第102話 塔の少年、窮地のシャルハート

 人が寄り付かない塔。その頂上付近に一人の少年が立っていた。

 短い茶髪、そしてブレザータイプの制服が風にそよぐ。その制服はクレゼリア学園のものだった。真新しく、使用感は全く無い。元々着ていたものではないことは明らかだ。


 少年は背負っている剣の柄を触りながら、外界を見下ろす。

 遠くにクレゼリア王国が見えた。この大陸では有名な地。人間界の勇者アルザが生まれた国。

 もっと遠くの更に遠くには、魔族達が主に住む魔界がある。そこには魔界の勇者ディノラスが生まれた国ハルバラがある。――いや、まだいた。

 かつて世界に反逆し、世界に滅ぼされた“不道魔王”が生まれた地でもある。


「神話の舞台ヴィルハラ平原で戦った三人。死闘を繰り広げ、やがて生まれた平和。名付けられた異名は勇者。人間界と魔界の……」


 彼らはずっと讃えられるだろう。

 そして、きっといつか詩人やおとぎ話として語り継がれていく。ずっと永遠に。



「羨ましいなぁ」



 嫌味も何もなく、少年は呟いた。

 その時、背中の剣が僅かに震えた。


『またかブレリィ』


 まるで口を動かすかのように剣が小刻みに振動する。

 開かれた翼を思わせる山吹色の鍔、若草色の柄を持つ長剣だ。


 少年――ブレリィ・マリーイヴは語りかけてくる剣に向かってこう返した。


「酷いなぁ。僕は史上最強の勇者になりたいんだ。いつかは超える目標とはいえ、羨ましいと思うのは当たり前だろ」


『人間の考えることは分からん。勇者なぞ他の有象無象が生み出したまやかしだろう。そんな者らをありがたがる事は異常だ』


「それは君たち『意思ある剣インテリジェンスソード』の考えだろう? 僕たちは人間なんだよ。だから憧れるものは憧れちゃうんだ。僕と付き合うならそれを考えてほしいな『オルトハープン』」


 剣がまた振動する。今度は少しだけ大きめに。これは彼――オルトハープンが怒っているのだ。


『我はお前を選んだ。だから我はお前に従うことにしているのだ。くれぐれも失望させてくれるな。我にお前を選んで良かったと思わせろ』


 それきりオルトハープンは静かになった。

 眠ったのだ。そこそこ付き合いが長いので感覚で理解していた。

 休眠しているオルトハープンへブレリィは語りかける。


「分かっているよ。君はそういう僕の感情を餌にして生きているんだものね」


 塔を出るべく歩き出すブレリィ。


「見ていてくれオルトハープン。僕は勇者になるために頑張るからさ」


 彼は天へ手を伸ばし、ぐっと掴んだ。

 目的地はすでに決まっている。ブレリィにとって、大きな冒険がこれから始まろうとしているのだ。


「……あっ。そういえば三日後までに着かなきゃならないんだっけ?」


 くしゃくしゃの紙を広げ、中身を確認するとそこにはこう書かれていた。



 ――クレゼリア学園転入学に関するお知らせ。



 ◆ ◆ ◆



 その翌日。

 学園が休みだったシャルハートは珍しく家でおとなしくしていた。最近ハードな荒事が続いていたせいですっかり気が抜けていた。

 とは言え、いつぞやの時にぐうたらしすぎて母に怒られたこともあり、最低限の身だしなみは整えていた。


「さてと……今日は何をしようかな。お父様に稽古でも付けてもらおうかな」


 ガレハドは人間の中では強い。元々の肉体の頑強さもあるのだろうが、技術が常に“仕事”で研ぎ澄まされているのも要因の一つだ。

 部屋から出ようとしたタイミングで、誰かが扉をノックした。


「お嬢様、ロロです」


「入っていいよ」


「失礼します」


 ロロは相変わらず全てを許してくれそうな笑顔を浮かべていた。

 無言でシャルハートは胸を張る。『今日はちゃんとしているぞ』という意思表示だ。それを汲み取った忠臣ロロは両手を合わせる。


「おお! ちゃんとしていますね! お嬢様偉い!」


「ふふ……それほどでもないかな。やっぱり最低限の身だしなみはグリルラーズ家長女どころか、人間として基礎中の基礎。それを怠る奴なんて見たことがないよ」


 後半は若干早口になりながら得意になるシャルハート。

 ロロはバッサリと“いや鏡見ましょうよ”と言いたかったが、ぐっと飲み込んだ。人間、最低限の注意をするだけでコミュニケーションは円滑になるのだ。


「そういえばどうしたの? 何か用?」


「あ、そうでした。ガレハド様が呼んでましたよ」


「お父様が? 何だろ」


 シャルハートを呼びつけることはめったに無い。

 故に自然と緊張したシャルハートは急いでガレハドの元へと向かうのであった。


「失礼します」


 ノックもそこそこに、シャルハートはガレハドの私室へと入った。すると椅子に座っていたガレハドがシャルハートを出迎えた。

 アッシュブロンドの短髪は今日も一分の隙なく、綺麗に整えられていた。


「おお来たか、愛するシャルハートよ」


「おはようございますお父様、どうしたんですか? こんな朝早くに」


 すると、ガレハドは無言でシャルハートに椅子をすすめた。

 何やらいつもと様子が違っていたガレハド。難しい話なのか、とシャルハートはすぐに椅子に腰掛けた。

 シン、とする室内。ガレハドはシャルハートと目を合わせているが、一向に喋ろうとしない。口を浅く開いては閉じの繰り返し。

 本来ならゆっくりと待つべきなのだろうが、それで有耶無耶にされたら気になって仕方がなくなる。シャルハートは気づけば、聞いてしまっていた。


「お父様? もしかして深刻な話なのですか?」


「……そうだ、な。すまんな気を使わせてしまったようだ」


「いえ、もし言いづらいなら出直しますが……」


「いや、言おう。今、覚悟を決めた」


 咳払いを一つし、ガレハドは真剣な面持ちを更に真剣にさせ、こう彼女へ問うた。



「シャルハート、今日中にこの家を出ろ」



「……え?」


 ガレハドが言い放った言葉を飲み込むことが出来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る