映画鑑賞マナー
「時也、ちゃんと勉強してる?」
部屋に戻ってしばらくすると、俺の味を堪能し尽くした幼馴染が何食わぬ顔で部屋にやってくる。
「ああ、やってるよ」
「ほんと? 見せてみなさい」
「いいってそんなのは。お前こそ早く風呂入ってこいよ」
「なにそれ、怪しいんだけど。ほんとにちゃんと勉強してた?」
「してたって。部屋にはテレビもないんだし」
「でもスマホあるじゃん。それでエッチな動画見てたかもだし。あ、女の子とラインしてたりしてないでしょうね?」
「見てないししてない」
「……怪しい」
一人で部屋に戻れと言うわりに、俺が一人で部屋にいるとこうして疑いの目を向けてくるのがカレンという女だ。
そんなに心配ならスプーン舐めるのを諦めて俺を監視してろって話だが。
まあ、それはそれで迷惑なのでそんなことは言わないけど。
なんにせよ、いつもこんな調子だ。
「疑うならいつでもスマホ見せるって言ってるだろ」
「そんなの、履歴消したらわかんないもん。ま、今日のところは特別に信じてあげるけど、私がお風呂入ってる間、ちゃんと勉強してなさいよね」
「……ごゆっくり」
「ふんっ」
イライラした態度でカレンが部屋を出て行く。
「ふう」
ようやく一息。
と、言いたいところだけどここからがまた面倒くさい時間の始まり始まりだ。
「……来た」
カレンが部屋を出て少しすると、スマホが鳴る。
ラインだ。
もちろん相手は、
『ちゃんと勉強してる?』
カレンだ。
いつも風呂場にスマホを持ち込んでいるようで、風呂に入っている間もこうして俺にメッセージでプレッシャーをかけてくる。
それで、だ。
『こら、なんで返事しないのよ』
『もう、寝てるの? 起きなさい』
『もしかしてこっそりでかけた? ちょっと、返事しないと勉強してないと見なすからね』
返信を怠ると次々とラインが送られてくるのである。
無限に。
今までで一番長く粘ってみたのが最長五分間だけど、その間になんと百通以上のラインが来たのだから驚きというかドン引き。
で、当然だけど返事をしないとどんどん機嫌が悪くなってきて、最後にはカレンが暴走する。
その一番粘った時なんて、「時也、今助けるからね!」と叫びながら、包丁を持ったカレンがタオル一枚の姿で部屋に飛び込んできた。
もちろん部屋には俺以外誰も居ないので、包丁を持ったままポカンとするカレンだったけど。
どうして包丁を持って現れたのかについて後で聞くと、
「もし時也が変な女に襲われそうになってたら私がそいつを殺してあんたも殺すつもりだった」という理由が返ってきた。
いや、そんな僅かな間に女連れ込めるかって話なんだけど。
カレンは俺を相当過大評価してるからそんな事態も十分あり得ると本気で信じているようなのだ。
それに、助けると言いながら殺すとも言ってくるこの矛盾こそ、こいつが精神を病んでいる何よりの証拠だ。
救いたいのか消したいのか、マジでハッキリしてほしい。
その時はすぐにカレンを風呂場に追い返して、ことなきを得たのだけど。
あれ以来、俺はちゃんとラインを返すようにしている。
殺されたくないから。
いや、本当に俺を刺すとはさすがに思いたくないけど。
あいつならやりかねないと思わせるだけのオーラがカレンにはある。
『ちゃんと勉強してるから』
そっけなく返信。
すると食い気味に
『お風呂出たら映画見るから。それまでに宿題全部終わらせててね』
と。
それに対して了解と返事をしたところでカレンからの連絡は途絶えた。
ここまできて、ようやく本当の意味で一息がつける。
多分今、髪を洗い始めたのだろう。
って、幼馴染の風呂の中での様子を容易に想像できてしまう自分にひどく嫌気がさす。
「ったく、映画くらい一人で見ろよ」
休息も束の間、カレンが風呂から出てきたらここからがいよいよ本番ともいえる。
映画を観るという、ただそれだけの単純作業だってヤンデレ同伴となるとクソ面倒なイベントに早変わり。
鑑賞中は携帯触るな、集中しろ、目を逸らすな、その他諸々……。
とにかく注文が多い。
それに集中しろと言う割にずっと喋ってるのはカレンの方。
お前が集中しろ、マジで。
あと、可愛い女優さんが出るシーンになるとわざわざ俺を呼んで画面から俺の目を逸らせようとするのもやめてほしい。
なんもないから、絶対。
相手は女優さんだから。
そんな意味不明なものに嫉妬するのもヤンデレだってことにいい加減気づけ。
「ときやー、出たわよー」
タイムアップだ。
部屋の外からカレンの声がして、俺は参考書を閉じて部屋を出る。
すると部屋の前には、濡れた髪にタオルをかけたカレンが、
「何見てんのよ? 私のスウェットが可愛いからってジロジロ見ないで」
ふわふわした、ピンクのスウェットに着替えて立っていた。
「……どこで買うんだ、そんなの」
「今時ネットでいくらでも買えるもん。それより、可愛い?」
「……カレンはなんでも似合うからな」
こんな返しは、別に俺までツンデレキャラに付き合ってるわけではなく。
これが一番無難な返答だということを長年の経験から学んだ結果に過ぎない。
例えば「可愛いよ」といえば「具体的にどこが?」としつこく聞かれるし。
逆に「もっとこういうのがいい」みたいな注文をつけると「誰と比べて言ってるの?」と尋問が始まる。
もちろん似合わないなんて言おうものなら。
発狂する。
どんな具合に、というのは思い出したくもないので割愛するが。
あと、禁句なのは「一番」というワード。
それを口走ると決まって「二番は誰?」と言って睨まれる。
そのあと必ず「さ、参考にしようと思って聞いてるだけよ」っていうクソみたいな言い訳もセットで。
まあ、そんなことにはならないようにと選んだ俺の褒め言葉は、当然のようにカレンの心をくすぐったようだ。
「そ、そう? それって、ええと、私が可愛いって、そう言いたいわけ? ほ、ほめるならちゃんと褒めなさいよね」
照れていた。
ここだけ見れば可愛いもんだ。
ま、そんなのには騙されないけど。
「で、映画は何見るんだ? 昨日みたいなホラーは疲れるから嫌だぞ」
「そう思って今日は恋愛系にしたの。ほら、去年流行ったやつ。泣けるんだってー」
「ふーん」
カレンが取り出したのは、少し前に流行った純愛映画。
ヒロインが重い病気にかかって、残された僅かな時間の中で主人公とうんたらかんたらっていう、ありきたりもありきたりなやつ。
俺はこういうのに感情移入できねえんだけど。
グロいのとかよりはマシか。
「じゃあ見るぞ。ココア、入れる?」
「うんお願い。時也は何飲むの?」
「俺もココアでいいよ」
「じゃあコップ一個でいいわよ。ほら、洗い物増えるし」
「いや、別にそれくらいはいいだろ」
「何よ、私と同じコップ使いたくないの?」
「……わかったよ」
せっかくここまでカレンの機嫌を保ってきたのに、こんなことで全て台無しにはしたくないからという理由で。
大きめのコップを一つとって、沸かしたお湯と牛乳でココアを作る。
すぐにリビングへ持っていくと、カレンはもうソファに座ってスタンバイしていた。
ちょうどDVDの再生が始まったところ。
「はい、ココア」
「うん、ありがと。早く座って座って」
「はいはい」
催促されるまま、カレンの隣へ。
で、だ。
ここから約二時間の映画を二人で鑑賞するわけなんだけど。
映画が始まるとすぐに。
カレンがもう一つの顔を覗かせ始める。
「時也、なでなでして」
急に甘え出す。
さっきまでのツンツンした態度は一体なんだったんだと言いたいくらいに。
蕩け出す。
「……集中できないだろ」
「私が可愛すぎて? えへっ、いいじゃん何回でも巻き戻して見たらいいんだし。ね、抱っこ」
「いや、抱っこはおかしいって」
「むう。それじゃ膝枕して。私、時也のお膝の硬さがとってもしっくりくるの」
そう言って、まだ俺は何も返事をしていないのに勝手に膝に頭を乗せて甘えてくるカレン。
俺はそんなカレンのサラサラな髪をそっと撫でる。
すると、「可愛い? ねえ、可愛い?」と、何度も聞いてくるので「ああ」とだけ。
すでに映画は始まっている。
冒頭のセリフなんか何も聞こえちゃいない。
はっきり言って集中なんてできやしない。
どうせ見るならちゃんと見たかったなあって思っていると、俺に膝枕されたままカレンが、「ねえ、ちゃんと集中して見なさいよ」って。
思わず「黙ってろ」と言いかけたけど。
俺はやっぱり映画に集中したかったので、口を閉ざした。
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