第48話 帝国領を抜けた空白地帯
湖での片づけを終え、再び馬車で移動する。
遊び疲れたのかアズは寝てしまった。
エルザはアズの頭を膝にのせて毛布をかぶせる。
馬車の揺れはそれなりだったが、アズが目を覚ます様子はなかった。
エルザは慈愛に満ちたまなざしでアズを見つめている。
御者は主人が担当し、隣にアレクシアが座っていた。
水と草を食べて元気になった馬二匹はしっかりと馬車を引いている。
「なぁ」
「なんです?」
「迷宮でのアズの様子は……どうなんだ?」
「あらあら。気になりますの?」
アレクシアは少しばかり楽しげな笑みを浮かべる。
「いや、まぁな。俺が見たアズは泣きながら帰ってきたりしてたから。お前らと組ませるようになって大分元気になったようだが」
「それが分かっていても送り込むんだから、大した偽善ですわ」
「分かってるよ。だが必要な事だ。俺は愛玩したくて奴隷が欲しいんじゃない」
「……元気は元気です。リーダーとしてはまだ未熟ですが、もう一人前のちゃんとした戦士ですわ」
主人は思い出す。血塗れになりながら泣いていたアズ。
他の冒険者と揉めて助けを求めるように顔を俯けていたアズ。
だが今は良く笑っている。
最初の陰気な様子から比べれば随分元気になった。
「いっそ手元に置いておいた方が良いと思いますけど。あの子は余りにも危ういから。運命に愛されているのか、嫌われているのか」
「なんだ、トラブルでも多いのか?」
「まあ、それなりに。問題はアズが臆病さよりも前に出ることを選びがちなことですわ。無謀ではないけれど、いつか貴方の為に命を捨ててしまいますよ、あれは」
主人は無表情でそれを聞く。
何を考えているのかアレクシアには分からない。
まだそれほど長い付き合いではない。主人の性格や考え方をまだアレクシアは理解してない。
「……そうか。迷宮ではよく見ておいてくれ。大切なのは稼ぎ続けることだ。一時の感情で無駄なリスクを負う必要はない」
「それは勿論。私達は所詮あなたの奴隷ですからね。使い捨てにされないなら命の方が大事ですわ」
奴隷とその主の会話にしては些かズレた会話だなと主人は思ったが、そもそも主人は奴隷の主になったのは初めてだし、奴隷の三人も奴隷になった経験などある筈もない。
これが今できる四人の自然な姿だった。
エルザが主人と交代し、アレクシアが御者を行う。
アズが起きないように主人が膝枕を代わった。
静かな寝息を立てている。
やがて帝国領を抜ける。そこからは特に目ぼしいものもない。
国の影響が乏しい地帯だ。
幾つかの国が存在するものの、スパルティア以外の国は軍事的にも国力的にも大きくはないので空白地帯となっている。
何か資源や鉱山でもあれば別なのだろうが。
以前通った商人たちの道の跡を通る。
それは命がけで荷を運び、金を稼ぎ、それでまた荷を買って運ぶ商人たちの歴史そのものだ。
その道を商人である主人が通る。
少しばかり感慨にふけっていると、それを眺めたエルザがふふ、と笑う。
「なにがおかしいんだ」
「いえいえ。ご主人様は案外神父に向いてらっしゃるかなと」
「神父? 冗談じゃない。儲からないじゃないか」
「我々聖職者は清貧を主としておりますので……まぁあの方々は別ですけど」
あの方々。太陽神教のことだろう。
太陽神教の事を思い出すと主人は眉を顰める。
彼の金の一部が今まさに太陽神教の銅像につぎ込まれているのだ。
忌々しいことこの上ない。
「最近でかい顔してるんだよなぁ。領主の息子は完全に言いなりだし、領主はどうしているんだろうか」
「病気で伏せているそうですが、案外その病気も……」
それ以上はエルザは言わなかったが、何が言いたいのかは分かった。
「いえ確実に毒を盛ってますわよ。良くある話ですし」
「アレクシアさん……折角濁した言葉を補正しないでもらえますか? だから貴女は味方が出来なかったのですよ」
そう言って話がエルザからアレクシアの説法に変わってしまう。
アレクシアはしまったという顔をして説法を聞く。
一商人に出来ることはほぼない。抗議したら牢に叩きこまれた記憶はまだ新しい。
領主の息子の不正を暴くなら、王国の中央から人を呼ばなければならないだろう。
だが、こんな辺境に足を運ぶとは思えない。それこそ一商人の力を超えている。
しかしこのまま太陽神教が街を乗っ取れば、行末は余り良いものではないだろう。
今太陽神教が実効支配している太陽連合国は元々別の国だ。
あの辺りは小さい国や都市が乱立していたのだが、何時頃からか太陽神教の総本山として再編されてしまった。
聞こえてくる噂は余り良いものではない。
少なくとも良い暮らしをしているのは太陽神教の地位のあるものだけだという。
商人もあまり寄り付かない。
魔物も少なく平和で、食料は自前で賄っているらしい。
色々とスパルティアとは真逆の国だ。
国をいくつも隔てているからスパルティアと太陽神教は目立った衝突はしていないのだが……。
スパルティアが信仰する戦と富の神バルバロイは、創世王とは仲が良いが太陽神とは一切相いれなかったという物語を聞いたことがある。
いずれ何か起きるかもしれないな。
そんな事を考えていると、アズが突然起き上がり剣を取った。
驚いた主人は仰け反るものの、アズは気にせず寝起きとは思えない様子で周囲を索敵した。
「何か来てます」
「分かるのか? 見たところ何もなさそうだが……一度馬を止めろ」
アズの様子に主人は一度馬を止めさせる。
アズが馬車から出て左側を見つめると、確かに砂埃が上がっているのが見えた。
凄まじい感覚だ。なるほど戦士と評されるにふさわしいな、と主人は思った。
「多分馬車だと追いつかれます。ここで迎え撃ちますけどいいですか?」
「任せるよ。お前たちの領分だ」
「はい! 任されました」
アズは嬉しそうに返事をする。
エルザとアレクシアも馬車から降りてアズの横に並ぶ。
砂埃の中から現れたのは黒い狼の群れと、それを率いる二本足で立つ巨大な狼男だった。片手にはギザギザになった刃の巨大な鉈を握っている。
「あれは……エトロキですね。運が悪い」
「あれがエトロキなの? 始めて見たわ」
エルザとアレクシアが話す。
アズは相手に集中している様だ。
「お前等だけで分かるな。説明しろ」
「あら、失礼しました。あれはエトロキ。狼の神に生贄を捧げる狼の戦士が魔物になったと言われてまして。平野の魔物の王とも言われますねー」
「勝てるのか? 嫌だけど荷物を捨てれば馬車で何とか」
「馬だけなら逃げれるかもですが、私達は無理なので。勝たないとダメです」
アレクシアが戦斧を地面に叩きつけた。
「そう言う事。馬車に引っ込んでなさい。馬が逃げないようにね!」
エトロキが遠吠えを上げる。同時に黒い狼が一斉に向かってきた。
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