第4話 急成長
城に戻ってからジョンに事情を聞いてみた所、ダビッドを紹介してきたのは領主であったらしい。
静かに憤慨するジョンに丁寧な抗議の手紙を領主宛に送ってもらって、とりあえず反応を見ることにした。
意図的に『氷の城の女主人』に対する敵意を持った者を送り込んだのであれば、それなりの対応をと思っていたが、青ざめた顔で領主が飛んできて、床に這う勢いで謝意を伝えてきたので受け入れたし、さすがにそこまでされるとちょっと引いた。
今度こそは! と意気込む領主に紹介された青年イウレスは、数年前まで王城で騎士をしていた人物で、怪我を負い故郷に帰ってきたが指導には支障がないとの事。
なので、きちんとした指導をする事、アレクに暴力を振るわない事を魔法で契約する事を条件として受け入れた。
「何かあったらちゃんと報告するように」
ジョンに言い聞かされて、アレクは頷く。
後日、訓練の様子を覗きに行ってみたが、イウレスは至って真っ当な騎士であったし、その教え方は丁寧だった。
訓練中のアレクは生き生きと嬉しそうに木刀を振っており、これなら安心できるとジョンと二人、ホッとしたものだ。
アレクの指南役についてひと段落着いた所で、私は一度『氷の騎士物語』を開いてみた。思った通り、新たなページが捲れるようになっている。
本には、ダビッドからの指導と称した暴力に晒されながら、その中でダメージを受けない攻撃の受け流し方や、ダビッドが気まぐれに与えた指南書を元に剣術を磨いていくアレクの姿が書かれていた。そしてその日々は、ダビッドが些細なことでユリアの怒りをかって城を追い出されるまで一年続いていた。
苦しい日々があったからこそ、アレクは強くなれたのかもしれない。でも楽しみながら学ぶ今のアレクがそれを上回ることだってある。
私はそれ以上進めないページを透かして見たりしながら、そんなふうに思った。
◇◇◇
アレクの成長を見守りながら過ごして一年が経過したある日、ジョンがこの土地における魔獣討伐の
なので、給仕などはアレクがやってくれていた。
城に来て既に一年、読み書きに加え足りない所もまだあるなりに、少しくらいはジョンの代わりもこなせるようになってきているのかと、私としては感慨深い。
といっても、そろそろジョンに帰ってきてもらわないと仕事の方に支障がでそうだなと思っていた九日目の夜。氷の城一帯は嵐の中にあった。
吹雪く事はそう珍しくない、でも激しい雷を伴うのはそうない事だった。
外から響く雷鳴に、寝付けないなと何度も寝返りを打っていた私は、扉の向こうに人の気配を感じて起き上がる。
「ユリア様」
控えめなノックと、小さな声。
「どうしたの?」
扉を少し開けると、その向こうにアレクの不安げな顔があった。
「あの……雷が」
怖くて……そう、消え入りそうな声でアレクは言う。
そんなところはまだ子供らしいと思うし、今日の風が吹き付ける音と耳を擘く雷の音は私でも怖くなるくらいだ。
「入りなさい」
私は扉を開いてアレクを部屋の中に迎え入れた。おずおずと入ってくる彼を手招いて、私は広いベッドの上を示す。
「今日だけよ」
「ありがとうございます!」
アレクがベッドにのぼり、なるべく端の方へ寄る。私は少し離れた位置に背中を向けて転がった。
遠くに雷の音を聴きながらしばらく目を閉じていると、ひっそりとアレクの声がした。
「あの時はありがとうございました」
「あの時?」
「……前の指南役の人の時の」
それがダビッドの一件を指すなら、その言葉は受け取れない。くるりと体をアレクに向けて、私は口を開く。
「お礼なんて言われるような事じゃないわ、むしろ私はあなたに……」
謝ろうとする私を制するように、アレクの声は続く。
「あの時ユリア様が『養い子』って言ってくれたの、嬉しかったんです。いつかちゃんとお伝えしたくて」
「あ、あれは」
うまい返しを思いつかず、私が言葉につかえているとアレクはふわっと微笑んだ。
「このお城の騎士になれるまで、待っててください。俺、すぐに大きくなりますから」
その言葉に胸が痛くなる。
私は、私が自分の世界に帰りたいから、彼を騎士にしたいだけなのに。
ズルい私は、無理しないでいいと言ってあげられない。
「そんなに急いで大人にならなくていいわ、ゆっくりがんばりなさい」
「ありがとうございます、ユリア様」
こちらをまっすぐに見るアレクを見ていられなくて、私は「早く寝なさい」と声をかけ、再び彼に背を向けた。
◇◇◇
「ほんと、
席を仕切るパーティションの向こう、声が漏れ聞こえてきた。
いつもなら営業に出るついでにそのままランチに出ている所だったんだけど、午後から使う資料を席に忘れていた事に気づき、席に戻った所でこれだ。
「自分ばっかり頑張ってますって感じで、遅くまで仕事しちゃって、こっちは帰りづらいのよね」
そう言われているのは知っていた。だから普段は皆が帰る頃に出先から戻ってきて仕事を片付けるようにしていたのに。
その頃には皆、もういないから大丈夫だと思っていた。
「時間内に仕事が片付けられないのに、遅くまで残って仕事して、残業代稼いでるのってなんかズルくない?」
何人かが同意するように声を上げているのを聞きながら、気づかれないよう、そっと自席を離れる。会社の裏の公園までたどり着いて、やっと全身から力を抜いた。
遅くまでかかっているのは、あなた達に仕事を回すための下準備をしてるからだとか、この会社は裁量労働制だから、あなた達と残業代は一緒ですよ、とか。
言いたい事はたくさんあったけど、飲み込んだ。
こちらにヘイトが向いている間は、後の人間は仲間意識で手を組んで働いてくれる。
じゃあそれでいいかなと思ったから。
「笹塚さん!」
呼ばれて顔を上げると、目の前にお茶のペットボトルが差し出された。
「お疲れ様です」
整った顔の青年がこちらに笑顔を向けて立っていた。確か、営業課に配属されたばかりの新人だったような気がする。
「色々と言われてるみたいですけど気にしないでください、僕、ちゃんと見てますから」
何をだろう? 私は受け取ったお茶と彼を交互に見て首を傾げる。
「全部、見てますから!」
爽やかな声で、爽やかに笑って、そうして彼は不穏な一言を言い放った。
◇◇◇
「いや、だいぶ怖いわ!」
私は夢の中で突っ込んで、目が覚めた。
まだどこかぼやけた視界の中に、目を丸くした少年がいた。
「ユリア様?」
「……アレク?」
どうしてここにアレクがいるんだっけとゆっくりと思い出し、それから私は急いで目を瞬いた。
「ユリア様、何か怖い夢でも見たのですか?」
「そ、そうね! そんなところね!」
それから咳払いをひとつして、身を起こす。
「雷のせいでしょうか?」
アレクが心配そうにこちらを見上げるのを、曖昧に笑ってなんとか誤魔化した。
随分と久しぶりに向こうの世界の夢だった。
あれは確かにあった事。
青年はあれからも、私が嫌なことがあった時に現れては、慰めるような声をかけてくれた。
『全部見てます』宣言はあの時だけだったので真意はよくわからなかったし、今は名前も思い出せないけど……。
「ユリア様、今日はジョンさんが帰ってきますよ!」
伝書鳥が届けてくれた文を片手に、アレクが部屋に顔を出した。
昨夜と打って変わって穏やかな天気なのもあり、今日のアレクは元気だ。
「午後には戻るのね。じゃあ馬車が着いたら知らせてちょうだい」
私がそう言うと、アレクは一礼して部屋を出た。
さて、今日の予定を確認しておかないと、と執務机の上に目をやると、『氷の騎士物語』が開いた状態で置いてあった。
心臓が跳ねる。
まさかアレクが?
中を見られたのかもしれないと慌てて本を確認する。
だが、開いていたのは、今までなら見ることができない筈の『未来』のページだった。ダビッドの件からこっち、新しいページは読めないままだったのに。
「どうして……」
読める内にと焦ってそのページを読み始め、私は思わず本を握りしめたまま直ぐに転移の魔法を展開した。
なんで急に先の部分が読めたのかは今はどうでもいい。それよりも書かれていた内容が問題だった。
◇◇◇
転移先は城の手前の『氷の森』と呼ばれる領域。そこに城に向かって走ってきている馬車がいるはずだった。氷の城の所有物であることが一目でわかる白銀の馬車が。
馬車の気配を追って空間を跳躍、何度かの転移を経て私は目的の馬車を上空から発見することに成功した。
「よかった! 間に合ったのね」
森の一本道は馬車が通る時だけ開く魔法の道、馬車が進む速さに合わせて木々が道を開き、通り過ぎれば元通り。万が一魔獣が襲って来ることもなく、ましてや普通の人間には近づくこともできない筈。
なのに、本にはこう書かれていたのだ。
『この日、城の中で唯一アレクの味方であった執事ジョンが、馬車による事故で死亡した』
と。
でも馬車は健在だった。私はほっと息を吐き、続けて馬車の前方へ転移しようとした次の瞬間、ぽっ、と白い馬車に赤い色が散った。
「え?」
それは、一瞬で大輪の花のように広がり馬車を包む。赤い色は炎の色だった。
私は慌てて近くに転移するが、馬車は大きな炎を上げながら馬と共に倒れ込む。
御者が森の中に投げ出されるのが見えたが、そちらは木々がクッションになり、気を失っている以外に問題はなさそうだ。
「ジョン!」
馬車に駆け寄りながら魔法を展開する。一瞬で炎を氷で押さえ込み、私はドアを蹴破った。
その先で額から血を流したジョンの姿を見つけ、魔法で浮かせなんとか外へ引っ張り出す。
「……ユリア様、いけません、早く逃げてください」
「いいから黙ってなさい!」
一刻も早く城へ戻り治療をしなくては、そう焦る私の首筋に、ひたりと冷たい物が押し付けられた。
「あなたが、やったの?」
私は怒りを押し殺して問いかける。
「そうさ。思い知ったかよ。あの後、俺はこの領地から追い出された。それからは何をやっても上手くいかない。全部あんたのせいだ……!」
ちくりと首筋に痛み。刃が私の首に少しだけ傷をつけたようだ。でも、そんな事どうでも良かった。
「せっかく見逃してあげたのに……!」
目だけで相手を確認する。声からそうだとわかっていたけど、そこにはダビッドが立っていた。立派だった髭は
「あの時は酔ってたからやられたが、今日はそうはいかない。あんたが苦手な火の魔石をたっぷり買い込んできたからな」
ダビッドはそう言うと、私の目の前でじゃらりと赤く透き通った石を鳴らす。石は擦れあうだけでパチパチと火花を散らしている。
強い衝撃を与えると火の魔法を炸裂させる火の魔石。先ほどは、それを矢に
「随分と奮発したわね」
私は話しながらダビッドの隙を窺う。自分だけならなんとでもなるんだけど、誰かを連れて転移するのも、自分以外の誰かを転移させるのも、一瞬どうしても無防備になる。
距離が取れていれば何の心配も要らないんだけど、さすがに刃を突きつけられ、火の魔石で牽制されているこの状態では慎重にならないといけない。
ちらりと支えているジョンに目をやるが、ぐったりとして既に意識は無いように見える。
早く城に戻らないと、一瞬、ほんの一瞬でいいからダビッドの気を逸らせれば……。
そう必死に考えていた私の傍から、急にダビッドが吹っ飛んだ。
「ぎゃあっ!」
悲鳴を上げるダビッドに影が駆け寄り、蹴りを放つ。さらに吹っ飛んで転がる所を、最後に止めとばかりに踏みつけて、その影は振り返った。
「ご無事ですか、ユリア様」
森に差し込む微かな陽の光を受ける金の髪を揺らして、青年がそこに立っていた。
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