第3話 辿り着いた草原で

 私は主人に渡された依頼書を懐に仕舞いながら走って市場へと向かう。

 走る度に腰に下げた剣の鞘がベルトと接触して金属音が響く。


 この音にも、剣の鞘を腰に下げている感触にもまだ慣れない。この前まで貧しい山村で畑仕事を手伝わされていただけの小娘なのだ。

 その上口減らしに売られてしまった。


 金を受け取って嬉しそうにしている両親の顔をまだ覚えている。

 ……あれなら不服そうに私から銀貨を受けとった主人の方がはるかにマシだった。


 鎧が重い。金属部分は胸当てと手甲だけだが、子供である私にはそれでも重い。

 すぐに息が上がり、走るのをやめて徒歩に切り替える。


 まだ市場まで少し距離がある。

 私の頭の中では歩きながら色々な考えが浮かんでくる。


 その中でも最も大きな疑問は、なぜ主人は私を買ったのだろうという疑問だった。

 明らかに主人の目的に向いてない。奴隷商には荒事が得意そうな男もいたのに、主人は迷わず私を買った。


 男に買われたのだから、口には言えない事を色々させられるのだろうと思っていたのだが……。


 まさか武器と防具を持たされて冒険者になって稼いで来い、などと言われるとは夢にも思わなかった。

 果たしてどちらが幸せだったのかと考えると……私にはあまりにも難しい問題だった。

 少なくとも主人は温かい寝床とちゃんとした食事を用意してくれる。

 冒険者になれというあまりにも無茶な言葉も、実現するためにしっかりした装備をくれた。


 私を売り飛ばしたあの場所よりも、よほど大事にされている。それだけは間違いなかった。

 少しばかり意地が悪いというか、性格は悪いと思うけれど。

 言う事をちゃんと聞けば、多分大丈夫だろう。悪意は感じない。


 そんなことを考えている間に市場に到着した。


 市場の始まりは早い。日の出には仕事へ向かう人たちに向けた屋台が準備を始めているし、屋台の材料を扱う店だって開いている。


 私が主人から貰った食事代は銀貨二枚。屋台の食事なら銀貨一枚で温かいスープと沢山具の挟まったパンが買える。一枚はとりあえず取っておこう。私のものは主人のものだからあまり意味はないのだけど。記念と言ってくれた銀貨は部屋にしまっている。


 威勢のいい爺さんから羊の煮込んだ肉と香草を挟んだ黒パンと肉団子のスープを受け取る。スープはリュックの中に入っていた空の水筒に入れたので器代が浮いた。


 市場から出て、草原の方角にある門へと向かう。

 お腹が減っていたので黒パンを歩きながら食べたかったが、もし落としたら……と考えると落ち着いてからにした。


 草原へ向かう門は小さく、人の出入りも少ない。


 門番も二人待機しているが、暇そうにしていた。

 門番に依頼書と冒険者の証を見せて街の外へ出る。


 街の外には風車小屋と大きな川が広がり、街道が続いている。

 山村から売られて街に着いた時、街の外に出られるとは思っていなかった。


 このまま逃げたらどうなるのかなと思ったが、右手のブレスレットがある限り職には就けないし意味が無い。帰る場所があるだけマシなのだ。


 草原へはこのまま街道を歩いていき、途中の脇道に逸れると到着するようだ。


 やや緊張していたが、いきなり迷宮に放り込まれた昨日よりはまだ余裕がある。

 リュックを背負いなおして、草原へと向かった。


 少し歩き疲れた頃、逸れる道を見つけてさらに進むと、確かにそれは草原だった。

 見渡す限り青い空に白い雲。地面にはただひたすら緑の草と木のみ。


 山肌ばかり見慣れていた私にとってその光景は息をのむほどの壮大な情景だった。

 しばし見惚れていたが、草の揺れる音に我に返る。


 依頼書を懐から取り出して改めて眺める。

 文字は相変わらず読めないが、主人の言った通り絵でも説明されている。


 貰った依頼書は三枚。

 一枚は薬草採取。葉は青く、花は黄色い草を集めればいい。

 次の一枚は黒い蛇の絵が描かれている。証明の為に頭を切ればいいようだ。

 最後の一枚は……鳥の魔物の絵が描かれている。これは倒すのではなくどの位いるかを数えてほしいという内容だった。


 何のための依頼かは分かりかねたが、主人が用意した依頼だ。主人の奴隷である私はそれを完遂するのみ。どうせそうするしかない。失敗したらどうなるかはあまり考えたくない。


 大きく二度ほど深呼吸し、気を取り直して剣を抜いた。

 さほど力を入れず鞘から剣身が現れる。

 相変わらず不思議な感覚だった。本来なら私では持ち上げる事すら出来ない筈の剣が、体の一部であるかのように自然に扱える。

 重みがない訳ではないが、本来の重量を考えれば余りにも不釣り合いだ。


 主人が私の為に用意した武器。


 早速見かけた黒い蛇に振り下ろす。

 蛇は簡単に胴体と頭が二つに分かれた。

 胴体がまだ動いていたが、気持ち悪かったので放置する。


 リュックには袋が何枚か入っていたので、そのうちの一枚に蛇の頭を突っ込んだ。

 周りを見るとまた黒い蛇がいる。動きも蛇にしては鈍い。剣を振り下ろして退治する。


 魔物を殺す度に強くなる。そう冒険者組合で教わった。

 だが、実際のところそんな感触は全然感じない。低級の魔物ではあまり意味が無いのだろうか? 何時まで経っても効果がないのなら、主人は私に失望するかもしれない。

 そうなったらどうなるのだろう……。


 蛇を見かける度に振り下ろす。繰り返す。繰り返す。


 ――おかしい。蛇の数がいくらなんでも多すぎる。

 少し高い丘があったのでそこへ移動してみると、草原を見下ろすことが出来た。


 ……黒い蛇が至る所にいる。私の足元には骨があった。組み合わせたら多分鳥の形になると思う。

 得体のしれない薄ら寒い何かが背筋を通った。


 薬草もいくつか見える。それを採って一度帰ろう。


 景色は奇麗だが、食事をする気分にはなれなかった。

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