第32話 勇者の娘、こだわる
アリス・シグニスタは苛ついていた。
いると思っていた人間が同じ教室にいなかったのだ。
シャルハート・グリルラーズ。
エルレイと二人掛かりで戦い、そして敗北した相手。
確かに最初は力を抜いていたが、後半はそれがそもそもの間違いだったとばかりに徹底的に打ちのめされた。
更に腹立たしいことに、彼女は特段小細工など使わず、真正面から向かってきて、その結果だったからなおのことである。
「どしたのアリスー? 顔おっかないよ?」
隣で呑気にしているのは、“一応”親友のエルレイ・ドーンガルドである。
あの魔界の勇者ディノラスの血を受け継いだ人間であり、その力もまた、勇者の娘として申し分ない。
だが、このお気楽娘には勇者の娘としての心構えが足りていない。
もっとそう、
そんな崇高な心持ちには何も気づいていないエルレイは、教室をぐるりと見た後、こそっとこう言った。
「だから皆アリスの近くに寄らないんだよ? 分かってる? 今、ぼっちだよ?」
「お 黙 り な さ い !」
いきなりの発言に、ついアリスは剣を抜きそうになってしまった。
そんな彼女の怒りの根源には気づかないまま、エルレイは続ける。
「分かってるアリス? 初日だっていうのにずっとしかめっ面してるよ? だから皆、アリスとお話したいのに近寄れないんだよ」
「うっ……」
その言葉を受け、なんとなく周りへと目をやるアリス。すると生徒たちは身体をびくりと震わせた後、なぜか目をそらす。
その反応に対する用意はしていなかったアリス、普通に傷ついた。
「え、エルレイはどうなのよ。きっと皆、私たちが勇者の娘だから距離を感じているのよ! だから、私と貴方はイーブン。そうで――」
「いたいた。エルレイ! 今日街に遊びにいかない!?」
「ごっめん! 今日はちょっと用事があるんだ! でも声掛けてくれてありがと! ボク、嬉しいよ!」
女生徒の集団に声をかけられ、愛想よく応対するエルレイ。その人懐っこい笑顔に女生徒達は惜しみながらもそれを了承し、次の約束をしながら、その場を離れていった。
その一部始終を目にしていたアリス、一瞬目の前にいる人間が本当にエルレイなのかと疑う。
その視線に気づいたのか、エルレイが少しばかり得意顔で胸を張った。
「ボクは友達出来たよ!」
制服に窮屈そうに収まっている胸と制服に余裕がある自分の胸を比べ、殺意が湧くが、それはまた別の感情。
今、追求しなければならないのは友達関係のことである。
「な、ななエルレイ。エルレイの癖に私を出し抜くとは……!」
「出し抜くって……、ボク普通に皆へ話しかけてただけだよ?」
「話しかける……?」
「……え? アリスもしかして自分から話しかけに行ってないの?」
「……勇者の娘は常に上を向いていなければならないの。そのために出来ることをずっと考えていただけよ」
両者の間に沈黙走る。
いつ友達が出来るのか、と本気で心配になるエルレイであった。
もっと要領良く何でもこなせると思っていただけに、この状況は流石に予想外。
とはいえ、親友であるアリスには楽しい学園生活を送ってもらいたい。
その想いから、エルレイは無い頭なりに考えた。考えて、一つだけ案が出た。
「あ、そうだ。シャルハートと友達になろーよ!」
その唐突な提案に、アリスは驚く。
「しゃ、シャルハートさんと?」
「そうそう! あの子、とってもいい子だしさ! 別の教室にいるらしいから行こ――」
「駄目よ」
「……一応聞くけど理由はあるの?」
「私は勇者アルザの娘よ。常に孤高でいなければならないの。ええ、そうよ。そうしてお父様もあの“不道魔王”と戦ったはず」
勇者アルザは身分を見ず、人と接する。別け隔てなく誰とでも関わりを作っていけるその姿はさながら、絵本に出てくる勇者そのものだと言われている。
……そこまで浮かんできたが、それを口にすれば本当に斬りかかって来そうだったので、エルレイは口をつぐんだ。
「まあ意地張るのも良いけどさー。ボクみたいに多少はそういうのを気にさせない感じでいかなきゃ駄目なんじゃないの?」
「う……。でも、私からそれを取ったら何が残るって言うのよ」
「そういうことを言うから皆と距離離れるんじゃないー? ってまあ、無理にとは言わないけどねー。じゃ、ボクちょっと行くね」
「どこへ行くの?」
「この学校広いからさ! 探検したくて! アリスはどうする? 一緒に行く?」
「私は良いわよ。一人で行ってきなさい」
「ぶー。つまらないのー」
そう言いながら、エルレイは教室を飛び出して行った。
彼女がいなくなった後、アリスはもう一度教室内をぐるりと見回した。
こちらを見ている者たちが何組かはいる。だが、そのどれもがこちらの様子を伺っているばかりで、近づいてくるといった気配は少しもない。
ぽつん、という擬音が似合う今のアリスの状態。
彼女は少しばかり、エルレイを送り出したことを後悔した。
(別に、と……友達なんて不要ですからね。ええ、そうよ。私は勇者アルザの娘なんだから、常に毅然とした振る舞いが求められるの。だから、私にはそういう存在はいらないのよ。うん……うん)
特に何も無いが。
特にノーダメージだが。
それでも、アリスはエルレイに一刻も早く帰ってきて欲しいと心のなかで祈りを捧げた。
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