第52話 嫉妬
すると早々に用事を済ませたレイオンが戻ってきた。
「レイオン」
「何かされてないか?」
「なにかって……」
相手は王太子殿下、しかも既婚者なのだから、そこまで警戒しなくてもいいと思う。実際恋バナ程度の軽い話しかしてないし、以前レイオンが言ってたような緊張する状態はなかった。
「なんだ、嫉妬か?」
男の嫉妬は醜いぞと王太子殿下は笑った。
「なんとでも」
あ、開き直った。さすがにだめでしょ。
「レイオン、相手は王太子殿下だから」
「誰であろうと気に入らない」
「ええ……」
屋敷に引き籠ってくれた方が安心かもしれないと囁いて私の頬を指の背で触れてくる。側にいてほしいのにおかしいと自分の気持ちの矛盾を口にして溜め息を吐いていた。
その様子が楽しい外野はにやにやしている。殿下はまだしも兄は個人的に許せない。
「入れ込んでるな?」
「なら察して下さい」
王太子殿下にきつい視線を送る。
いくら旧知の仲と言っても相手は国の代表、公では態度を考えないとだめよ。
「誰彼構わず嫉妬してると愛想尽かされるぞ?」
なぜかその言葉を真に受けて、ショックな様子を見せて私を見下ろす。そんなどうしようって吹き出しつきそうな瞳を向けないでよ。
「大丈夫だから」
「本当に?」
「嫌な時はちゃんと言うから」
渋々納得してもらう形になった。殿下はレイオンの態度を見て、とても満足したようだ。場の空気が悪くならないなら良しとしするしかないけど、代わりにレイオンの殿下に対する態度は氷点下レベルまで下降した。
「……王陛下から伺いました」
「ああ」
予想出来てただろうと声に覇気なく返す殿下と、先程とは違う鋭さを持つ眼光で殿下を見据えるレイオンが、二人だけしか分からない言葉の後、無言の会話を重ねた。沈黙は気まずい。兄を見ても、難しい顔をしたまま二人の様子を見ているだけだった。
「私とメーラは挨拶が終わり次第、すぐに退城します」
「え?」
「ああ、それでいい」
戸惑う私を無視して、王太子殿下がわざとだろう明るい様子で周囲を見やる。
「おや、君達に挨拶したそうなのが結構いるみたいだね」
王太子殿下の言葉を聞き周囲を窺うが、確かにこちらをちらほら見てる貴族たちがいる。私とレイオンではなく本日の主役である殿下への御挨拶待ちだと思うけど、当人はそう思っていないらしい。
「……ごめんね?」
困った顔をして謝られた後、なぜか王太子殿下のお付きみたいな形で、私とレイオンと兄がご挨拶回りに付き添うことになってしまった。
どういう状況なのよこれ。
* * *
「メーラ?」
「……う」
異性がというわけではないのだけど、人に少し酔ってしまった。今まで社交界には最低限しか出ていなかったし、挨拶も父や兄に任せておまけ程度に立っているだけでよかったけど、今はディアフォティーゾ辺境伯夫人として立たないといけない。それで思いの外緊張していたようだった。
顔色を少し悪くしていたのか、心配そうに覗き込んで場所を移ろうと言われる。
「ちょっと休めば平気だから」
「駄目だ、場所を移す」
その場に留まりたかった私の意見を却下して、王太子殿下と兄と別れ、今日の為に開放されている客間へ移った。素早くゾーイが水を持って来る。客間には人がいないからのんびりできた。少ししてまた誰かに呼ばれたのかレイオンが部屋から出ていって暫く、落ち着いてきたので私も客間を出て彼を探す。
近くにいるだろうか。庭を横に回廊を通って、いくらか曲がった所に先の客間がある。さっきまでの態度と距離を考えると呼ばれて会場に戻ることはしなさそう。
と、角を曲がろうとしたところに彼の背が見えた。
「っ……」
名前を呼べなかった。
彼が御令嬢と二人きりで話をしていたからだ。
噂とは違って怯える様子もなく、可愛らしい女の子は頬を少し赤くしながらレイオンを見上げている。
明らかに好意があると分かる様子だった。レイオンは無表情だけど、きちんと話をしてくれている。元々真面目な人だから、誰にも平等に接してくれるだろう。私も最初の頃、分かりにくいけど誠実な人だと思っていたし、それは事実だ。
「ふう」
落ち着けようと息を吐く。
ずっと怖くて見て見ぬ振りをしていたことがある。
レイオンはフェンリルの血が混じっているからという理由で敬遠されてきた。
それを気にしない女性が現れたら?
彼自身を見て、フェンリルの血関係なく愛してくれる人がいたら?
女性に関して言えば、彼は私だけしか知らないと言っていいぐらい狭い世界で生きてきた。
「はあ……」
だから私と同じような人間が現れたら、比べられてしまうのではとずっと考えていた。
自分が化け物でないと思えて、広い世界に目を向けられるようになったら、私よりも素敵な女性が沢山いることを知ってしまう。
その中で、辺境伯領を女主人として妻として支えることのできる、若くて可愛らしい女性がレイオンの前に現れ、その女性がレイオンを愛したら、彼は私に見向きもしなくなるのではと思っていた。
「……」
レイオンの側にいる女性には見覚えがある。
聖女候補で聖女制度晩年に選ばれた子だ。成績も優秀で見目も良く、聖女になれると太鼓判を押されていた女性だった。今ではすっかり美しく綺麗な御令嬢としてレイオンの目の前にいる。
レイオンには辺境伯領を守っていく未来が待っていて、跡継ぎだって周囲から望まれるはずだ。あの子の方が条件としても見た目としても間違いなくお似合いだろう。
「……」
胸の内側がぎゅうと締め付けられる。鼻がつんとして、目にじわりと涙が競り上がった。
落ち着けないと。子供みたいな反応してどうするの。
今の私は若くもなく辺境伯家に役立ったこともない。彼の情けで結婚してもらった身なのだから、彼が私以外を選んだら、私は迷惑かけないよう身を引くべきだろう。
でもそれは出会った頃でなら許容できたけど、今は無理だった。今は私だけ特別でありたいと思ってしまう。
「……レイオン」
聞こえないぐらいの声だったはずだし、遠目あちらから見て死角になってるはずなのに、瞳だけが動いて私を捉えた。
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