第49話 平野の王
黒い狼たちは瞬く間に距離を詰めてくる。
「数を削ります」
アレクシアは、敵がこちらへ到達する前に詠唱の長い大魔法を発動させる。
「我が火の線は、敵に値せぬ敵を通さず。フレイム・ラインズ」
ブローチによって強化された火の魔法が大きなラインを生み出し、黒い狼へ向かう。
十個体の群れのうち、三体が大きく跳ねて回避する。
他の七体は火に飲まれて動かなくなった。
「行きます!」
アズが飛び跳ねた三体のうち、近くの二体の着地を狙って剣を振りぬく。
いかに俊敏な狼といえど着地の瞬間は隙だらけだ。
確実に仕留めた。
最後の一体が着地してすぐにエルザの首元に飛び込んできたが、エルザはメイスで迎撃しそのまま地面に叩きつけた。
狼の頭から赤い花が咲く。
エルザは顔についた血をピッと弾いた。顔の笑みは崩れない。
黒い狼は片付いた。
しかしフレイム・ラインズが肝心のエトロキに届いた時、エトロキは右手に持った鉈の一撃で魔法を霧散させた。
「ちょっと、それなりに強い魔法なんだけど」
「これは……ふふ、やばいですねぇ」
「私が気を引きますから、引き続き魔法を」
「分かってるわよ!」
アレクシアが魔法の詠唱に入る。
エトロキが鼻を動かし、アレクシアに目標を定める。
大きく口を開け、空気が震えるほどの咆哮の後に突進してきた。
巨体が迫りくる凄まじい恐怖。
しかしアレクシアは動くことなく詠唱を解かない。
アレクシアには分かっているからだ。頼れる戦士が味方にいると。
アズがエトロキとアレクシアとの間に入る。
アズの視線とエトロキの視線が交差する。
その瞬間、エトロキはアズの力量を見切った。
障害になりえない。だが、持っている剣は別だ。
この武器はエトロキに届きうる。
エトロキはアズへと向き直り、その巨体に見合う速さと力で巨大な鉈をアズへ振り下ろした。
アズは限界までその鉈、そしてエトロキの腕を目視して回避する。
地面が揺れるほどの衝撃。
更にそれだけの力で叩きつけたにもかかわらず、すぐに手首を返して二度目の斬撃をアズに向けた。
アズは跳び、鉈を再び回避した。
風圧だけでアズの身体が揺れそうになった。
想像できないほどの膂力だ。掠るだけでも命の危険がある。
まだアズの力では弾く事すら出来ない。
剣を握り、エトロキの胸部を斬る。
毛皮が厚いが、剣の力を最初から惜しまず使う。
アズの乏しい魔力でも剣の力は発動し毛皮の上から肉を斬る。
アズは後ろへステップし、エトロキから距離をとった。
エトロキはアズを見つつも、アレクシアから意識を外さない。
「傷が……」
エトロキにつけた傷が癒えていく。
凄まじい再生力だ。ただ斬るだけでは仕留めることは不可能だろう。
エトロキの口から呼気が漏れる。
アズはそれを見て構える。エトロキの動く瞬間に合わせてアズも動く。
エトロキは鉈をひたすらに振り回す。
そこには技量というものは存在しないが、エトロキにそんなものは不要だった。
技術とは、弱者が強者に対抗するために身に着けるもの。そう
言わんばかりに鉈と空いた手による打撃。
祝福を受けたアズの速さは、それをなんとか回避する水準に届いていた。
しかし絶え間なく繰り出される攻撃は容赦なくアズの体力と精神を削り取る。
エトロキの攻撃全てが命に直結する。それを受けるアズが感じているものは緊張感などという生易しいものではない。
だが否が応でも回避しなければならない。
「アズ!」
アレクシアの声が届いた瞬間、エトロキの腹を両足で蹴り飛ばしてその反動でアズは後ろへ飛んだ。
アズが先ほどまでいた場所を鉈がえぐる。
アズが離れた瞬間、エトロキの足元から火柱が上がる。
それは瞬く間に大きくなり、天へとそびえ立つ。
この魔法には覚えがあった。
かつてアズを助けた魔石に込められていた魔法に似ている。
規模は百足虫に放たれたものとは随分と違うが。
30秒ほど火の柱はエトロキを焼き続けたが、エトロキが鉈を大きく振ると僅かに柱が揺れる。そこから顔を出したエトロキは熱した空気をかまわず全力で吸い込むと、胸部が瞬く間に膨れ上がる。
そしてその溜め込んだ空気を地面に吹き付けた。
凄まじい勢いのエトロキの息は火の柱を完全に吹き飛ばしてしまう。
「とんでもない身体能力ですわね……王の名で呼ばれるだけの事はありますか」
「平野の王……」
アレクシアとアズの顔に、冷汗が流れる。
今の魔法はアレクシアの持つ回避の難しい魔法の中で一番強いものだ。
これ以上となるとエトロキでは回避される可能性がある。
魔法が回避されればアズがもたない。アズがやられればアレクシアで、その後はエルザだ。
しかしリスクを考えなければ勝機がない。
呼吸する度にエトロキの焼けた皮膚が癒えていく。
エトロキの強さは単純明快だった。
肥大化した筋肉による膂力。
それが繰り出す鉈の削るような斬撃、巨大な拳による打撃。
地面をえぐるほどの脚力による蹴り。
分かりやすい強さ。大きいという事は強いという歴然とした事実だ。
それに加えて先ほどの再生力。
斬撃による程度なら瞬く間に回復し、全身が火に巻かれて火傷を負っても数度の呼吸で再生してしまう。
回復した証にカサブタが剥がれ落ちる。
エトロキが再び遠吠えを上げた。
先ほどと同じそれは、しかしアズ達にはより強く大きく聴こえる。
アレクシアと僅かに後退したが、アズは引かない。
後ろには主人が居る。引けるわけがない。
エトロキはすぐに動き出さず、アズを見ている。
いや、正確にはアズの居る方角だ。より遠く。
アズは僅かに首をそちらに向けて、視界の片隅でエトロキが見ている方角を見る。
そこには一人の戦士がこちらに向かってきていた。
兜をかぶり、マントをつけ、上半身は裸だ。
右手に槍を。左手には巨大な盾を。
下半身には鎧を付けた戦士。
「スパルティアの戦士だ」
そう言ったのは主人だった。
エトロキはもうアズもアレクシアも眼中にない。
スパルティアの戦士は槍を持ったまま大きく仰け反る。
鋼のような肉体が振り絞られる。
そして槍がエトロキへと放たれた。
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