4、ベルメルト家の招待 1

 ハロルドがカフスボタンを受け取った日の夜。屋敷にライアンが訪ねてきた。

 フレデリー家の屋敷から帰るとすぐ、ハロルドは友人へ宛てて手紙を書いた。

 その手紙を読んですぐの返事はすぐに来た。

『今日、遅くなってもよければ行く』と。

 ハロルドとしては友人の訪問は、何時いつでも歓迎している。今回は一日でも早く話したいことがあるのでちょうどいい。


 夜更けに現れた友人を、ハロルドは自室へ通した。

 お茶とティーポットと菓子が乗せられたワゴンを使用人からドアの前で受け取り、早々に退室させる。

 部屋の外で聞き耳を立てられては敵わないので、口の硬い従者をドアの前に待機させた。

「突然どうした。何があった」

 ライアンは、入れられた温かいティーに手をつけず、身を乗り出してハロルドを問う。

 即急に来てくれなんて手紙を出したのだから、何かが起きたと解されてもおかしくない。

 友人の顔は焦りを帯びている。

「お前……、まさか…………」

 とてつもなく言いにくそうに、歯を噛み締めると覚悟を決め、ハロルドの胸ぐらを掴んで、強く引き寄せる。

 二人の間に長細いテーブルがあっても彼は構わない。

「ティアンに何か、したのか?」

 胃の底から発せられる恐ろしく低い声音はこれまでに一度も聞いたことがない。

 ぎゅ、と首元が締めあげられる。

 ハロルドは真剣な顔でライアンを真っ直ぐに見た。

 その目は恐ろしくも、ティアンを心から心配する兄の目をしている。

 それは明らかなライアンの先走った誤解なのだが。

「ライアン」

「なんだ」

「まだ、してない」

「まだ、とは? これからするみたいな言い方じゃないか」

 掴んだ胸倉は緩むどころか苦しくなる。

「ちゃんと、結婚するまでは守る。怖いお兄様がいるからね」

 片目をパチリと閉じると、あっさりと手が離れていった。

 空気が一気に肺に入って、咳き込んだ。

「口づけはしたけど、許してくれるよね?」

 再びとても恐ろしい眼力で睨まれるも一瞬。椅子に深く座った。

「そこまで許さないと言ったら、アメリアに怒られる」

 過去、言われたことのあるような哀愁が全身から漂っている。アメリアはティアンの友人だ。

 ライアンはティアンを溺愛している。そうすぐに婚約相手は見つからないとハロルドが思っていたら、ティアンを通じて知り合い、婚約をしたという。

 ほぼ、アメリアに迫られての婚約だと聞いた。その時の話ぶりからライアンを頷かせるほどに強い性格をしているのか、彼をうなづかせる何かをアメリアがしたかのどちらかだろう。

 諦めたような笑いは、ハロルドの予想はあながち外していない。

 ライアンは、実妹じつまいを溺愛していることで有名だが、実は婚約者にも甘いのだ。

 アメリアのことを気に入っていたが、すぐに婚約する話をできなかったのだろう。そういうところはハロルドと似ている。

 ライアンは来月、アメリアと挙式を挙げることになっている。


「僕を呼び出した理由は? 他にあるんだろ?」

 少し冷めてしまった紅茶を飲み、ライアンは尋ねた。

「ベルメルト家の招待状がティアンに届いた」

 前置きもなく言うと、友人の眉間に皺がよる。

「なぜこうも律儀に送ってくるのだろうな、あちらの家は。今年は不参加、といかんだろうな。ティアンはロメベル子爵夫人に会えると楽しみにしているんだろう?」

 ライアンの言うように、ティアンは『叔母様に紹介しますわ』と声を弾ませて言っていた。

 不参加と先方へ知らせはしまい。

「父は、どうすると言っていた?」

「ティアンに任せるようだったよ。招待状を俺といるところへ侍女に持って来させたんだから」

「もちろん、断るように説得してくれたんだろう?」

 目を釣り上げて聞いてきた。

「ティアンの楽しみを奪うなんてことしたくないじゃないか」

「お前……」

 皿のような目で睨まれても、ティアンの喜ぶ表情かおに勝るものはない。

「分かっているのか? あれの夜会はレオン・ラデリートが出席するかもしれないんだ」

 ライアンは言葉でも抑えられない怒りを逃すように、テーブルに当たった。夜も遅いので、それは控えめに叩かれたが、カップたちが、音を立てた。

「これまでは参加がなかったんじゃなかった?」

「今年は違うだろうな。お前とティアンが婚約したことを知っている」

 菓子を頬張り、ライアンはため息をついた。正直なところ、今年は不参加として欲しかった。


 ◇


 ベルメルト伯爵家。

 現当主は、三十を過ぎた頃に当主の座についた。

 彼には社交デビューを果たした腹違いの弟がいたのは、もう過去の話である。

 ベルメルトから勘当された弟は、前当主が外に作った女に産ませた子供。なので、母親の身分はさまざまな憶測がいまでもされている。


 曰く、商人の娘であると。

 曰く、渡りの舞子であると。

 曰く、一時の気の迷いで、どこの女かもわからぬと。

 曰く、……。

 これらの憶測はいまだ、憶測でしかあらず、真実はいまだに謎のまま。


 その母のわからぬ腹違いの弟と、関係を持ったのがティアンの叔母だった。

 当時決まっていた婚約者とそりがあわず、形だけの婚約。身分が上という理由でで、相手も好きにしていて、夜会や舞踏会でも叔母はいつも相手にされていなかった。


 何を思ったのか叔母は、仮面の夜会で名も身分も知らない男性と一夜を共にし、子を成した。


 その事実を知った、フレデリー前当主は怒り、叔母を即刻勘当させた。

 当然ながら、婚約をしている相手から手切金と莫大な多額の金を要求された。

 家の名誉のため。まだ、相手の決まっていないティアンの父のため。

 社交界での噂はご法度だった。

 そのお金をどうかき集めたたか、ティアンの父が知る術もないが、長くお金の工面に苦しむことになったのは事実だった。


 それから十年。

 ベルメルト家を追い出された現当主の義弟は、国に貢献した名誉を賜り、当代に限り爵位が与えられた。


 ふたたび、その名が社交界で囁かれるようになる。

 義弟はロメベル子爵と呼ばれた。

 領地は勘当されたベルメルト家が管轄する地の一部を与えられることになる。

 同然ベルメルト家は反発するが、王家に意見できるほどに力はもっていない。

 ベルメルト家の一領地を与えているため、夜会に義理で招待されている。それをさも当然とばかりに、ロメベル家は毎回堂々たる顔で出席している。


 ◇


 ティアンが社交デビューする前のこと。

 若い子らとのお茶会が催された。

 小さな社交場である。

 そこに集められた歳の近い女性だけの茶会で起きた小競り合いから助けた礼で、毎年招待状を送ってくる友人とも呼べるかわからないベルメルト伯爵家令嬢。

 彼女は一度、ティアンがレオンの罠にかかる前の年に彼と噂になった。

 相手が、ラデリート侯爵家の跡取り息子。

 このまま、婚姻を結べていたら、相当良い家柄に嫁げることになる。

 しかし、親の思いとはかけ離れた悪い噂は突如として何の前触れもなく膨れ上がりだす。

 事実と異なる噂はどれも結婚から縁遠くなるものばかり。

 しかしこのまま、レオンか娘を娶ればいいだけの話。

 しかし、噂ばかりがただそのに残って。

 レオンは一年後、突如として娘から興味をなくし、次の標的へと興味を示す。


 未婚の娘によくない噂が立ってしまったものを消すことはもうできない。

 噂が大きくなってしまうと、彼女を娶りたいという貴族からの手紙がぱったりとが来なくなることを恐れていた。

 ふいに訪れた婚姻話にベルメルト家の現当主が飛びつくのも仕方ないと言える。


 彼女の相手は予定よりも早く決まった。今年、ベルメルト家の娘は、十二も歳の上の、妻に先立たれた傷心の男の元へ嫁ぐこととなった。

 ベルメルト家の令嬢は気品高く、性格にも少々難があった。その事実を両親は知らず、彼女の嫁ぎ先が早く見つかり、良かったとも言える。


 一方、レオンは。

 レオンが大人しくただ、社交を楽しんでいればよかったのだが、彼が大人しく社交に出るだけですむわけがなかった。

 レオンが次に噂となった相手はティアン・フレデリー。

 ベルメルト家と因縁のある家の娘。

 ティアンへ手を出したことで、レオンはベルメルト伯爵の怒りを買った可能性は大いにある。

 今年は招待されない可能性がないともいえない。

 

 ティアンはベルメルト家と因縁のあることを知りながらも、夜会に出る理由。

 やはりそれは、年に一度しか会うことのできない、叔母の存在が大きいのだろう。

 どれだけ、父や母、兄が止めても、ティアンは夜会に行くと言って聞かない。

 なにか、ティアンが参加ぜざるおえない、なにかがあるのだろうが、ライアンでは突き止められなかった。


 ライアンの心配は尽きない。

 社交界をティアンとレオンのあまりによろしくない噂が、ハロルドとの婚約によって下火になってきたとはいえ、まだ油断できない。


 今年のベルメルト家の夜会は欠席してほしいというライアンの切なる気持ちもハロルドには十分に分かっていた。

「分かっているよ、お兄様」

 にこりと笑うハロルドの笑みにライアンは諦めのため息をついた。

「僕も招待状をもぎ取って、アメリアと参加する」

 目をぎらつかせる親友に、ハロルドは苦笑した。

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