 フィンの肩まである黒い髪が垂れ、アズに触れる。


 フィンがダガーを持ちだせば、即決着が付く状態だ。

 だがフィンはそうせず、口を開いた。


「奇麗な顔してるね。肌も奇麗だし、大事にされてるんだね」

「何を言って……」

「最初は、ムカつくからギリギリまで壊してやろうかなと思ってたんだ。骨を折る程度なら試合は終わらないし」


 フィンが空いている右腕でアズの顔を撫でる。

 得体のしれない恐怖をアズは感じた。


 フィンの手は移動していき、アズの腹を撫でる。


「服も変わってるんだ。着替えたの? これ新しい服だよね」


 アズが残った左手で抵抗しようとするが、フィンの右手に掴まれた。

 足をばたつかせるが、フィンには届かない。


「何がしたいんですか!」

「憂さ晴らしかなぁ。私とお前、何が違ったんだろうって」


 フィンはアズを抑えたままだ。

 長時間このままなら審判が一度止めに来るだろう。


「お前の優しいご主人様に感謝しろよ」

「何で私が奴隷だと知って……」

「お前を壊さない様にしろってさ。愛されてるね。私とは違うのがムカつくけど」

「あの人と……会ったんですか」

「そうだよ。ビックリするよねー。第一声でお前金に困ってるだろ、だもん」


 話している二人を主人はただ眺めている。


 アズがどれだけ力を込めてもフィンの拘束は解けない。

 アズにはこのような時対応する技術が無かった。


「力強ーい。まぁ、私も色々とヤバかったからさ。でも金でいう事聞くのムカつくからちょっとこうして憂さ晴らししてるの」

「御主人様は貴女に何を言ったんですか」


 アズの目とフィンの目が再び合う。


「優しく終わらせろってさ。まあ勝ち進んでも相手があれじゃしょうがないからな」

「……そんな」

「なんだ、まともに戦って勝ちたかったの? 意外と身の程知らずというか。まあいいや」


 フィンの右手がアズの左手を放す。

 そしてフィンはダガーを右手に握った。


「お前のご主人様に言っといてね。ムカつくけど助かったって」


 フィンがダガーをアズの心臓に一突きする。

 闘技場の効果により、アズが実際にダメージを受ける前に転送された。


 観客席は反応に困りつつも、小さな拍手をフィンに送った。





「アズを回収して宿に帰るぞ」


 立見席にいた主人はエルザとアレクシアに声をかけ、舞台に背を向けた。


「何かしましたね」


 エルザが主人について行きながら言う。

 主人は答えない。


「ああそうか、さっき居なくなったのは……」


 アレクシアも主人について行きながら呟く。

 舞台では次の試合が始まったようだが、主人は既に興味を失っている。


 アズは医務室に居た。

 何もせず座っている。治療も済んでいるようで怪我もない様子だった。

 顔を伏せており、主人たちが入ってくると顔を上げた。


 主人の顔を見るなり、何かを言おうとしたのだが何を言うべきか分からないようだった。


 そんなアズの肩に主人は手を置いた。


「用は済んだ。帰るぞ」

「……はい。あの」

「ほら」


 主人が手を出した。

 アズはそれ以上何も言わず、出された手を握り、立ち上がる。


 金は命の次に大事だと言っていた主人は、フィンに金を払ってアズを楽に倒すように言った。


 アズは考える。

 自分が主人にとって金より価値があるという事なのだろうか、と。


 主人に勝つと思われていなかったことはアズにとって残念だが、実際手も足も出なかった。

 今まで戦った相手とは違い、異質すぎる。

 もし主人が何もしなければ、フィンは何をしたのだろうか。


 そこまで考えて、しかし続きを考えるのは止めた。

 アズにはもやもやした何かが残る。だがそれはアズにとって初めての感情でもあった。信じて欲しいという感情だ。


 「ご主人様」


 アズは主人を呼び止める。

「なんだ?」

「……いえ、なんでもないです」

「そうか」

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