迷子の風船

十余一

とある女子高生の日常

 朝起きたら目の前に見慣れた天井があった。視界の端には魔法の絨毯よろしく飛ぶ毛布、それから役割を果たしていない枕。目覚まし時計も宙を泳ぎながらジリリとうるさく鳴っている。ああ、今月もまたが始まってしまった。


 天井を軽く蹴って床に着地し、朝の支度を始める。それでもまた浮き始めるから水を掻くようにして移動する。五年目ともなれば多少は慣れてきた。憂鬱なことに変わりはないけれど。

 リビングへ行くと、朝食を用意していた母が驚きもせずに言う。

「あら、“浮遊”始まったの」

「うん」

 のせいで痛む頭を抑えながら返事をする。吐き気と倦怠感まである。起きたばかりだというのに満身創痍だ。こんがりと焼かれた厚切りのトーストも、金色に輝くスクランブルエッグも、今日だけは受けつけない。ヨーグルトを気休め程度に食べて、ぬるま湯で痛み止めを流しこんだ。椅子や食器ごと、また少し浮く。


 ただのつまらない日常だ。普通のことだ。混雑した駅で頭一つ分も二つ分も飛び出た人がいるのも見慣れた光景だし、教室でも誰かしら机と一緒に宙を漂っている。先週は佐藤君が天井近くで授業を受けていた。渡辺さんは三十センチくらい浮いていたけど、今週半ばにちょうど終わって落ち着いたところだ。


 人類の約半数に訪れるこの現象の名前は浮遊。だいたい月に一度くらいの周期で、数日間まわりの物を巻き込んでぷかぷかと浮く。期間や高さには個人差がある。病気には分類されていない。人類に男と女がいるように、浮遊する人としない人がいるだけだ。ただ、それだけのことなんだ。


 宇宙遊泳しているみたいと言えば聞こえがいいかもしれない。でもそんなに楽しいものなんかじゃ決してない。体も心もボロボロになる辛いものなんだ。浮いていないときだって影響はある。でも、きっと浮遊がこない人にはわかりっこない。


 社会はこれを「なんてことない」ものとして扱う。物事を決める立場にいる人たちはみんな浮かないからだ。私たちの足元に広がる空間を見てみぬふりしているのか、もしくは、ハンデキャップにならないと本気で思っているんだ。

 

 私は今日も望まぬ浮遊を続けている。放っておけば空の彼方へ沈んでしまいそうな体で登校し、少しもページが落ち着かない教科書を押さえて読む。これからの人生も、ずっとこんなことが続くんだ。

 この行き場のない気持ちを、いったいどこに向けたらいいんだろう。理不尽は透明で、何の形もしていない。

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