第3話 成長

 一度戻って昼食をとり、もう一度見回りに出て、『ユリア』としての今日の予定は無事完了。

 魔獣を持って帰ったら、アレクにメチャクチャ怖がられ、ジョンに「魔獣に食べられるところはございません」と、たしなめられた。通りでユリアの中には持って帰ったという記憶がなかったはずだ。


 確認した所、魔獣は、たおしたらその場に置いておくと、大地が数日で淘汰してしまうのだと。普通の生き物なら低温の中で凍ってそのまま残ってしまいそうなのに。

 氷の大地には独特の生態系があるんだなあ。


「持って帰ってきていただけるなら、雪の木の果実をお願いできると助かるのですが」

「そういえば、そんなものがあった気がするわね」

 確かに、ごうごうと吹き荒れる風と雪の中、真っ白な雪でできた木々に透き通った実が揺れていたのを見た。

「斃した魔獣の魔力を吸い上げて実るので、天然の魔力回復薬と言われているのです」

 しかも大変に美味しいと。そういう事なら、次からは忘れずに持って帰ってこよう!

 アレクもそれなら喜んでくれるかな。


「ユ、ユリア様」

 先ほどの魔獣のショックが抜けきれないのか、ちょっと腰が引けた感じでアレクが声をかけてくる。振り向くと、一枚の紙を差し出してきた。受け取って私は目を瞬く。

 紙いっぱいに線が踊っていた。

「アレクの今日の成果でございますよ」

「名前の書き方を教えてもらいました!」

 なるほど、この国の文字を思い出しながら見てみると、『アレクシス』と読める。

「よくできているわ」

 そう褒めると、アレクは嬉しそうに笑う。これは私のワガママなんだろうけど、やっぱりこのくらいの子には笑っててほしい。


「さあ、報告も終わりましたし、夕食のご用意を致しますね」

 食事といえば、昼食の時は一人でテーブルについてジョンが給仕をしていた。

 それが普通なんだとわかっているけれど、私は寂しいと感じてしまう。なんとか理由をつけて一緒に食事ができないかと悩んでいると、良い案が思いついた。


「ジョン、今日からはあなたもアレクと一緒に食事へ同席してくれるかしら、アレクにマナーを教えてほしいのだけど」

 給仕の仕事があるので無理だと言われるかなと思ったが、ジョンは微笑んですんなり受け入れた。

「度々、席を立ちます失礼をお許しいただけるのであれば、喜んで」

 もしかして、ジョンはずっとひとりで食事をする私、ユリアを気にしていてくれたのかもしれない、そんな気がした。


 夕食は一人で食べた時よりずっと美味しく感じられた。

 マナーの勉強だという前提があったからか、アレクも今まで食べた事がないような品々でも遠慮する事なく食べすすめていた。

 ジョンの気遣いだろう、今日はまだ胃腸に優しい軽めのメニューなのも良かったのかもしれない。

 彼に最強の騎士になってもらうのも大事だけど、まずは体の回復が最優先。何をするにしても、体が元気になってからだよね。

 私はそんな事を考えながら自室のベッドに転がる。仰向けでじっとしていると、ふかふかのベッドに沈み込んでいくみたいで、気持ちがいい。

 まあ、焦っても仕方ないかな。なるようにしかならないんだし。だって、時間はまだ十分にあるんだから。

 私は呑気にそんな事を考えながら、とろとろと眠りに落ちた。



◇◇◇



「大丈夫、時間はまだ十分にあるから」


 私は、誰かにそう一生懸命に言っていた。

 声をかけ続けている相手の背中は丸まり、その顔は段々と俯いていく。

「私も手伝うよ」

「もう、無理です!」


 悲鳴みたいな声だった。彼女はそう言うと、椅子を蹴って立ち上がる。


「やってもやっても、修正が返ってくるんですよ! こんなの無理です!」

 彼女の手には、提出していた企画案に目一杯の修正指示が入った紙。

 それを握りしめて私の目の前を通り過ぎていく。まずい、そう思った。

 止めないと、今彼女を止めないと。

 一直線に上司の席へ向かう彼女の背中に追いつこうとするのに、どうしても手が届かない。

 体が動かない。


 そして、何かがぶつかる音と怒号が、部屋に響き渡った。



◇◇◇



「待って!」

 私は叫んで起き上がった。心臓が跳ねているのを思わず手で押さえる。

「なんで今更あんな夢」

 あの夢のワンシーンは、随分前の仕事場での出来事だった。こだわりが強いといえば聞こえがいいけど、企画の内容だけじゃなくて、文言の一つ一つまで細かい修正を入れてくるタイプの上司に振りまわされた挙句、後輩がその上司にキレて殴りかかったのだ。


 実際は、近くにいた男性社員がギリギリの所で止めに入ってくれて、なんなら代わりに殴られた上で無かったことにしてくれて、事なきを得た。

 私はなんにもできなくて、ただ彼女を見送ってしまった事を確かにすごく後悔していたけど、今更夢にみるほどだったのかなと不思議に思う。


 ああ、でももしかしたら、あの時から『誰かを育てる』ことに苦手意識が出来てしまったから、それで夢にみてしまったのかもしれない。

 アレクをどうやって『育て』るのか、を考えながら寝入ったから……?


 私は首を傾げる。なんとなく、夢の中に他の引っ掛かることがあったような気がして。

 でもどうしたって夢は夢。内容を思い出そうとすればするほど、煙のようにするりと記憶から消えていく。


 しょうがない、わからない事は一旦置いておこう! 私はそう決めると立ち上がる。

 今日もユリアとしての一日が始まる。


「アレクを指導する騎士がご挨拶に来ております」

 朝食を終えたタイミングで紅茶をサーブしながら、静かにジョンが告げる。

「わかったわ、応接室へ案内して」

 私はそう指示をし、ゆっくりと紅茶を楽しんでから立ち上がった。

 ジョンの淹れてくれる香り高い紅茶は、優里愛として生活していた頃には味わうことがなかった贅沢な気持ちになれる一杯なので、慌てて飲むのは勿体なかったから。


 私が部屋に入ると立派な髭をたくわえた壮年の男性が立っていた。

 こちらを見て、舞台役者みたいな一礼をする。


「氷の城の女主人、偉大なユリア様にご挨拶を申し上げます」

「大袈裟な挨拶はいいわ、あなたの役目を果たしてさえくれれば」

「お任せください! 私ダビッドは、現役より退いた身ではございますが、今でも王城へ出仕する騎士を何人も育てているのですよ」

 彼は、胸を張るとそう言う。他ならぬジョンの連れてきた人物だ、心配はいらないだろうと私は頷き、後方に控えていたアレクに目をやった。


 アレクはダビッドの前に進み出て、期待に満ちたきらきらした目で見上げる。それから慌ててぎこちない挨拶をした。

「アレクシスです。よろしくお願いします!」

「おお! 元気が良くて宜しいですな!」

 ダビッドはアレクの頭を撫でる。

「立派な騎士に育てて見せましょう」

 豪快に笑うとダビッドはそう言い、アレクの肩を強く叩いた。


 それからしばらくは、何事もなく過ぎた。

 アレクはジョンの手伝いの合間に、読み書きの勉強と、ダビッドから剣術の指南を受けているというのは日々報告を受けていた。

 

 その日、夕食後のお茶の片づけはアレクが担当していた。少しずつできることが増えていっていると感慨深く眺めて、私は彼の肩に埃がついていることに気づく。

 さっきまでは掃除でも手伝っていたのかなと、私は何気なく彼の肩に手を伸ばす。

 その瞬間、気づいたアレクがぱっと私の手を逃れるように身を捻った。そのせいでトレイからカップが滑り落ちて、砕ける。


「あっ、あの、申し訳ございません、ユリア様」


 カップの事はどうでもいい。最近は近づいても怖がったりしないと思っていたのに、急にまた距離を取られた事の方がずっとショックだ。


「いいから、片付けはジョンに任せなさい、カップの欠片で怪我をするわよ」

 ため息をついたら、アレクは随分を傷ついた顔をした。が、やはり私には近づこうとしない。


 怖がられるような事をしただろうか? もう魔獣を引きずって帰ってきたりもしていないのにな……。



 ジョンがカップを片づけている間にも、私はじっとアレクの姿を見つめていた。

 怖がっている様に見える、でも私を怖がっていると言うより何かが私にバレるのが怖いと言うような顔に見える。

 ……そう気づいてから改めてアレクを見てみると、なんだか立ち方がおかしい。

 片足をかばっているような?


「ジョン、ちょっと」

 手招いて耳打ちをひとつ。ジョンは息を呑むとアレクに目をやり、すっと彼の傍へ。

「アレク、ちょっとじっとしていてください」

 ジョンの言葉にアレクは逃げ出したいというような目をしたが、肩に手を添えられ諦めたようにされるがままになる。

 するりとジョンがアレクのズボンの裾を少し捲った。次いで上着も少しだけ。


 二人で目を見張る。そこにあったのは大きな打撲の跡。さらに調べてみると背中にも、脇腹にも、太ももにもあった。巧妙に服で見えない部分に残っているそれに、私は怒りで目の前が赤くなった。

 訓練でついた物とは到底思えなかった。


「ごめんなさい! 違うんです! 俺、俺が、あんまりちゃんと出来ないから、だから、ダビッド先生が俺のために、教えたことを忘れないようにって」

 すぐに服を戻し、アレクはその傷を隠す。私は込み上げてくる怒りを抑え込み、口を開いた。


「アレク、そこに座りなさい」

 長椅子を手で示すが、アレクは震えながら謝るばかり。

「ご、ごめんなさい、ユリア様」

「謝る事はないわ、なんにも謝ることなんてないのよ」

 謝るのはこっちのほうだ。もっと早く気づかないといけなかった……。

 ずっと隠していたんだろうに。


「ジョン、傷薬を」

「こちらにお持ちしております」

 魔法では直接傷を癒すことは出来ない。こんな時こそ、魔法でパッと痛みをなくしてあげたかったのに。せめて特製の傷薬が効いてくれる事を祈るしかない。


「アレクの治療をお願いするわ。私はちょっと出てくるから」

 私の思いとユリアの思いは、今日この時に限っていえば完全に一つだった。

「すぐに戻るわ」

「お戻りをお待ちしております」


 ジョンの声も、今日は少しだけ震えていた。



◇◇◇



「こんばんは、いい夜ね」


 声と一緒に鋭い冷気が私の体の中から浮かび上がる。

「こんな時間にどうしたのですか、ユリア様」

 酒場からの帰り、路地をフラフラと歩くダビッドを見つけてその進路に立ち塞がる。すでに魔法による人払いは済んでいるので辺りには誰の気配もない。


「アレクの訓練内容について、聞きたいことがあるのよ」

「こんな時間にでございますか?」

 言葉は丁寧だが、声色はあくまで迷惑そうにダビッドが答える。酔いも回っているからだろうか、最初に会った時のような人好きのする笑顔は無い。 

「ええ。急いで聞きたいことだから」

 一歩、また一歩と私はダビッドに近づいていく。


「ねえ、アレクの身体中にある傷は、なにかしら?」


「それは訓練によるものですよ。アレクだってそう言ったでしょう」

「そうね、そう言ったわ」

 私はそこで一拍置いて、ダビッドのすぐ目の前で立ち止まった。


「でもね、訓練による傷か、暴力による傷かくらい、見ればわかるわ」

 顔を近づけ耳元でそう囁くと、ダビッドはびくりと肩を震わせ、後ずさる。

 こちらを見る瞳には、嫌悪感が滲んでいた。

「ねえ、どうしてあんな事をしたのかしら」

 とうとう、ダビッドの表情が大きく歪んだ。


「どうしてかって? そりゃ魔女の手下なんかに、俺の剣を教えるなんてまっぴらだったからだよ!」

 呆れるしかないその物言いに、私は冷たい言葉を返す。

「それなら引き受けなければよかったでしょう?」

 無理に頼んだわけでは無い、相応の報酬を提示して依頼した仕事だったのに。

「うるさい! 氷の大地の魔獣をけしかけて、街から金を搾り取ってる魔女からその金を取り返してやった、それの何が悪いんだ!」


 そういえば、ユリアが魔獣を倒して街を守っていると言う事を信じない者もいるというのは記憶にもあったから知っていた。でもこの男がそうだったとは。


 自分が正しいと思っている、思い込んでいる。

 こういう年寄り、向こうでもたくさん見たなあと私は思う。そして、ダビッドが先ほど出てきた高級な酒場の方を見ながら言った。

「皆を代表して不当な金を取り戻したというなら、皆にも返せば良いでしょうにね。そこは自分の懐に入れたの? 都合の良い話ね」

 ダビッドは取り返されると思ったのか、金の入ったポーチを庇うように身を捻った。そんな金なんかどうだっていいのに。



「魔獣討伐の件は、領主との契約に則った正当なもの。不満があるならまず領主に陳情なさい」


 大事なのは、彼がアレクにしたこと。

「そんな戯言はいいわ。まず、アレクに謝ってちょうだい」

 痛い思いをさせたこと、それを正当なものだと信じ込ませたこと。それは絶対に許せない。

「誰が化け物とその手下に謝ったりするものか!」

「そう。謝る気はないのね?」

 私は間近で声を張り上げるダビッドの目をじっと見た。そして続ける。


「それなら、化け物らしく報復しましょう。私の養い子に手をあげたのだから、覚悟はしているのでしょうね?」

 どこまでもどこまでも冷たい声が出た。ダビッドは言葉を失い、次の瞬間、腰の剣に手を掛けた。

鞘から剣を引き抜く間に、私は手を振った。


「っ!」


 風を切る音と共に、氷の刃が疾走った。ダビッドの手から剣が弾き飛ばされて地面に転がる。

「いやね、そんな物が私に通じると思ったの?」

 続く氷の刃が彼の服を裂くと、ダビッドその場にへたり込み、すっかり動けなくなる。

 この程度の腕で『王城へ出仕する騎士を何人も育てている』なんて大ボラもいい所。


「次はあなたよ」

 目の前で氷の槍が形成されてゆく。それを握りしめて私は宣言した。

「さようなら」

 私は彼の腕を貫くつもりで、氷の槍を振りかぶる。次の瞬間、槍はダビッドの頬を裂いて、地面に突き刺さり砕けた。




「う、うわあぁぁ!」


 叫んでダビッドが逃げていく。

 追いかけたかったがそれも出来ない。なぜなら、私の手にはアレクがぶら下がっていたから。

それで狙いが逸れてしまった。


「ユリア様、俺は、大丈夫ですから!」

 息を切らせて、必死にアレクは言う。

「どうやってここへ?」

「ユリア様の魔法の痕跡を追いかけてきました」

 え? アレク魔法が使えたの?

「すごいじゃない!」

 私はアレクの両手を握る。アレクはちょっと赤くなって、照れたのか俯く。


 城からただ追いかけただけじゃ、間に合うはずがない。ということは、

「魔力追跡と転移を使えるって、すごいことよ!」

「必死だったから、俺、どうやって使えたのかもよく分かってないんです」

「それでも、素質があるのは間違いないわ!」

 私は嬉しくなって、アレクの両手を振り回す。


 ウチの子、天才では!?


 いや、ウチの子は、言い過ぎか。預かっている大事な子なのだし。

「ユ、ユリア様?」

「あ、ごめんなさい」

 私は、スッと手を離して表情を取り繕う。


「あの男の事は許せないけど、アレクが魔法を使えた切っ掛けになったのなら……」

 ブツブツ呟く私を前に、アレクは困ったような顔をする。

「とにかく、帰りましょうか?」

「はい」


 手を握るとアレクが微笑みを返した。その掌からほんのりと魔力が伝わってくる。


 これは幸先良いのでは、私は心の中では目一杯の笑みを浮かべながら、アレクを連れて転移の魔法を展開した。

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