第53話 壁ドン、顎クイ
聞こえないぐらいの声だったはずだし、遠目あちらから見て死角になってるはずなのに、瞳だけが動いて私を捉えた。目が合ったのが分かる。
令嬢になにか言った後、引き留めでもしようとしたのか一歩詰め寄ろうとした彼女を手で制してその場を離れる。足取りははっきりと速くこちらに向かってきた。
思わず角に隠れてみるも、小さな抵抗もむなしくレイオンは私の前に立つ。
「メーラ?」
「……」
首を傾げている。
モヤモヤしてます、なんて言える話ではないし、こちらに来てくれたのが嬉しいのもあって目を合わせられない。
「どうした?」
ただ不思議なのだろう。声音は淡々としていた。
「ま、待たせてごめんね。戻ろうか?」
彼を直視できないまま会場まで戻ろうと踵を返すと、腕が伸びてきて私の目の前を通り壁に手が置かれる。私の行く手を阻むように塞がれた。
「メーラ、待って」
「レイオン?」
彼を見上げたら無表情の中に心配と納得のいかない不快感が混じっているような顔をしていた。
私が壁に背を預けるともう片方の腕が反対側に伸びて囲われる。逃げられない。できあがった状況を自覚して変な声が出た。
「か、壁、壁ドンっ」
「壁?」
これはまさに聖女様辞典で言う壁ドンだった。
レイオンにされるなんて思ってもみなかったわ。本の通り近いし、抱き締められるのとは違う恥ずかしさがある。
「何かあったのか?」
「な、なにもないけど」
「呼び方がいつもと違った」
「やっぱり聞こえてたの」
気まずい。
恥ずかしさに顔に熱が集まる。今日はこれ以上熱集まったら終わるでしょ。
「何故こちらを見ない?」
「それは……」
片方の腕が壁から離れて、その手が私の下顎をとらえた。そのままくいっと上を向かされる。
「あ、顎くいっ」
「?」
不思議そうな顔をした後、再び訝しむように眉根を寄せた。
私のいない間に何かあったのかと苦しそうに囁き詰め寄ってくる。
「誰かに何かされた?」
「違、う」
身の危険ではないことをきちんと伝えると彼は少し肩の緊張を落とした。
「話せない事か?」
「ええと」
「メーラ?」
「その、ええと……」
「話してくれるまで離さないと言ったら?」
「ひえええ」
会った頃は気遣ってすぐに引いてくれたのに、最近はぐいぐいきすぎじゃない? 話さないとだめ? だめなの?
ぎゅっと目を瞑る。シチュエーションが暴力だから見ない方がいい。見えない中でレイオンの声が耳を擽った。
「これは聞いても問題ない気がする」
「どういう根拠で……」
心配から言ってるのは充分分かっている。
大人気なく嫉妬するなんて恥ずかしかった。
目を瞑っていても顎くいされたままレイオンの視線を感じる。これは逃げられない。
告白の返事をするって言った時はあっさり引いたくせに。ちらりと片目を開ける。真っ直ぐこちらを見下ろす瞳しかなかった。
ええい覚悟を決めよう。
「そこで令嬢と話してたでしょ」
「ああ」
話し始めた私に対し、それがどうしたという顔をする。目に見えたリアクションだった。
「聖女候補で若くて利発な子で」
「?」
それとメーラに何か関係が? と再び首を傾げる。
「レイオンとお似合いだなって」
「どうしてそうなる?」
やっぱり回りくどいのはだめか。
はあと一つ息をついて、赤くて情けない顔のまま口にした。
「焼きもち焼いたの」
「え?」
「ただ話してるだけって分かっててもモヤモヤして……気持ちが追いつかなかったし、変になってるから」
こんな情けない顔を見られたくなかったと最後まで言い切った。レイオンは焼きもち焼いてることをよくもまあ簡単に暴露できるわねと今感心してしまったわ。相当恥ずかしいじゃない。
「やきもち……」
顎に添えていた力が緩んだので、視線を逸らして少し俯いた。ああもう精神的にきつい。逆ギレと分かってても言わせないでよと思ってしまう。
「……君も私と同じようにやきもちを?」
「う、うん、そうだね」
確かめないでってば。レイオンに恥ずかしいという言葉は通用しないらしい。
と、少し沈黙したかと思ったら、次にとんでもないことを言ってきた。
「なら口付けても?」
「はい?」
がばっと見上げると無表情のまま当然ですよねと言わんばかりの瞳とかち合う。なにが当然だと言うのか。
「メーラが私だけで、私がメーラだけというのが一番分かる」
「なんで?!」
どういう理屈?!
得意気になってるけど、ずれてる気がする。というかここでキスするの?
「私も君が他の男といるのは嫌だし、私だけ特別に想ってほしい」
「うぐ」
「君の隣は誰にも譲りたくない」
「ぐうう」
「メーラも同じ気持ちだったのだろう?」
ああまあそうなんでしょうけど、そういうのははっきり言わないで。
この人本当言うことが真っ直ぐすぎて困る。素でやらかすから尚更タチ悪い。
「だからってここでキスするのは……」
「駄目か?」
「ここは人目があるし、二人きりの時がいい」
いくら会場から離れていても、決められた場所を自由に行き来できる以上、誰に会っても不思議ではない。その中で堂々とするのは気が引ける。
そうか、と頷くとやっと囲っていた腕が離れていった。回避した模様。よかった。
「なら今すぐに屋敷に帰ろう」
「ちょおおお」
優先順位がキスになった。今日来た目的は祝いの社交界だよ!
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