第5章 『入れない棟』

第67話 愛の教育

「うおおお……何だかすごく安らぎを感じるのは何故だろう」


「それはシャルハート様が日々頑張られている証拠ですよ。あの、もう何回も言って申し訳無いのですが、そろそろシャキッとするべきでは……?」


「まだ大丈夫だよ~」


 私室でくつろぐシャルハート。それを見て、ぎこちない笑みを浮かべるロロ。

 今日はクレゼリア学園が休みの日。日々の勉学の疲れを癒やす学生の強い味方。

 それに漏れず、彼女は休日を謳歌していた。主にベッドの上で。


「あぁぁぁ~……」


「……お嬢様、少しだらけすぎでは?」


 ロロの指摘はもっともだった。いつもならちゃんと私服に着替えているが、今日は寝間着のまま。おまけにずっとベッドから起き上がろうとしない。

 そして時間は昼に差し掛かろうとしていた。

 第三者が見れば、誰もがロロの味方となるだろう。


「え、それを言っちゃうのロロ!?」


「お嬢様はグリルラーズ家の長女なのですよ? 私はいいとしても、奥様や旦那様が許しませんよ」


「あっはっはっは! 大丈夫だよロロ~! 私だって結構計算してるんだよ? お母様やお父様に見つかる前にちゃんとするってば~!」


「そう、ですか……」


 ロロはその返答に目を閉じ、苦しそうに笑う。そんないつもと違う様子のロロを見て、首を傾げるシャルハート。

 具合でも悪いのだろうか、とシャルハートはロロの顔をしっかり見ようとしたが、彼女は視線を合わせてはくれない。そのまま彼女は出入口となる扉まで歩いていく。


「えと、どうしたのロロ? もしかして私、何か言い過ぎた?」


「言い過ぎてはないんです。ですが、やり過ぎたというか……」


 ロロの頬を伝う汗を見逃さなかったシャルハート。一体何が起きているのだろう、と思考を巡らせる。

 ふいにシャルハートはロロが扉の取っ手ではなく、その“向こう”を気にしていることに気づいた。途端、冷や汗が流れる。

 理屈ではなく、感覚が彼女に警鐘を鳴らした。


「ちょ! ちょっと待ってロロ! 私なんだか急に着替えたくなったなぁ! だから手伝っ――」


「もう遅いですよシャルハート」


「っ!」


 扉の向こうにはシャルハートの母親であるメラリーカ、そして父親であるガレハドが何とも残念そうな面持ちで立っていた。

 両親を確認した瞬間、彼女は全てを理解した。


「ろ、ロロ!? まさか私を裏切ったの!? そんな! 信じてたのに!」


「裏切ってませんよ。それに、私はこうならないようにずっとシャルハート様に声を掛け続けたというのに……」


「い、いつから……いたのですか?」


「そうですね……ロロが一度目の注意をした時からでしょうか?」


「うぇ!?」


 既にシャルハートはメラリーカの顔をまともに見れていなかった。彼女から発せられる言葉には最上級の拘束魔法でも上乗せされているのではないか、そんな“圧”があった。

 助けを求めるように、隣に立っていたガレハドへ視線を送る。彼は一瞬だけ表情を柔らかくさせた。


「な、なぁメラリーカ? シャルハートが怯えているじゃないか、だから――」


「だから? 何でしょうか貴方?」


「何でもありません」


 轟沈。しかも瞬きすら許さぬ速度で。メラリーカは決して怒っているわけではない。笑顔だ。だからこそ恐怖を感じる。

 ロロは既に気絶しそうになっていた。そんな中でも、怒られないようにと必死に気を回してくれたロロの忠義に涙すら浮かぶ。

 シャルハートはまず自らを落ち着かせるため、深呼吸をする。その間にも母親からの鋭い視線が突き刺さるが、ひたすら思考を回す。回しに回す。


「シャルハート? 何か言いたいことはあるかしら?」


「お母様!」


 シャルハートは立ち上がる。その拍子に彼女の寝間着のフリルが揺れる。実に少女らしいデザインだ。ベッドの上で寝転がりすぎてシワだらけということを除けば。

 メラリーカは突然の行動にも臆することなく、シャルハートを見つめる。流石、グリルラーズ家の影の主人。威圧感がまるで違うが、それでもシャルハートは恐れない。


「何ですか、シャルハート?」


「私は!」


 胸に手をあて、空いた手は大げさに振るう。さながら演劇の役者のような大仰な仕草。


「私は一日中ゴロゴロしたかっただけなんです! だからロロを怒らないでやってください!」


「えぇ!? お嬢様!? 正気ですか!?」


 話題逸らし!

 最も愚かな選択肢とされるこの手法を、シャルハートは喜んで採用した。

 押して押しまくればきっとメラリーカも言葉を失う。そんな見積もりで彼女は力技を敢行した。

 何故かロロが泣きそうな表情を浮かべていたが、完全無視をする。


「シャルハート」


 余計な感情を全て削いだシンプルな一言がシャルハートの動きを止める。

 そのまま近づきながらメラリーカは言う。


「常に正直に生きなさい。そう私は貴方に教えてきましたが……時と場所を選びなさい」


 笑顔のまま、メラリーカは拳を振り上げた。



 ◆ ◆ ◆



「全ての国王はお母様を見習えば良いと思うの」


「それはさぞかし強大な国になるでしょうね」


 私室から叩き出されたシャルハートは庭の片隅で体育座りになっていた。頭の上には大きなたんこぶ。無論、メラリーカから落とされた愛の教育(拳骨)である。

 そんなシャルハートを慰めるのはやはりというか従者ロロだった。


「ロロは私よりもお母様を選んだんだね」


「選んだのならここにはいませんよーだ」


 ロロはシャルハートの顔を覗き込む。悪戯っぽく笑っていた。

 そんな彼女に見つめられていると、何だか悔しくなって、すっと立ち上がる。


「よし、気持ち切り替えた! これから有意義な休日にしていくよ!」


「その調子ですお嬢様! お嬢様はいつも何にでもへこたれない強い子でいなければ!」


「あれ? 何だか遠回しに馬鹿にされてる?」


「とんでもないことです」


 その時だった。


「あれ? シャルハートさんだよね? どうしてこんな所に?」


「……従者と共に花見、という訳ではなさそうだな」


 シャルハートはもっと前にその場を離れることを選択するべきだった。

 だが、ロロとの会話ですっかり気づくのが遅れてしまった。それはシャルハートにとっては最悪のミスである。



「アルザ、ディノラス」



 人間界の勇者アルザと魔界の勇者ディノラスが目の前に立っていた。

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