第7話 蛮勇

 草原を抜け、少し先に言われた通り崖があった。

 冒険者たちは集まって黒蛇と戦っている。

 此方に来る様子はない。

 ああ、私もあれが良かったとアズはため息をついた。


 崖の深さは……高い。落ちたら助かるような高さではない。

 崖の向こう側までは随分離れていて、木々が生い茂っていてこちら側とは様子が違う。


 崖に沿って端へと向かう。つるはしが少しばかり重い。

 景色はしばらく変わらなかった。岸壁を眺めると下側では所々黒い石が露出しているのが見えた。私の記憶が確かなら、あれが燃える石だ。


 間違っていてもあれを持ち帰るしかない。黒くざらついた石という事しか私には分からない。


 更に歩く。崖の近くだからなのか、アズを襲うような魔物は見当たらなかった。

 居たとしても見晴らしが良いので直ぐに分かる。


 草原はもうだいぶ遠くなって、人影も見えなくなってしまった。

 風が強くなってきて、スカートがなびく。


 崖の端に到着すると、坂のような道がある。

 大人が通るのは難しいが、アズ位の体格なら通れるような道幅だった。


 下をのぞき込む。暗くてここからでは底の様子は分からない。

 落ちる恐怖で足がすくむが、残念ながら引き返すという選択肢はアズには無かった。


 道に段差はないので、アズは小さい歩幅で崖を降りていくことにした。

 左手で岸壁を触りながら進んでいく。


 魔物の気配はない。そもそも何かが通った痕跡なんかも道中には無かったのだが、ここに何かあるのだろうか。

 だが一度も調べずに主人の指示を無視するわけにもいかない。


 下へ進むほど太陽からの光が届かなくなり、肌寒くなる。

 リュックから外套を取り出して纏う。とりあえずこれで凌げそうだ。


 やがて崖の底へ到着した。


 暗い……アズの目では周囲しか見渡せない。

 リュックには松明も入っていた。火打石で火をつける。


 火打石の扱いにはアズは慣れていた。かつては煮炊きも彼女の仕事だったからだ。

 松明で照らされた崖の底には何もない。

 だが、アズの目には不気味に見える。不吉さを感じ取っていた。


 暫く崖の底を歩いて探索してみたのだが、一度だけ拳大のサソリが出ただけだった。

 思いっきり剣で殴りつけると切れなかったが見事につぶれた。


 持ち帰ったら冒険者組合に売れるだろうか? いや、あの主人ならその分のスペースに燃える石を入れろと言うだろう。


 うん。ここには何もない。幸い燃える石は何度も見かけたのでこれを掘って持って帰ろう。多分これが一番良いと思う。


 アズはそう判断した。


 アズは松明を倒れないように岩に立てかけ、燃える石が集まっている場所に荷物を下ろす。

 分厚い手袋を履いて、つるはしを握りしめる。

 重いが、持ち上げれないほどじゃない。


 アズは黒い石へ向けてつるはしを振り下ろしてみた。

 鈍い音と共に強い反動がアズの手に帰ってくる。

 危うくつるはしを落としそうになるが、なんとか堪えた。


 アズの足元に削れた燃える石が転がる。

 アズでも握れるほどの小ささだが、アズはそれを袋に入れる。


 何度かつるはしを振るうたびに休憩を挟みながら採掘を続ける。

 目の前の壁にある燃える石の最後の欠片が壁から剝がれる。

 それと同時にアズは尻餅をついて遂につるはしを落とした。


 両手が完全に痺れている。

 その甲斐あってかリュックに収まるギリギリの燃える石が採れた。


 これなら主人もアズに怒ったりはしないだろう。

 アズが持ち帰れるのはこれが限界だ。


 分厚い手袋を苦労して脱ぎ、水筒の水を勢いよく飲んだ。

 全身汗だくだ。外套もとっくに仕舞っている。


 先ほどのサソリがまた出るとも限らないので眠る訳にはいかないが、アズは壁に背を預けてしばらく休憩する事にした。


 ようやく腕の痺れがマシになり、アズは一度帰る事を決める。

 リュックに詰めた石がすべて燃える石であることを祈りながら立ち上がると、燃える石を掘って削れた壁に突然穴が開いた。


 アズは急いで松明を掴んで壁を凝視する。

 壁はどんどん崩れて穴が大きくなる。松明を穴の中に突っ込んでみると、中は空洞になっていた。

 人が歩けるほどの広さで、空洞は奥に続いている。


 空洞から風が通り抜けていくが、そこから僅かに血の匂いがした気がする。


 風が通っているという事は空気がある。

 松明を空気の通らない狭い場所で使うと、空気の毒で死んでしまうと聞いたことがある。


 アズは逡巡した。既に採掘でかなり疲れている。帰った方が安全だ。

 だが、この穴の先がもしかしたら依頼の解決に繋がるかもしれない。


 この穴の事を報告すれば誰かがこの穴に入るだろう。


 ……手柄は多い方が良い。アズはもう愛想をつかされたくない。

 役に立たない人間の末路をアズは知っている。


 少し危なくなったら帰ろう。そう決断して、アズは空洞に侵入した。

 重いので一度燃える石を取り出しておく。後で回収しよう。


 空洞の中は少し湿っていて居心地が悪い。


 分かれ道もなく、一本道だ。

 ふと、何か硬い物を踏んだ感触をアズは感じた。


 松明で照らしてみると、骨があった。思わずアズは唾液を飲み込む。

 少し気分が悪くなり、壁に手をつくと何かが手に這いつくばった。


 急いで振り払い、落ちた先を松明で照らす。

 細長い体に節毎に足が生えた何かが見えた。あれは……百足虫だ。


 確かにこういう場所に居てもおかしくないのだが。


 アズは百足虫が苦手だ。その造形も怖いし、刺されて手が腫れた事もある。


 アズの気持ちは大きく萎えてしまう。骨もなぜこんな所に在るのか分からない。

 ソロで行動するしかないアズにはこれ以上は荷が重い。


 そう判断して、戻るために振り向いた瞬間――大きく揺れた。

 アズはとても立っていられずに膝をつく。


 それが合図だったかのように、アズの足元が抜けた。


「えっ?」


 余りにも間抜けな声がアズの口から出る。


 左手に松明を持っていた為、右手だけで何かにつかまろうとしたが、痺れがまだ残っていたせいで握力が足りず掴み損ねた。


 急速に落下していく。

 死んだ。とアズは思った。


 アズの予想は外れる。

 地面だと思ったら何か柔らかいものにぶつかり、それがアズへの衝撃を和らげた。

 代わりに柔らかい何かは潰れて生臭い液体がアズにかかる。


 幸い松明は燃えたままだ。

 アズは自身に怪我がないかを確認し、安堵した。


 自分が潰したものは何かと確認すると、胎児ほどの大きさがある卵が沢山あった。

 これが積み重なっていて、アズは運よくこの上に落ちたのだろう。


 黄色い、やや透けた卵だ。


 こんな卵は見たことがない。そもそも大きすぎる。


 アズが卵を見て呆けていると、何かが這いずる音が聞こえてきた。

 此方に近づいてくる。……大きい。この音が生き物なら相当な大きさだ。


 アズは周りを見渡すが、水晶が僅かに照らすのみのほぼ暗闇で何も分からない。

 この場に居てはまずいと立ち上がり、アズは音とは反対の方へ駆け出した。



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