第124話 地獄の門

 月光。

 誰かを包む優しい輝き、あるいは誰かを焼き尽くす冷たい閃光。

 今宵、優しく冷たい光は誰に降り注ぐのか。

 答えは――すぐに分かる。


「むーむー」


「あぁ、そういやずっと布巻いたままだったな。今ほどくから待ってろ」


 ミィスガルドがミラの口に巻いた布を解いてやった。


「ぷあっ。えっと……こんばんは?」


「おう、こんばんは」


「こんばんはです」


 その対応の良さに、ミラは少しだけ拍子抜けした。


「私って何でここまで連れて来られたんですか? というかミィスガルドさんの隣にいる貴方は……」


「ムゥスガルド・ローペンワッジです」


「ち、ちっちゃくて可愛い……!」


「可愛くありません! 強くてかっこいんです! こほん……憎きシャルハートを倒すため、貴方には人質になってもらいました」


「え、ええ!? 私、人質なんですか!?」


「そうです。帰り際に攫ってしまって申し訳ないです。ですが、これも大義のためです。ご理解願います」


「ご理解できませんよ! 早く帰してください……って、え? シャルちゃん?」


 聞き捨てならない人物の名前がミラの耳に飛び込んだ。

 それは大事な親友。“不道魔王”が第二の人生。


「そうです。そのシャルハートです。ムゥ達は『白銀三姉妹』、尊敬する姉さまのためならば、何でもします。これはその一つです」


「シャルちゃんをどうするつもり?」


「倒します。ムゥはそのためにこのクレゼリア王国までやってきました」


 ムゥスガルドは語気を強くした。


「まぁ……悪いな。アンタにはあまり迷惑かけないようにするからさ」


「この状況がすでに大変な迷惑っていうことだけは言ってもいいですか……?」


「……悪い、それはよーく分かっている」


 ミィスガルドはミラの言葉を受け入れるしかなかった。これはもはやどう考えても言い訳できない悪事。むしろここで平静を保っているミラがおかしいのだ。

 肝が据わった奴、そうミィスガルドは心得た。


「ミラ・アルカイト、おとなしくしていてください。逃げ出そうとすれば少々手荒な真似をしなければなりません」


「うーん……まあ私、そこまで強くないから逃げようとは思わないよ。だけど聞かせて欲しいな」


「何をですか?」


「ムゥスガルドちゃんもミィスガルドさんもマァスガルドさんのことが大好きで、ここに来ているんですよね」


「当然です。ムゥは大好きな姉さまのためにここにいます」


 ムゥスガルドはきっぱりとそう言った。

 ミラはだからこそ分からなかった。なまじ、マァスガルドの人柄を知っていたからこそ。


「だったら、どうしてこんな事を? 私、マァスガルドさんとお話したことありますけど、こんな事を望むような人には――」


「お前が姉さまを語るなッ!」


「ムゥ!」


 ミラの首筋に白銀の短剣が突きつけられた。その切っ先は少しでも触れたら柔らかな皮膚を容易に切り裂ける。


「ムゥとミィスガルドをここまで強くしてくれたのはマァ姉さまだ! だからマァ姉さまの名誉は必ず守らなければならないんだ!」



「遺言はそれで良いのかな?」



 瞬間!

 ミィスガルドとムゥスガルドは頭の上から押さえつけられたような錯覚を覚えた。

 その声をミラは良く知っていた。同時に、安堵した。

 何せ、一番の親友の声なのだから。


「来たか……マァ姉さまの敵」


「ムゥスガルド・ローペンワッジ。そしてミィスガルド。一応聞いておくけど、何をしているか分かっていて、私の前に立っているんだよね」


 シャルハートの瞳からハイライトが消失していた。これは彼女にとってそれだけ激しい感情が渦巻いている証左である。

 冷たき視線はミラの首元に突きつけられている白銀の短剣へ向かっていた。やり場のない感情が彼女の眉をヒクつかせる。


「もちろんです。このムゥスガルド・ローペンワッジがシャルハート、貴方を倒してマァ姉さまの名誉を回復します」


「そうか、あくまでマァスガルドのためなのか」


 シャルハートはこの二人の行動理由が痛いほど分かっていた。

 忠臣ディノラスの存在だ。彼はザーラレイドの為なら如何なる地獄にも歩いていく男だ。

 重なったのだ、ディノラスと。


 だからこそ、シャルハートはしっかりと報いを与えるつもりだった。


 彼女たちの気持ちは超えてはいけない一線を超えたのだから。


「じゃあ、さっそくぶちのめすけど準備は――」


「残念ながらそうはいきませんよ」


 ムゥスガルドはミラの首筋に白銀の短剣を突きつけたまま、人差し指を下に向ける。


「土下座して、マァ姉さまへの卑劣を謝罪してください。それが貴方に許された唯一のことです」


 これから起こることを察して、ミラはミィスガルドへ呼びかけた。


「そ、そんな!? 酷いよ! ミィスガルドさん! 止めさせてください!」


「出来ない。アタシも思うことは一緒だ。手段はどうあれ、な」


 ミィスガルドは決意に満ちた声で、そう言った。


「だから何もしてくれるなよ。性格がねじ曲がっているとはいえ、あんな奴を怖がらないでいてくれるのは素直に感謝している。そんなアンタには何もしたくない」


「ミィスガルドさん……」


 二人のやり取りはシャルハートとムゥスガルドの耳には届かなかった。ムゥスガルドはシャルハートのことしか目に入らず、シャルハートもまた、ムゥスガルドしか――。


「さあシャルハート・グリルラーズ。どうするのですか」


「無論」


 シャルハートはしゃがみ、地面に額を付けた。


「この通りだ、ミラを解放してやってほしい」


「ッ……すぐにですか!? どうして!? 貴方にプライドは無いのですか!? そんな簡単に土下座をするなど……!」



「親 友 と 比 べ ら れ る プ ラ イ ド な ん て 無 い」



「ば、馬鹿げてる……!」


 ムゥスガルドの右手が震え、切っ先がブレた。

 それがいけなかった。


「痛っ……」


 ぷくりとミラの首筋に血が膨らんだ。本当に小さな、米粒のような大きさの出血。

 


 この瞬間、ムゥスガルドは地獄の門を開けてしまった。


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