4、ベルメルト家の招待 3
煌びやかなシャンデリアが会場を明るく照らし出す。
大きく開けた窓からは庭に降りられるようになっていて、緩やかな風にのって庭の咲き誇る花の香が会場を漂う。
以前の夜会はこんなにも華やかではなかった。
今夜の夜会は仮面をつけるようにしたからだろうか。
仮面に阻まれて見られる範囲が狭まるので、目に入ったもの全てに惹きつかれるようにされているのか、壁にも装飾がされていた。
流行のデザインの深紅のドレスを纏い、蝶を模した薄い紫の仮面の下からアイスブルーの瞳を輝かせた。
「ティアン。長居はしないからな」
「ティアン。俺から手を離したらダメだからね」
「ティアン。ハロルド様から離れないで。警戒心を忘れないようにしなさいよ」
華やかな会場に心躍らせていると、三様の指摘がすかさず飛んでくる。
期待に膨らんだ胸は一瞬にして台無しだ。
ハロルドが知り合いらしき紳士と、さっぱりわからない話が終わりそうな頃。
ティアンは袖口を飾るカフスボタンに気がついた。
話を終え、紳士が離れていったあと、ハロルドの袖をくい、と引く。
「どうかした?」
「ハロルド様。カフスボタン、気に入っていただけて嬉しいのですが、普段使い用に仕立てましたのよ? このような場で使えるようなものでは……」
「十分に使えるよ。デザインが凝ってないからね。選んでくれてありがとう、ティアン」
目元が仮面で覆われたハロルドが、目元を緩ませた。
男性は暗色系の上着を羽織っている参加者が多い。黒を基調とした丸みを帯びた仮面は、人の中に埋もれてしまいそうだ。
誰もがハロルドとは気づきにくくても、気づいている人もいた。
何人かの令嬢が、ハロルドをじいっとみて、頬を染めている。声はかけてこない。それでも、ずっとやきもきしていた。
ハロルドの腕にかけた手をきゅ、と強く掴んで、引き寄せる。
こんな小さな抵抗で、どうにかなると思ってない。叔母に紹介する前に、無性にもう早くこの場から帰りたくなってきた。
ハロルドは仮面をしていても人を惹きつけてしまう。
腕を引き寄せるだけでは、何の意味もない。
ティアンができるのはこれくらいで。
「可愛いことしないでくれる?」
辺りの視線ばかりに気を取られていた。後頭部に口づけられる。
その手際の良さ。呆気に取られていると、ハロルドが屈んで囁く。
「俺に構ってくれないと寂しいんだけど?」
なんてことを言ってくるのだ。
「あなたも、女性から惹かれないで……」
彼の格好よさはティアンがよく知っている。
「……しないよ。ティアンに嫌われたくない」
ハロルドはティアンをさらに壁際に引き寄せる。
ティアン以外は誰も興味がないとばかりに見せつけた。
彼を見ていた女性の視線が減った気配を感じとった。
「今夜どうしても、叔母さんと会わないとダメなの?」
「ええ。約束なの」
「どんな?」
「話してなかったかしら?」
「聞いてないよ」
「あまり、こういうところで話すことでもないのだけれど……」
ティアンは周りを気にする。
なぜだろうか。人が少なくなっているような。
「聞きたいな」
ハロルドから熱っぽく囁かれて、落ちない令嬢はいるのだろうか。
ティアンはこくりと唾を飲み込んだ。
「毎年、ベルメルト家の夜会に出て、叔母と会ってほしいと」
「それだけ?」
「それ以外に何がありますの?」
ティアンは首を傾げる。
毎年出席する理由にこれ以上のものはない。
「僕もいないといけないね」
ハロルドは少し顔を渋らせたが、すぐに笑顔の中に隠した。
「? ……ええ、そうね」
ティアンはハロルドを今夜叔母に紹介したくて、連れてきた。
ライアンを連れていくと、早く見つけなければいけないと強く言われていた。
今夜、彼を会わせたら安心するだろう。
「ネックレスをしてくれて嬉しいよ」
胸元に青い宝石が光り輝く、ネックレスをハロルドはめざとく見つけた。
はじめての贈り物。しないなんて選択はなかった。
「嬉しかったんです」
小さく呟くと、ハロルドの嬉しそうな笑いが降りてきた。
「僕しか聞いてないんだ。ちゃんと言って?」
ハロルドが屈む。
耳元を顔に寄せられて、つけている香料がふわりと香った。
「ほら?」
催促されると言いにくい。
今この時ばかりは、彼を独り占めできていると思うと胸が高鳴る。
手は離したくなくて、引き寄せるように、もう一方を腕に添えて、踵を床から離す。
彼にもたれかかるようにすると、途端に、ハロルドが、少し腰を引いた、気がした。
浮かせた足を戻す気にはなれなくて。
「ハロルド様は変わらず意地悪です」
さっと、踵を戻して、腕から手を離す。
こんなこと、仮面をしてなければできそうにない。
ハロルドは少し大胆になった婚約者に驚いていないだろうか。
不安になる。
「はは。いつものキミだ」
しばらくして、おかしそうに嬉しく笑った。
ティアンの肩を引き寄せて、抱き合うように向かい合う。
どこかで小さな悲鳴が聞こえた。
ティアンの耳にそれは届かない。
「かわいいティアン、僕は好きだよ?」
お返しとばかりに耳元で返されて、赤くならないわけがない。
揶揄われたとわかってるのに、頬が嬉しさに緩んでしまう。止められない。
扇を開いて、隠そうとしたら、止められた。
「だめ。隠さないでくれないかな?」
仮面があるだけなのに、少し大胆になってしまっているんじゃなかろうか。
素直にそれを聞いてしまう、ティアンも。
扇を下ろして、閉じた。
腰に回された腕は離れることがない。
叔母はどこにいるのだろう。仮面があるせいで見つけられない。
夜会が始まってから随分と時間が経っていた。
不意に、シャンデリアの光を遮る翳りができた。
振り返ると、二人の前に男性が立っていた。
短く刈った灰緑色の髪。濃紺の上着に同色のズボンを履いた上背のある男性。
ティアンは思わず、ハロルドに縋る。
仮面をしているので誰かさっぱりわからない。
「ティアン嬢?」
先に向こうから聞いてきた。
仮面があるだけで素性は分かりにくい。相手は分からないのに、向こうは的確に名を聞いてくる。知り合いなのか。
頭を思い巡らせるが、思いつかない。
「……あなたは?」
「ルアドです。仮面をしているのでわかりにくくてすみません」
後ろの髪を恥ずかしそうに掻く。
少し低音な声音は、聞いたことがあった。
「ルアド様?」
叔母の息子、ルアド。
ようやく結婚相手が見つかったとつい先日、社交の淑女たちの間で噂になった。
一代限りの子爵家の婚約ほど、結婚相手に苦労するものはない。
さほど大きく取り沙汰されず、すぐに別の話題へと切り替わっていたが、ティアンはそれを覚えていた。
「ご婚約、おめでとうございますわ。相手の方は、おみえですの?」
腰を折り祝福をすると、あまり嬉しさの感じない返答が返ってきた。
「ああ、ありがとう。ティアン様も、婚約、おめでとうございます。僕の相手の子は……どこかにいるんじゃないか?」
一度会場を振り仰ぎ、探すがみあらたなかったようだ。
「後で探してこよう。叔母が会場に酔ってしまって。休憩室にいるからいこう」
見渡す限り、仮面ばかり。酔ってしまうのもわかる。
中には派手な仮面や、色とりどりの仮面、仮面に施された装飾が華美で目立つ。
「ええと、そちらのあなたは?」
「はじめまして。ハロルド・タイタリアです」
「噂は聞いています。ルアド・ロメベルと申します。ハロルド様も来られますか?」
「ぜひ、ご挨拶させてください」
ティアンの腰に手が回る。ハロルドに引き寄せられて、ティアンの頬に朱が走るのをルアドは見逃さなかった。
「やあ、キミはタイタリア家のご子息様だろう?」
豪快な声と共に、遠慮のない男性が割り込んできた。
少し長い髪を後ろで縛っていた。
「え、ええ。そうですが」
ハロルドがとても迷惑だと言わんばかりに眉を吊り上げる。
呼びかけてきた男性は少し目を真張ったようにみえた。
「いやぁ……本当にいらっしゃるとは」
豪快に笑うと、ハロルドに顔を近づけて、なにやら耳元で話をした。
ティアンには聞こえない。
それを聞いたハロルドの纏う空気が一変する。
「悪い、ティアン。少し待っていてくれる?」
「ええ、私はいいわ」
ティアはハロルドから離れたくなかった。けれど、ハロルドはもうそれどころじゃないらしい。なにか彼にとって必要な
「母が待てるかな」
ハロルドの話が終わるのをルアドは待てないと、母を心配する。
体調を悪くした人を長く会場に留めておくわけにいかない。
「ハロルド様、先にいってます」
「そうか。あとから行く。必ず待っていてくれる?」
無茶するな、と言葉にできないことを、離れる手を握ることで伝えてきた。
これまで、叔母と会っていて何か困ったことが起きたことは一度もない。
ハロルドは会ったことがないから、心配をしすぎてしまうのだ。
平気だと、手を握り返す。
ため息をつかれたが、送り出してくれた。
「ティアン様、行きましょうか」
ハロルドが男性と離れていくと、ティアンはライアンを探した。
「ライアン兄様を連れて行ってもいいかしら? 兄様も来月結婚する婚約者を叔母様に会わせたいと今日きてますの」
「ああ、知っているよ。先に声をかけて、控室へ行ってもらっているから、行こう」
ティアンはライアンを探した。ルアドの言葉を信じていないわけじゃないが念のために。
(兄様、アメリア。いないわ)
近くを離れないと約束したのに、ティアンに何も言わずに叔母へ先に会いにいったのだろうか。
会場内をゆるやかに音楽が流れ始める。
「ティアン、急いで。母の気分が悪くなる前に」
「え、ええ。ねえ、本当に兄様たち、先にいっていますの?」
やはり、なにか絶対的に安心は出来なかった。
仮面の夜会に参加したのがはじめてで。仮面があるだけで相手が誰かなんてすぐにわからない。どうして、ルアドはティアンを間違えずに声をかけられたのか不思議だった。
夜会でしかあっていない従兄妹の話を鵜呑みにも出来ない。
もう一度会場内にいるはずの二人の姿を探した。
何度探しても、いなかった。
次第になぜか、少し、頭に靄がかかったようにくらくらする。人の姿が見えにくい。
「ティアン嬢、大丈夫ですか?」
足元がふらついた。
「ええ、平気、ですわ」
支えとなるハロルドはいない。
かわりにそばにいたルアドが紳士らしく、手を差し出し支えてくれた。
「これはいけない。早く、叔母の元へ行きましょう」
ルアドから、独特な香りが漂う。
ティアンは頷いた。
ルアドの手に導かれるように、会場を出た。
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