第2話 出会い
放り上げちゃった本を慌てて魔法で自室に転送してから、突然の奇行を誤魔化すように咳払い。
この子が女神様の言っていた『主人公』なんだろう。
くすんだ感じの金の髪に隠れたアイスブルーの瞳が、じっとこちらを睨んでいた。ジョンの手から逃げようと威勢よく暴れているけど、その目の奥には恐怖心が滲んで見える。
まあ、怖いよね。
ユリアの記憶の中で、『氷の城の女主人』といえば、街でも評判の『恐ろしい魔女』だもの。
街の子は『言う事聞かないと氷の城から魔女が来て、食べられちゃうよ!』なんて言われて育ってるはずだし。
「ちょっとその子を押さえていて」
振り回している手足をジョンに押さえてもらってから私はゆっくり近づくと、身を屈めそっと彼の手を両手で包み込んだ。
「な、なにするんだよ!」
声を上げて逃げようとする。
ごめんね、痛いよね。じわじわと伝わってくる冷たさに私はため息をついた。
「ジョン、すぐに浴室にぬるま湯を用意して。私の体温くらいで痛いなら、この手は凍傷になりかけているわよ」
なんとか記憶から『凍傷』への対処を引っ張り出した私は、そっとそっとと心で唱えながら彼の手を両手で挟んで温める。
確かいきなり熱いお湯に入れたり、暖炉の強い火にあてたりしたらダメで、最初は人の体温でゆっくり温めるくらいにしておかないと。
「指に感覚はある?」
顔を覗き込んで聞くと、戸惑いながら首を振る。
私に手を握られてしまったからかすっかり暴れなくなったのを確認した後で、ジョンがスッと部屋を出ていく。
「お、お前、魔女なんだろ? もしかして俺を綺麗に洗ってから食べるのか?」
「そうかもしれないわね、だからお湯が準備できるまで我慢してこうしてなさい」
その言葉に、その子は寒さじゃない理由で小さく震え出す。
「俺、家じゃ、あんまりご飯も食べさせてもらってないし、きっと骨ばっかりで美味しくないよ……」
私はその言葉に彼を頭の上から足元まで改めて見た。……ほっそりを通り越したその体型。
「じゃあ食べるならもっと太らせてからにするわ。あなた好きな食べ物は?」
「キャベツの入ったスープ」
恥ずかしそうな、小さな小さな声だった。
胸がぎゅっと痛くなって、私は絶対にそのスープには豆類もお肉も山盛りに入れる! と誓う。
あ、でも普段食べてないならいきなり重いものはダメだった……。
「お風呂で十分に温まって、もう手も足も痛くなくなったら、食事も用意するわよ」
できるだけ優しい声を出そうとするけど、ユリアである私の声はいつだって冷たく響くし、ユリアの記憶を元に冷たい言葉が出てきてしまう。
『怖い』と『そうでもない?』の間で揺れながら彼はこくんと頷いた。それから必死な顔で私を見上げて言う。
「……俺が居たら父さんも母さんも飯食えないんだって、だから氷の森に捨てられた。俺、もう帰る所、ないんだ」
ぽたぽたと、アレクの大きな目から涙が落ちた。それは彼と私の手を濡らして床に落ちていく。涙で詰まりながらのその言葉に、私はすぐに返事ができなかった。
「俺、なんでもするから! 役に立つから食べないでここに置いてくれよ!」
そんな風に言われたら、ダメなんて言えるわけがない。
そうでなくても、彼を追い出すなんてできないんだけど。
「名前は?」
「……アレクシス」
「アレクシス……」
予想通りの名前だった。やっぱりこの子が『主人公』の騎士アレクシス。
ユリアに虐められ、ユリアを倒して氷の魔法を受け継ぎ、最強の騎士になる子。
どうすればいいんだろう……。私はこの子を虐めるなんて無理だし、でもちゃんと役目を果たさないと元の世界に帰れないし。
でも、虐めなくてもこの子を最強にできたら、どうだろう? それでちゃんと私を倒してくれたら。
その考えに、私の中の『優里愛』が、それだ! と飛び上がって手を叩く。
それだったら、女神様も大筋合ってるからOK!ってなるのでは?
「じゃあ、アレクと呼ぶわ」
私はテーブルの上の銀のベルを鳴らす。すぐにジョンが姿を現した。
「お呼びですかユリア様」
「この子はアレク、今日からあなたの部下になるわ。ちゃんと綺麗にして、食事を与えて、使えるようにしておいて」
「承知いたしました」
さすが出来る執事は主人の言葉にノーを言わない。私は自分の思いつきに浮かれながら、でも表情は冷たいままで二人を部屋から見送った。
二人が部屋を出てから、私は早速自室に戻って『氷の騎士物語』を開く。
あ、マニュアルは机の引き出しの奥に丁重に放り込みました。
「出会いの所は……」
本の最初の辺りを捲る。
最初の章は、氷の城近くの森に、口減らしのためアレクシスが捨てられる所から始まっていた。
アレクシスは寒さに凍えながら、森の中で唯一見つけた灯りを目指して歩いて歩いて、辿り着いたのがこの城だった、という事のよう。
お話の通りなら、ユリアはアレクシスを従僕として使えるかもしれないから、と城に迎え入れるが、隙間風が通り抜ける物置小屋に住まわせ、わずかな食糧を与えるだけで朝から晩まで働かせる。
とんだブラック企業、いやブラック城じゃないか。
私は唸ると、続きを読もうとした。が、本はそれ以上開かない。もしかして、実際に関わった章までしか読めない?
「ネタバレOKですって言ったのに」
これじゃあ、先読みして準備ができない。
あらすじから考えると、この後は城で良いようにこき使われる中でもこっそりと鍛錬を積み、ユリアを倒せるくらい強くなるんだろうけど。
じゃあそのくらい、強くなるために何をさせればいいの?
会社で後輩育成するのとは訳が違う。私は首を捻るが全然良い考えが浮かばない。
明日ジョンにも相談してみようかなと思いながら、とりあえず今日の所は馬鹿みたいに大きなベッドに倒れ込んだ。
◇◇◇
「知らない天井だわ」
定番の一言を口にして私はゆっくり体を起こして伸びをし、ユリアの記憶にはあるから『知ってる天井』だったなと思い直す。
それからサイドテーブルに置かれた水差しからコップに水を注ぐと、手を翳しほどよく冷やした。
冷たい水のおかげで、ぼんやりしていた頭がしゃっきりと整う。
「魔法って便利!」
窓の外はすっかり明るい。
私は今日の予定を確認しようと、水差しの横のベルを振った。
「おはようございます、ユリア様」
「お、おはようございます」
扉を開けて、スッとジョンが現れる。その隣をおっかなびっくりワゴンを押しながらアレクが着いてきて挨拶をした。ワゴンの上の桶で洗顔用の水が跳ねているのを彼は困った顔で見ている。
「大丈夫ですよ、アレク。ユリア様はそのくらいの事でお怒りにはなりません」
どうフォローしようかと考えている間に、ジョンが彼に言葉をかけてくれる。
さすがジョン! 私は
「すっかり、綺麗になったわね」
くすんでいた髪は、部屋に差し込む陽の光を受けてキラキラと光っているし、食事と睡眠で少しは落ち着いたのか、暗い色が消えた瞳は透き通るようなまさにアイスブルー。
大人用のサイズ小さめの侍従服を袖や裾をなんとか
さすが主人公だなあと眺めていると、おずおずとアレクが進み出てくる。
「あの、ありがとう、ございます」
アレクが、がばりと頭を下げる姿に、私はできるかぎり優しく微笑んだ。……多分、冷笑に見えるだろうけど。
案の定、ちょっとアレクは怯えた顔になって、それから頭を振ってまっすぐ私を見る。
「ユリア様のおかげで、手足ももう痛くないです」
「よかったわ、ではせいぜい働いて返してもらうわよ」
「はい!」
素直な返事。
さて、そうは言ったものの、元々の世界の感覚があると子供を働かせるっていうのも、ちょっと抵抗が……。でもユリアの記憶にあるこの世界では、ある程度の年齢になれば、働くのは当然の事だし。
ジョンを手招く。
「あの子なんだけど、どうかしら?」
「読み書き、計算はできないようですが、単純作業なら問題ないかと。ただ、栄養が不足しているようなので、しばらく無理はさせられないでしょう」
曖昧な問いにも、的確に答えが返る。
「わかったわ、では、まずは無理をしない程度の簡単な手伝いを中心に仕事を振って。合間に読み書きも教えておいてほしいの。できるかしら」
ジョンはにこりと笑う。
「では、この老いぼれが引退するまでには、完璧な執事に……」
「あなたの代わりなんていないでしょう。あの子は、そうね、この城の騎士なんてどうかしら」
そう、彼には騎士になってもらわないといけないんだ。
私はなんとかアレクの進む方向を原作の方へと向けようとする。
「騎士でございますか? では、どなたか指南役を探さなくてはなりませんね」
「心当たりはある?」
「何人かは」
「じゃあ、任せるわ」
なんでも任せてしまって申し訳ないけど、自分でやるより良い結果になりそうなんだもんなー。
私はすました顔で丸投げして、それから元々の用事を思い出した。
「ところで、私の今日の予定はどうだったかしら」
「本日は北東部の見回りでございますね」
見回りってなんだっけと思うと同時に、ユリアの記憶がふわっと頭に広がる。
氷の城の向こうには、森を挟んで魔獣がうろつく凍った大地が広がっていた。ちなみに反対側がアレクも居た街。ユリアは凍てつく大地から街への魔獣の侵入を防ぐ役目を負っている。
その対価として街から報酬を得ているのだ。
人が敵わない魔獣を
大きな力はどうしたって怖がられるものだけど、魔獣退治がんばってるんだから、もうちょっと親しんでくれてもいいのになあと私は思う。
「わかったわ、支度が済んだらすぐに出ます」
私はそう言い、魔法でクローゼットから着替えを取り出すと、パッと一瞬で着替える。そのままアレクが持ってきた水で顔を洗い、今度は魔法でメイクを済ませる。
使ってみて思うけど、ほんと魔法ってすごく便利! これがあれば、出勤日の朝、あと30分は長く寝られたのに……。
そのまま元の世界には持っていけないかなと思うけど、無理だよね。
私は背筋を伸ばし無駄な考えを消し去ると、できるだけ威厳ある表情で口を開く。
「城のことは頼んだわ」
「かしこまりました」
「アレクはジョンのいう事をよく聞いてがんばりなさい」
「はい! ユリア様」
二人の見送りを受けながら、私は転移の魔法を展開する。
――魔獣って美味しいのかな?
と、思いながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます