カレンさんのお食事
「ただいまー……って、何してるのよ時也。早く家に入りなさいよ」
「はいはい」
帰宅してすぐにツッコミたいポイントがある。
なぜかこいつ、我が家の合鍵を持っているのだ。
母さんから預かったそうだから入手経路については今更とやかくは言わないけど。
彼女でもない女が合鍵を持ってるって、ほんとこれどういう理屈なんだよ。
幼馴染だから?
いや、そんなこと言ってたら昔馴染みの連中の実家の合鍵、持ってるやついる?
いねえだろ普通。
セキュリティも何もあったもんじゃねえ。
「はあ、疲れた」
「もう、ため息はよくないって言ってるでしょ? ほら、さっさとお風呂入ってきて」
「わかったって。急かすなよ」
「ほんとそういうところがグズなのよ。私みたいに何事もテキパキしないとダメよ」
「テキパキねえ」
自信満々にそう話すカレンはたしかに何事もテキパキとこなすし、家事も完璧だ。
料理はうまくて洗濯も手際良くて綺麗好きで。
それでいて頭もよくて超がつく美人とくればもはや非の打ち所がないのだけど。
「風呂の湯、普通飲むかねえ」
一足先に風呂に浸かりながら、俺は水面に映る自分に愚痴る。
この風呂だって、朝のうちにカレンが「タイマーしておいたから」と、準備してくれてたおかげで帰ってすぐに入れるわけだけど。
何もかも手際良すぎるんだよなあ。
ていうか自己犠牲が過ぎるというのか。
とにかく尽くすタイプなのはよくわかるけど、そういうところもなんかヤンデレヒロインなんだなあ。
「時也、ちょっといい?」
ぼんやりと考えごとをしながら風呂の熱を堪能しているところで、外からカレンの声がした。
自分が風呂に入ってる時には脱衣所にも入ってくるなって言ってるくせに、何の用だ?
「なんだよ」
「着替え、置いといてあげる」
「おい、また勝手に部屋に入ったのか? やめろって言っただろ」
「いいじゃん別に、幼馴染なんだから見られて恥ずかしいものなんてないでしょ」
「あるだろ普通」
「何が? 何かやましいことでも隠してるの?」
「……そうじゃないけど」
「なら文句言わないの。あと、洗濯物も出しておくから」
「ま、待てそれは」
「あんたの脱いだ服まで洗濯してあげようってんだから感謝しなさいよ。あーもう、脱ぎ散らかして、ほんとガサツなんだから」
ブツブツと文句を言いながら、カレンの足音は遠くなっていった。
やられた。
うっかりしていた。
先に脱いだ服、洗濯機に入れておくんだった。
「はあ……また俺の下着があいつの餌になっちゃった」
というのも、俺は見てしまったのだ。
ある日の夕方、あいつが回す前の洗濯機から俺のパンツを取り出しているところを。
最初は、自分の服を俺の下着と一緒に洗濯したくないから排除しているのかと思って見ていたんだけど。
そうじゃなかった。
あいつは、俺の脱いだ後のパンツをこともあろうかクンクンと嗅ぎ始めたのだ。
「えへへ、時也の匂いだあ。えへへ、私だけが知ってる時也の匂い、えへへへ」
そんなことを言いながら笑っていた。
あれを見て、俺がドン引きしたのは言うまでもない。
はっきり言ってただの変態行為。
そういうところもやっぱりヤンデレヒロインのそれだ。
その場でカレンに声をかけてやめさせようとも、もちろん考えた。
だけど、ひとしきり俺のパンツを堪能した後でそれを洗濯機に再び放り込んだカレンは、
「時也の匂い、私以外の女が嗅いだら絶対殺す」
と、かなり物騒な独り言を呟いていたので俺は柱の陰から動けず。
隙を見てこっそりリビングに戻って、後でリビングに戻ってきたカレンに対しても何事もなかったかのように平然を装ったのだった。
もちろん殺すというのは言葉の綾かもしれないけど。
あいつのあの時の目、マジで焦点が合ってなかった。
まるで俺のパンツに違法な薬物でも染み込ませていたかのように、あいつの様子はおかしくなっていた。
「ほんと、いつまでこんなこと続けるんだろ」
今度は天井を見上げながらぼやく。
こうしてカレンのわがままに付き合っているうちはまだ平和なのかとも思うけど。
段々と、あいつの束縛もひどくなっていってるし。
本人にはその自覚が一切ないし。
このままだといけないんだろうけど、進む勇気も断ち切る度胸も俺にはない。
こういう時、ナンクルナイサ精神で生きてきた自分を恨みたくなる。
決断力も、実行力もないのが俺。
流されてるなあ。
はあ……。
「時也、ご飯できたよ」
俺の唯一のセーフティスポットである風呂場に、少しでも長く居たいと思ってゆっくり湯船に浸かっていてもすぐに呼び出される。
「はいはい、出るよ」
呼ばれたら、素直に風呂を出る。
出ないとあとで、死ぬほど機嫌の悪いカレン様とご対面することになるから。
たまにはゆっくり風呂に浸からせてくれと頼んだこともあったけど、カレン曰く、「お風呂は二十分くらいが一番健康にいいのよ」だそうだ。
もちろんどこを調べてもそんな記事は存在しない。
結局、風呂に逃げるなという話だ。
「……お、いい匂い」
キッチンへ向かうとカレーのいい匂いがした。
そして制服のままエプロンをかけたカレンが、「ほら、冷めちゃうから食べるわよ」と。
テーブルには湯気を立てるカレーが、ご丁寧に二つ並んでいた。
「……よいしょっ」
「ほら、さっさと食べるわよ。片付けもあるんだから」
「……なあ」
いただきますの前に。
俺は対面ではなく横に座るカレンに問う。
「なんでいつも横並びなんだ? 普通向かい合わせだろ」
「いいじゃんいつもこうなんだから。あっちの席、西日が眩しいのよ」
「だから窓にすだれかけろって言っただろ」
「そうすると日が差し込まないから寒いの。ほんとわかってないんだから」
あー言えばこう言う。
それは俺も同じだけど、カレンの場合は言ってることがいつも嘘ばっかりだ。
西日が眩しい? 嘘をつけ、今日は曇りだろ。
ていうかそもそもキッチンの窓の方角は東だ。
こいつ、こういう時だけ途端に頭が弱くなるのはなんでだ?
「はあ……」
「ちょっと、人の作った料理を前にしてため息とか失礼すぎない? さっさと食べて」
「はいはい、いただきます」
カレーの味は、食べ慣れたいつもの味だ。
基本的にこいつの料理はうまい。
そして俺好み。
幼少からずっと一緒にいるから、俺の好き嫌いも熟知している。
それはまあ、いいんだけど。
「時也って、食べる時にいつも右肩下がるよね? 変な癖よねほんと。それに、スプーンの持ち方変だし。それとさ、器を持つ時はちゃんと下の方をね」
「わかったわかった。ちゃんとするから飯食わせろ」
俺が食べるところをずっと、ずっと見てるんだよな、こいつ。
じーっと、目を逸らすことなく。
カレーを口に運ぶ時でも自分の口元じゃなくて俺の方を見てる。
食べにくいったらありゃしない。
それに、そんなに見たいのなら見やすい対面に座ればいいのにといつも思うんだけど。
なぜかこいつは俺の隣に腰掛ける。
そしてガン見。
まじでやめてほしい。
「……ごちそうさま。うまかったよ」
「ふんっ、感想がいつもひどいわね。そういう語彙力ないところ、なんとかしなさいよね」
「はいはいすみませんね。じゃあ、洗い物は俺がやっておくから風呂入ってこいよ」
「いいわよそれくらい。時也こそ、早く部屋に戻って勉強したらどうなの? 今日だって寝てばっかだったんだし」
「勉強くらいあとでやるって」
「ダメ。やるべきことを後回しにする癖、昔からよ。ほら、いいからさっさと行きなさい」
食事を終えるとカレンは、いつも俺を部屋に強制送還しようとする。
表向きの理由は勉強してろってこと、だけど。
本当の理由はそうでないこともまた、俺は知っている。
「……まただ」
部屋に戻ったフリをして、引き返してこっそりと扉の隙間からキッチンを覗く。
すると、シンクで洗い物をするカレンが、俺の使ったスプーンを手にしながらニヤニヤしているのが見える。
「ふふふっ。今日でちょうど百回目の間接キスだね、時也。今日の時也の味って、どんな味かなあ」
そういいながら、スプーンにそっと口づけをするカレンは、勿論口づけなんかじゃ済まない。
そのあと、当たり前のように舐める。
そしてしゃぶる。
で、目を虚にしながら「やっぱり時也の味だ」と呟く。
いや、俺はカレー味なのかよとつっこみたいが、あの状態のカレンに声をかける勇気は俺にはない。
こうなることがわかっていたから洗い物は自分でしたいのだけど。
これがカレンの食後のお楽しみのようだから、絶対に洗い物をさせてはくれない。
俺はおかしくなった幼馴染の姿を見届けたあと、足音を消しながら部屋に戻る。
そして、項垂れる。
「あーもうやだ。スプーン舐めて顔赤くしてる女とか、絶対ヤダ」
あんな変態じゃなくて、正統派のツンデレな幼馴染がよかった。
ツンデレじゃなくてポンコツ天然だって構わない。
なんなら別に、サバサバ系でもいいんだ。
ヤンデレじゃなければ。
ヤンデレでさえ、なければ。
「病んでさえなければなあ……」
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