迷子の風船

立談百景

迷子の風船

 浄水器をイオンモールで売る仕事をしている。

 休日のアッパーミドル層の家族連れを狙うために切っ掛けとして風船を配るのだが、今日は膨らませなかった風船の在庫を三つ持ち帰った。


「先輩、今日は多分、三つ余りますよ」


 不思議なことだが、その日に捌ける風船の在庫を把握できる後輩がいる。彼女は、イオンモールで発生する迷子の数まで予言できた。

 そして迷子の数だけ風船が余り、それを私に持たせて帰る。


「今日は四つですね」「今日は二つかな」「今日は余らなさそう。それが一番です」「今日は連休の最終日、多分二十個は余りますね」「今日は平日なのに五個も余りそう」


 私はその風船を棄てることが出来ずに、とは言え大事にすることも出来ずに、ただ持ち帰ってはAmazonの段ボールの空き箱に貯め続けている。


 ある日の休憩の折、後輩とフードコートで丸亀製麺を食べに行くと、食器を返しに行った彼女は迷子になり、連絡が取れなくなった。

 待ちぼうけて休憩も終わる頃、すると館内放送で私の名が呼ばれた。彼女は迷子センターにいた。


「なるほど、私が迷子になるなんて」


 後輩は神妙な顔でそう言ったが、慣れ親しんだイオンの館内で迷子になるなんて、何かあったのではないか。

 しかし彼女は何の気なしに「今日はもう、迷子は出ませんよ」と言った。


 そしてその日の帰りに、また膨らませなかった風船を一つ渡してきた。

 どうということはない、見慣れた赤い風船だ。


「先輩、風船というのはなんですよ」

「目印?」

「風船があれば迷子にならない、ということです」


 私は後輩が渡してきた風船を、やはり家に持ち帰った。

 その一つの風船が、今日の迷子の数だ。

 私は後輩の顔を思い出し、何の気なしにその風船を膨らませる。


 私の呼気で丸く膨らむ赤い風船。口を結ばず、なんとなく手で弄んでみる。


「あ」


 不意に、風船が手から離れた。

 そしてぶぶぶぶと空気を噴出して、風船は不規則な軌道で部屋を飛び回る。

 私はそれを目で追うことが出来ない。

 そして狭いワンルームのなか、結局どこを探しても風船は見つからなかった。


 私はそれからも、何度か後輩を迷子センターに迎えに行くようになった。


「先輩が来てくれるんで安心して迷子になれますよ、私は」


 そう言いながら、今日も後輩は迷子の数の風船を渡してくる。

 そこには後輩の迷子は含まれていない。


 風船を入れる箱は、少し立派なやつに変えた。

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迷子の風船 立談百景 @Tachibanashi_100

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