第70話 グラゼリオの呟き

 グラゼリオ・ベガファリアは今日も代わり映えしない日々を過ごしていた。

 適当に授業をし、そしてあえて下の評価を付けられるため道化のようなミスをあえて行う。


 ――魔法は凄いけどそれ以外はパッとしない人。


 これは学園内での評価であり、グラゼリオがそうなるように仕掛けた結果。

 下手に目をつけられると動きづらくなるので、このくらいの目で見られておいた方が何かと都合がいいのだ。


「……状況は中々に良い」


 廊下を歩きながら彼は、一人つ。


「『チュリアの迷宮』の裏最奥にあった閲覧禁止資料。あれの記載が本当ならば、私はやはり運が良かった」


 古の魔王ゼロガの復活。

 途方も無い目的だ。常人ならばおとぎ話でも作るのかと一笑に付す、そんな現実味のない話。

 しかし、グラゼリオ・ベガファリアという人間は勝算が無ければ動かない。彼には知識があった。そんな荒唐無稽な話を現実へと昇華させられる、そんな知識が。


(現時点での懸念は二つ)


 挨拶をしてくる生徒たちをことごとく無視し、グラゼリオは思考の海を泳ぐ。

 彼には警戒している人物が二人いた。


(まずはルルアンリ・イーシリア。彼女は私に不信感を抱いている。私が何かをしているということに気づいておきながら、まだ直接手を出してこない。……いや、そうでもないか)


 マァスガルド・ローペンワッジが保護された翌日、彼は再び『チュリアの迷宮』へと入った。しかし、最奥の資料室は既に『押さえられていた』。扉は潰され、中の資料も全て燃やされていたのだ。

 犯人が誰かは、考えるまでもない。


(早いですよ、ルルアンリ。せっかく私を緩く見ているルクレツィアを上手く使おうと思ったのに、これじゃあ意味がない)


 ルクレツィアの眼からは少なくとも善人の類には映っている。だからこそグラゼリオは彼女を上手く使って立ち回ろうと計画していたのだ。それもご破産。

 とは言え、終わったことに対して、いつまでも執着していても意味がない。そういう時だからこそ、冷静に『次』を見る必要がある。

 そう、もう一つの懸念について。


(シャルハート・グリルラーズ。あの子は面白い。異常で、強烈に)


 銀髪の少女シャルハート・グリルラーズ。“あの”グリルラーズ家の長女。

 初めて見た時の印象はただ利発そうな子供程度。取るに足らない、そんな存在。


 そう思っていた――あの入学試験を見るまでは。


(あの『火炎フレア』は神話の一撃だった。立ち会っていたルクレツィアは事実を受け入れられず、ザードも少しは疑問を抱いたようだが、あれは紛れもなく彼女自身の性能スペックだ、それも超弩級の)


 魔法に精通しているグラゼリオは近くを通りかかった時、絶対的な魔力を感知。即座に現場へ急行した。この魔力がその辺の雑草共とは質が違う。覇者の魔力だと。

 期待に胸躍らせて向かってグラゼリオが目の辺りにした者こそ、あの銀髪の少女シャルハートだった。


(震えた。あんな天才を越えた神話の存在がクレゼリア学園にやってくるとは、と)


 そのままグラゼリオは歩き続ける。時には何かにつまづいたフリも忘れずに。


「だから私は話したのかもしれませんね。理解してもらえるかもしれないから」


「何をだ?」


「……」


 廊下の曲がり角から現れたのはザード・ビティルだった。いつも通り無精髭を生やし、スーツもよれよれのだらしない男である。


「すいません独り言です。最近読んだ小説の台詞が気に入ってしまいまして、つい呟いてしまいました。お恥ずかしい……」


「ほーん、まあいっか。それよりグラゼリオ先生今夜空いてる?」


「特に予定はないですが」


 それを聞いたザードはニカっと歯を見せて笑った。


「じゃあ飲みに行こうぜ~。今夜は飲みたい気分なんだ」


「今夜は……って二日前も行ったじゃないですか」


「ん? 二日前は二日前。今日は今日だよ」


「……一応聞いておきますが私に拒否権は?」


「ありませんー。んじゃあ、業務終わったら正門で待ち合わせなー。楽しみ~」


 グラゼリオはザードの後ろ姿を無表情で眺めていた。

 大の大人が鼻歌を歌いながらステップをして去っていく、そんな滑稽さには笑いすら出ない。


「はぁ……調子が狂う。何故私があんな男と何度も何度も酒を飲まなければならないんだ」


 数えるのすら億劫になった。ザード・ビティルはいつも飲みに誘ってくる。あまり人付き合いが悪ければ、いざ不利になった時に困るので、一応付き合っているのだ。

 そしてこの時間に誘ってくるということは今回もおそらく同期のルクレツィアを始め、他の先生も何人か呼んでくる。

 考えれば考えるほど憂鬱になる。グラゼリオはつい頭を押さえてしまった。

 その時だった。


「具合でも悪いんですか? グラゼリオ先生」


「何でもありませんよシャルハートさん」


 くだんの銀髪少女シャルハート。彼女は挑発的に見つめていた。


「もしかして何か上手くいかない事でもあったんですか?」


「例の件を言っているのならばご心配なく。着実に進んでいます。あとはそう、見つけなければならない物を見つけるだけです」


「グラゼリオ先生レベルでも探すのに時間が掛かるものなんですね。これは一つ、勉強になりました」


 嫌味は感じない。少なくとも、グラゼリオは今の一言に不快感はなかった。

 シャルハートは少なくとも、他の生徒らのような目で自分を見ていない。彼にはそれが良く分かっていた。

 だからこそなのだろうか。


「ええ、学べるものはどんどん学ぶと良いでしょう。学習が許されるのは生命のある間だけです。死んだらそこで終わりですよ」


「……それは自分にも言い聞かせて欲しい言葉ですね」


「シャルハートさーん!」


「あ、ミラ!」


 遠くからミラ・アルカイトが手を振っているのが見えた。彼女の友達、とグラゼリオは記憶している。

 シャルハートはグラゼリオに一礼した後、そのまま去っていった。

 去りゆく彼女の背中を見ながら、グラゼリオは一言だけ呟いた。


「……あの子が貴方の光ですか。せいぜい見失わないようにしてくださいね」


 飛び出た言葉は宙を彷徨い、やがて泡が弾けたように消えた。

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