4、ベルメルト家の招待 4
ハロルドは庭に出てきた。
会場に残してきた、ティアンが気になって仕方がない。
ルアドと名乗った男は、あまり信用できない。近くにライアンの姿がなく、どうしたのかそちらも気がかりだ。
ハロルドに声をかけてきた男は、彼と同じ職場で働く男だった。
豪快な笑い方で、すぐにわかる。
ただ、呼び出し方が妙だったが、相談があると困り果てて言われて放って置けるほど、ハロルドは他人に冷たくない。
男の足は、止まらない。
会場から漏れる光は徐々に届かなくなっていくのに、庭を歩く速度が緩まない。
庭に出ている招待客は各々場所を確保して、この日限りの逢瀬を楽しんでいる。
男の話も聞かなければならないが、ティアンとほんの少しでも離れただけで不安になっていた。
ライアンとアメリアが二人のそばにいなかったからだ。
ここはベルメルト家の夜会。
ライアンが気を使いすぎて疲れるといつもぼやいている、例の夜会。
こなければよかったと何度後悔してももう遅い。ティアンの楽しみだと浮かべた笑顔に勝てるものはない。
ハロルドはどこまでも、ティアンに甘くなっていた。シスコンのライアンのように。
「何があったのでしょうか?」
ハロルドは我慢ならなくなり、男にたずねた。
相談ごとがあるなら、そろそろ話してもいい。
人の気配は薄れ、あたりは静かだ。風が葉を揺らす緩やかな音がするだけ。
「いやー、俺は職場の外にまで、あんたに用はないんだがな」
男はハロルドを振り向いた。
困っている、というようには全く見えない。
いや、そう見えないだけで、困っている、のか?
「相談したいことじゃないのか?」
「いや、違う違う。あんたを連れてくる口実。こちらの淑女がお前に話があるんですと。相手、してやってくださいよー」
暗闇に手のひらをむけた。
するとほどなくして。
「はじめまして」
ねっとりとした声が、夜の庭に響く。
木々の間からゆっくりと現れた女性は、ハロルドの知らない女だった。若いのだろうが、仮面をしているので歳まではわからない。
唇に塗られた紅は夜の闇に包まれた庭で黒く見えた。
「ありがとうございます。助かりました」
女はドレスの両端をつまんで、男に礼をした。流れる所作は素晴らしく洗礼されて綺麗だ。
会場から漏れてくるわずかな光と、庭の小さな光をドレスの光沢が弾く。
ドレスの色は、赤。
黒の扇を手に持っている。
令嬢が闇から一歩、ハロルドに近づいてくる。
仮面をした顔が光の元に現れる。
緑の髪をした女性。
黒の羽をつけた赤の仮面。
闇に姿を隠していた令嬢は、やはりハロルドの知らない女だった。
「ナディル、騙したのか」
男を睨みつける。
ティアン以外の女に構う時間はこれっぽちもない。
ティアンを不安にさせることはしたくない。
「人聞きの悪い。この人に頼まれただけですよー。ご令嬢、良い夜を。では、俺は戻りますので」
男は、悪いな、と片手を上げ、会場内へ戻っていった。
これはあとで仕事でしごき倒す必要がありそうだ。
ハロルドは諦めて、女性から早々に離れることにした。
男の困りごとでないなら長いは無用。ティアンのそばへすぐに行きたい。
ただ、何も言わずに立ち去るのも紳士として無礼にあたる。
「レディ、彼を使ってわたしを呼び出してまで、何用でしょうか」
社交の場なので、礼儀正しく要件を尋ねる。
今にもティアンを追いかけたいのにできない。
「お話しがしたかったのです。あなた、出席されている紳士のなかで、とても格好良く見えて。でも、わたくしから声をかけるなんでできなかったものですから、あちらの方に頼みましたの」
一歩、女性がハロルドに近づいてくる。
その分大きく後退した。
背を向けるのを躊躇う。
後ろから襲われそうな雰囲気を感じた。
「申し訳ないが、あなたと話をすることはなにもありませんよ」
はっきりと断る。そうしなければ、目の前の女は諦めない。
男に頼む根性ある女はやはり諦めなかった。
「あちらに休憩の場が用意されていますの。行きませんか?」
令嬢は素早く距離を詰めハロルドの隣に立ち、腕に手を回した。片手でなく、両手でぎゅっと逃げられないようにしてしまう。
「行きませんよ。わたしの大切な人を置いてきてしまっていますので、戻ります」
その手を引き剥がそうとしても、意外に令嬢の手の力が強くて腕から離すことができない。
「あら、わたくしからの誘いをお断りされるの? 少しくらい羽目をお外しになっても、今夜は誰も咎めはいたしませんわ」
この女、本当に貴族か?
婚約者以外と関係を持った男の末路、女の末路は知っているだろうに。
過去のベルメルト家の醜態がいい例だ。
疑問を口上にしないでも、明らかに不愉快だ。
「レディ。申し訳ないが、彼女に不安を与える男は自分だとしても、許せないのです。わたしにはレディと話をする時間もおしい。愛する人との時間にあてたいのですよ」
なんとか婚約者がいるともう一度伝える。
こんなことなら、あの男についてこなければよかった。
「いいではありませんか。あなたの大切な方もきっと今頃、仮面という魔力に楽しんでいることですわ」
少し女が苛立ち始める。
おんなはいまみてきたかのように囁く。
しかし、ハロルドには関係ない。ティアンが悲しむことはしたくない。
「それでしたら余計に、彼女を大切に囲っておかなければなりませんね」
ハロルドが片手を上げるが、女の背は思っていたよりも高く、腕に食いついた手が振り解けない。
「やだ、おやめになって。転んでしまいますわ」
どこまでも、しつこい。
次はどうやって突き放すかを考えていると、女が背伸びをして、耳元に囁く。
「ハロルド様。こなければ、ティアン嬢は永遠にあなたの元に戻ってはきませんわよ?」
明らかな脅迫だった。
「……誰だ、お前は」
振り払う腕を下ろして、女を見定める。
ティアンとのことを知っていて、さらに、仮面をしているハロルドをしっかりと認識している女。
誰だ。
「ふふ、ようやく、わたくしを見てくださいましたわね、ハロルド様」
女性は、勝ち誇った笑みをした。少し油断した、ハロルドの唇の横に女性のそれが当たる。
半分あたってしまった。ぎゅ、と押しつけられた。
「わたくし、リーティア・ロレベルと申します。ティアンと早くお会いしたかったら、わたくしに付き合ってくださいませ」
囁くねっとりとした声音は、一瞬にしてハロルドに鳥肌をたたせた。
なんて女だ。
ささやきながらも、手早く庭の奥へと誘おうとしている。
「レディ、お断りさせていただきますよ。私が心から愛しているのは、ティアンただ一人です」
ハロルドは足を踏ん張り、抵抗した。
「あの子は、レオン様と婚約なさるのではなくって?」
リーティアと名乗った女は、腕から手を離さない。
不愉快で仕方がない。
◇
リーティアはドレスの上を少しばかりはだけさせた。
もうこの方法しか思いつかない。
母のように、リーティアはハロルドを誘惑させられなかった。
ただただ、悔しい。
唇は奪えてもそれだけじゃ、まだダメ。
確実に、ハロルドを自分のものにしなければ、ティアンから彼を奪えない。
彼はティアンのところへ行ってしまう。
「あまり、そういうことはなさらない方がいい。いくら仮面があるとしても」
リーティアはハロルドの忠告を完璧なまでに無視をした。
ここで叫べば、事実でなかったとしても、リーティアの証言が優先されることはわかっていた。
声の限り、叫ぶために胸いっぱいに空気を吸い込む。
そして――。
「っ、き……」
「きゃ――!!」
リーティアが叫ぶより早く、どこからか悲鳴がした。
「不審者ですわ!! どなたかいないの!?」
叫んだ女性が、周囲に声を上げた。
どやどやと、警備の者たちが庭に雪崩れ込んでくる。
「レディ。どちらに逃げたましたか?」
「あちらよ!」
「見つけ次第とらるんだ!」
女性が指した方角は、二人ががいる方だった。
リーティアはよろこびに、唇をあげた。
これで、ハロルドはリーティアのもの。
はだけたドレスを人が見たらどうなるか。
(ふふ、彼はわたくしのもの)
リーティアが悦に入り、ハロルドに手を伸ばした。
すると。
本当に不審者がそこに立っていた。
真っ黒な出立ち。手に光る何か。
真っ直ぐに、リーティアを捉えている。
「な、何ですの!」
不審者はハロルドに目もくれないで、リーティアを見る。
はだけたドレスからはわずかに肌がのぞいていて。
急いでドレスをかけ合わせる。
白い肌に傷一つでもついてしまえば母に叱られてしまう。
嫁ぎ先が見つからなくなった、と。
「こ、こないで!!」
不審者から目を逸らさないで、リーティアは力の限り叫んで、ハロルドの背に隠れる。
ハロルドは先程は突き放すようなことをしたけれど、不審者とあっては、リーティアを守ってくれる。
(このまま、わたくしを狙って。そうすればハロルド様はわたくしを心配して屋敷に来てくれる。ティアンを置いて、わたくしを)
どこまでも自分の欲望に忠実だった。腕に縋り付く。
「どこだ。どこへ行った!?」
警備の者たちが走ってく足音がする。
不審者は真っ直ぐ、ハロルドの背中に隠れるリーティアを狙っていた。
ハロルドは動かない。
リーティアは恐怖に、身体を震わせた。
「ハロルド様、助けてくださいませ!!」
リーティアは叫ぶ。
ハロルドに助けを求めたのに、ハロルドは動かない。
こんなにも頼りにならない男だなんて思いもしなかった。
優しくて、紳士的だけれど、それだけではダメだ。
令嬢の危険をさらりと助けてくれる人でなければ、理想の男性と言えない。
「ここよ! 助けて!!」
リーティアは力の限り、大きく叫び周りに助けを求めた。
彼に縋り付く手をするりと離して、不審者の目から逃げるようにして必死に走った。
◇
「ライアン、アメリア様。助かった」
ハロルドは騒ぎに乗じて、リーティアという女が手を離してくれた隙に、会場へ戻った。
不審者と叫んだのは、アメリアだった。
ハロルドがリーティアという女に捕まっていることを知って、助けてくれたのだ。
「気をつけろと言っただろ」
「ライアンの言う通りだった」
庭にいる令嬢は警備に任せておけばいいだろう。
不審者となっていたのは、体格からして、ナディルだろう。ライアンに脅されでもしたのだろう。
先に会場へ戻った彼の姿が見当たらない。
「ティアンは?」
「叔母が休んでる休憩室に行っている」
「休憩室? 叔母が? 珍しいこともあるんだな」
ライアンが首を傾げる。
「仮面によったと」
「あるはずがない」
ライアンがはっきりと否定した。
これは非常によくないことになった。
「ライアン、罠かもしれない」
ハロルドは焦る。
ティアンを一人、行かせるべきでなかった。
用が終わるまで、いや、ティアンのそばを離れるべきでなかった。
ハロルドは選択を誤った。
「ハロルド、休憩室はどこのだ?」
ライアンが、怒鳴る。
ハロルドは知らない。
悩みを聞いて、すぐに急いで追いかければ追いつけると思っていたから聞いていない。
「ライアン様、ティアンを早く見つけることが先よ!」
「分かってる!」
男性二人が叫ぶ。
アメリアはわかってるなら急げと言わんばかりに会場の外を指した。
「ティアンをあの男に託したのが良くなかった。信じなければよかった」
後悔したって遅い。
外へ急ぐハロルドの目の前を、紫色の仮面が横切っていく。背の低い令嬢だった。
ティアンがしていた仮面に似ていた。同じものと言っていいくらい酷似している。
「失礼、レディ。お聞きしても?」
少女のような令嬢は振り返る。二人の男性に見下ろされて、仮面の向こうで瞳をぱちくりとさせた。
「その仮面は、ずっと使っているものかな?」
ふるふる。首を振る。隣の女性の手を握りしめる。
少し怖がらせてしまったかもしれない。
「違うわ。交換してもらったの」
仮面を交換するなんて、聞いたことがない。もらったものは最後まで使うことになっている。もしくは屋敷までそのままだ。
「どうして交換したんだ?」
「仮面が不気味で。頭がおかしくなって、使いたくなかったの」
仮面は渡さないと、手で押さえる。
「誰に交換してもらった?」
「あっちに行った金色髪の女の人に」
「他に何かつけていなかったか?」
「青いネックレスをしていたわ」
二人の男は令嬢わ怖がられないように、極力声を優しくして、必要な情報を書き出した。
彼女を仮面を変えたのは間違いなく、ティアン。
ハロルドとライアンは迷いなく廊下へ飛び出していった。
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