朝はパン。ずっとパン

「おはよ、時也。今日はパンにしたから早く食べなさい」


 俺の朝は早い。

 起床は決まって朝の六時。

 まるでデジャヴかのように毎日同じ時間になると部屋の扉がノックされて、カレンが同じことを言って起こしにくる。


 毎日。

 土日も。

 お盆も年末年始も。

 毎日毎日、ずっと。


 お陰様で俺も随分と早起きにはなった。

 この生活をあと数年繰り返せばきっと、ショートスリーパーという便利な生き物に進化できて人生の時間を人よりも長く有意義に使えるようになるに違いない。


 最も、無理が祟って寿命そのものを削られてしまう可能性はあるが。


「ていうか、早すぎなんだよ毎日。授業中に寝るなっていうなら、せめてもう少し寝させろ」

「なによ、昨日は早く寝たくせに。あ、もしかして昨日寝たふりしてたの? ねえ、そうなんでしょ」


 朝から勝手に部屋に上がり込んできて、まだベッドから体も起こしていない俺に迫るカレンは、もぞもぞとポケットを探り出した。


 それを見て俺は飛び起きる。


「待て、起きたから。もう起きたから」

「な、なによ急に飛び起きて。ねえ、昨日はちゃんと寝たの?」

「寝た寝た、めっちゃ寝た。あースッキリ目が覚めたー」


 まだ曇った表情で俺を見てくるカレンの様子なんて無視して布団からさっさとでる。


 

「ほんと? よく寝れた? そ、それってもしかして私と話しながら寝たから?」

「あ、ああそう、かもな。スマホ触りながらだと眠りが浅いって聞くし」

「そうそう、脳がきちんと休まらないのよ。ふふっ、そんなによく眠れるなら夜の電話は特別に続けてあげる。ほら、起きて」

「……」


 満足そうなカレンはしかし、いつも俺を起こしにくる時にポケットにあるものを携帯している。


 爪切りだ。

 俺が起きないとあいつは唐突に俺の爪を切り始める。

 

 それが死ぬほど怖いのである。


 ニコニコしながら、「ほら、身だしなみがだらしないからシャキッとしないのよ」なんて言って、俺の指を信じられない力で掴んで爪を切り始めるのだ。


 今のところ深爪にされたことはないが。

 そもそも急に人の爪を切り始める時点で頭が狂っている。


 学校では何かと強気な発言をする俺だけど、それは学校という場所に守られている安心感がある故。

 朝早くに母が出社してカレンと俺しかいないこの家ではもはや俺は籠の中の鳥だ。


「ほら、早くご飯食べて食べて」

「ん、いただきます」


 植え付けられた恐怖心により無理矢理起こされた俺は、それでもまだ眠い。

 しかし、眠い眠いとぼやくのは学校に行ってからにしないとカレンがキレる可能性があるので我慢しながら。


 朝食として用意されたバタートーストとカップスープをいただく。


「ふう」

「ねえ時也、そろそろ高校入って一ヶ月になるわね」

「そうだな。早いもんだ」

「でね。そ、そろそろ私たちもさ、いいと思うんだけど、どう、かな?」

「……ん?」

「ほ、ほら。そういうことって、早い方がいいと、思うんだけど……」

「……」


 朝っぱらからカレンがデレ始めた。

 急に意味深な発言をし始めて、俺の向かいの席でもじもじと。

 まさかここで告白……いや、そんなの今ここでされてもマジでややこしいんだけど。

 

 んー、ちょっと意地悪するか。


「カレン、もしかして告白か、それ?」

「ば、ばかじゃないの! ほ、ほら部活の話よ! そろそろ部活決めないと、他の人たちに取り残されちゃうでしょって言ってんの!」

「あーそう」


 カレンは自称ツンデレ。

 それに実際ツンデレの素養がないわけでもないから、こういう反応が返ってくるかなと期待してみたが予想通りだったな。


 やれやれ、二人っきりになると途端にデレてくるこいつのこの癖も、ちょっと厄介なところだ。


「と、とにかく今日こそは部活決めなさいよね」

「そういうカレンはどうなんだよ。お前こそあちこち誘われてるくせにどこにも所属してないじゃないか」

「わ、私はあとでゆっくり決めるからあんたが先に決めなさい」

「なんか言ってること矛盾してる気がするけどなあ。ま、ぼちぼちやるさ。それより、早く学校行こうぜ」


 母さんが出張に出てしばらく戻らない今、自宅というセーフティゾーンは失われたも同然。

 むしろ家で病んでるやつと二人っきりだなんて、危険そのものである。


 だから少々早いが学校へ向かうことに。

 時刻はまだ朝の七時。

 八時半までに登校すればいいというのに、徒歩十分で到着する高校へこんな時間から向かう理由なんて全くない。

 もう少し家でゆっくりしたかったなあと悔やみながら家を出る。

 当然家の施錠はカレンがする。

 これもほんとおかしな話だ。


「ふあー、しかしこうも朝早いとまだ誰もいないな」


 通学路は朝早くとあって閑散としていた。

 まだ少し肌寒い空気を感じながら空を見上げると、今日は快晴だ。

 そして何故かカレンが大人しい。


 隣をとぼとぼとついてくるだけで何も喋ってこない。

 もちろん静かなのはいいことだけど、しかしどこか不気味でもある。


 体調でも悪いのか?


「……」


 しばらく沈黙が続く。

 よっぽど、「どうしたんだ?」と声をかけようかとも思ったけど、わざわざ自分からこの静寂を破る必要はないと思って俺もずっと黙っていると。


 学校が見えてきたところでカレンがようやく口を開く。


「ねえ、なんでさっきから何も喋らないの?」

「別に。たまには朝の空気を堪能するのも悪くないかなって」

「なにそれ。ねえ、朝の話なんだけど」

「どの話だよ」

「だ、だからその……ええと、もし今朝の部活の話が……あ、あんたの勘違いしたような内容だったら、時也はどうするつもりだったのよ」


 カレンは恥ずかしさを押し殺しながら、と言った様子で俺に聞いてくる。

 まあ、肝心な部分が抜けてるけど言いたいことは伝わる。

 つまり、朝のカレンの話が本当に告白だったとして、俺はどうするつもりだったのかって話だろう。


 まあ。


「知らん。実際にされたらその時考える」

「な、何よそれ。ちょっと慣れてる感じがして嫌なんだけど」

「慣れてみたいもんだけど、生憎一回もそんな経験はございませんが」

「そ、そうなの? 女の子から告白されたこととか、ないの?」

「ない。あると思うのか?」

「……ならいいわよ。で、でももしも、もしも万が一奇跡的に時也が誰かに告白されても、安易に返事したらダメよ」

「なんで?」

「な、なんでって、好きでもないのに付き合うとか、それこそ下心で手を出すなんて最低なことを幼馴染にしてほしくないからよ」

「あ、そ。ご忠告感謝するよ」


 まあ、実際可愛い子に告白されたからといって安請け合いをするつもりは毛頭ない。


 なぜなら。


 俺は糸島カレンという、見た目パーフェクトで中身ぐちゃぐちゃな女をずっと見てきてるから。


 見た目に騙されてホイホイついていくつもりはない。

 もちろん可愛い子と付き合いたいって気持ちはあるけど、人間最後は中身だ。


 まともな子がいい。

 普通に可愛いなって思える子で、言動がまともで、勝手に人の家に上がり込んだりせず、お風呂のお湯を飲んだり人の下着を嗅いだりしないような。

 

 そんな子と早く……いや、多分こいつ以外みんなそうなんだろうけど。


 

 

 

 

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