3、突然の訪問と贈り物 6

 タイタリア家とラデリート家。


 もともと敵対する間柄ではなく、仲が良いともいえない。

 タイタリア家は代々、知能の高いものを排出する貴族。王宮では、その知識を惜しみなく出せる部署に属している。

 対して、ラデリート家は代々、国境付近を守ることで、強い騎士を排出してきた。

 知と武。

 協力することはあっても、敵対することをよしとされていない。双方が敵対する要因を作ってもならない。社交界では当然のように暗黙のルールとなっていた。

 ティアンの父はそれをよくわかっていた。

 そして、母も十分に理解している。


 ラデリート家の馬車が長く屋敷に止まっていることで、立たなくてもいい噂ができてしまう。噂と話題と、近頃の情勢とで成り立っている貴族たちの会話の肴にされてはたまらない。

 噂の内容の信憑性に興味はなく、ただ、夜会のひとときを楽しむための話題にして、その場を楽しむのだ。

 面白おかしい話ほど広がる速度は早く、瞬く間に、静かに広がっていく。

 今後の平穏な生活と社交のために、ティアンは心の底から早急に帰ってほしかった。



「レオン様は、どのようなご用件でこられたのでしょうか?」

 ハロルドがしごく冷淡にレオンへ尋ねた。

 レオンが一度父へ視線を送る。

 屋敷の主は、何も言わない。母もそんな父を咎めない。

 レオンが屋敷へ訪ねてきた用。彼より家格が下になるティアンへの、常識から外れた謝罪だけなんてあるはずがない。裏に、なにかがあると疑ってしまう。

 じっと威圧的にしてみるも、変わらないフレデリー夫妻に、レオンは大仰に息を吐き出した。

「……関係のないあなたに話す必要を感じられないな」

 はっきりと拒否をし、斜向かいに座るハロルドを睨んだ。

「ティアンのことで、わたしに関係ないことがひとつでもあると、あなたは思われますか?」

 

 もっともらしい返答をされ、レオンが片眉をひくりと動かした。なにか言葉を言おうとして開かれた口は閉ざされ、かわりに咳払いした。

 さらにそれを誤魔化すように冷めてしまった紅茶に手を伸ばし、怒りの溜飲を下げるかのようにすべて一息に飲んでしまう。冷めてぬるくなってしまった紅茶に眉を顰め、カップを戻した。


「――伯爵。用はすんだので、私はこれで失礼させていただく」

 答える義理はないと判断したのか、ハロルドの質問に一切答えはしなかった。

 用はもうないと、立ち上がった。着崩れた上着を直し、「では失礼する」と退室の挨拶をする。

 用件といってもただ、迷惑な謝罪を一方的にして満足したようだった。――ティアンは受け取っていないが、長く居座った迷惑な客人がようやく帰ってくれる。安堵しつつ見送りくらいはするべきだろうと重い腰を上げようとするティアンをハロルドは繋いだ手をひいてひきとめた。


「――あなたの用件は、先日の夜会のことですか?」

 大股に扉へ向かいながら身支度を整えるレオンの足が止まる。

 ハロルドの唐突な一言に引き返さずにはいられなかったらしい。大股で戻ってくると今度はハロルドを見下げた。

「私はあなたに不愉快ととられることを一切していないが?」

 怒りを抑えた声の低さと、ひどく相手をさげずんだ目。

 見上げてしまったティアンが偶然目撃してしまい、息を呑む。

 思わず出かけた悲鳴をなんとか飲み込んだ。

 正確には口を空いた手で押さえて、喉の奥に無理やり押し込めた。


 ハロルドがゆっくりとレオンを冷ややかに見上げ、体制を変える。ティアンはハロルドの背に庇われた。


 レオンの質問をハロルドは聞き流し続けた。

「それとも先日の夜会より以前のことも謝罪に含めているのでしょうか?」

 レオンの中では先日のラデリート家主催の夜会のことだけを

 彼は常に冷静だった。

 怒りを隠しきれていないレオンに勝ち誇った顔を向けている。

「私はあなたに何かしたか?」

 レオンの中だは最も部外者と思われているハロルドは、ゆっくりと立ち上がった。

 双方が睨み合う。

「ええ、しましたよ」

 ハロルドはようやく、レオンの質問を答えた。

「大切な婚約者を不愉快な噂話の種に巻き込んでくれました。覚えが無いと言わせません」


 ハロルドが立ち上がると、わずかにレオンよりもハロルドの方が上背があった。見下げられる形になった途端、レオンの強気な態度は一転、少々視線が泳ぎ出した。

「どうなのですか?」

 ティアンをからかっていた頃の彼を彷彿とさせる。

「なにをおっしゃっているのか……」

 レオンの声が上擦り、足がわずかに後退した。その背後に何があるか。彼はすっかり忘れていた。

 ソファのヘリに脛を当て、勢いよく後ろへ倒れるように再び腰を下ろした。

 肘置きにぶつけた肘をさすっている。当たりどころが悪かったらしい。

「わかりませんね!」

 痛みを堪えて、吐き捨てる。若干涙目になっているのはみなかったことにした。

「わかりませんか? あなたがこちらの屋敷へ来た用件を、わたしは正確に理解しているとはっきり言わないとわかりませんか?」

 体制を崩したレオンに、ハロルドは一切容赦ない。

「わたしはティアンからすべてを聞いています。彼女との婚約は長年切望していました。ようやく叶い、まるで夢のようで、公表しなかったわたしにも責任があります。先日のことはティアンのお兄様にも、呆れられてしまいました」

 ティアンは驚き隣を見上げた。

 切望? 長年? そんな気配、微塵も感じなかった。

 この場を収めるための方便なのかもしれなくても、胸にじわじわと嬉しさが込み上げる。

「今回は、わたしや彼女の家格が脅かされていませんので、そちらへ表立っての抗議はしていませんが――それは、いまはまだ、です」

 ティアンはラデリート家へ抗議ができるような地位にいない。抗議を申し出れるのは、婚約者となったハロルドになる。

 そうするには、レオンから目に余るなにか・・・・・・・を婚約者であるハロルド自身がされなければならない。話をティアンから聞くだけでは、婚姻をしていない婚約者の立場で家に抗議はできない。

 当事者にハロルドは進んでなろうとしてくれていた。

 嬉しいのに心が激しく動揺した。

「おわかりいただけますか?」

 あの日の夜会のことも、その前までの、ティアンへの接触も、把握済みであり、なにかあればすぐにでも抗議できる準備はできていると暗に伝えていた。

「……わかるはずがなかろう」

 動揺しながらも、レオンは強気だった。

 理解していることは誰の目から見ても明らかなのに、彼の中では認めたくないのだろう。

「わたしが今この場にいることは、フレデリー伯爵が望んだことではありませんよ」

 ハロルドは、出された紅茶を飲み、カップをソーサーに戻しながら、にこりと笑顔を向ける。

 レオンの頬が引きつった。

「ど、どういうことだ」

「わたしが今日いるのは、ティアンの心からの『お願い』です。婚約者として、聞かないわけにいかないでしょう?」

 伯爵に訴えるように目をみると、ティアンの父はそのとおりだと頷く。伯爵が呼んだとばかり思い込んでいたらしい、レオンは次にティアンへと向かった。

「ティアン嬢、そうなのですか?」

 幾分かティアンには砕けた口調になる。

 猫を撫でるような声に、ぞぞっと背筋に悪寒が走った。

「え、ええ」

 ティアンはハロルドに身を寄せて、彼の目から逃げるように、視線を逸らした。

「何故ですか? 私はあなたにあの日の謝罪を……」

 すがるように興奮したレオンが腰を浮かせた。殺気立つレオンからティアンを守るように二人の間にハロルドが身体をねじ込む。

 大きな背中にティアンはすっぽりと隠された。

 自然とハロルドとレオンの目が合う。

「謝罪ですか」

 ハロルドは、冷静で紳士的対応を崩さない。

「わたしもティアンと夜会にはいくつか参加しております。いつのでしょうか。よければ、聞きます」

「…………。あの日というのは、我が屋敷で開いた夜会の日のことだが? タイタリア侯爵令息」

 ハロルドを鼻で嘲笑った。

「ああ、あの日の」

 対して、ハロルドは思惑があるかのように微笑む。

「先程も申したように、まだ、公にしていなかったこちらにも、非があるので、ティアンがわたしの婚約者と知らないで、行動した数々のことは、一方的にあなたが悪い、ということはありません。非公式の謝罪は結構ですよ」

 強い拒絶にレオンは開きかけた口を閉じて、歯噛みした。

「ですが、私の大切な人の心に別の人が住みつくのは許せるものではありません。彼女の心に一時でも入り込む行為、許容はできかねます。あなたの謝罪はわたしに対して行うべきではありませんか?」

 尤もな抗議に、レオンは歯がみした。

「ティアン嬢はなにも言わなかった。婚約者がいると知っていれば……。私は……このようなこと、しなかったでしょう」

「今後も、されないことを心から願うばかりです」

「…………」

 言い返す言葉もなく、レオンは立ち上がった。

 一度、忌々しくハロルドを見下ろし、次にティアンに向けられた。恋心がわずかでもティアンに残っているという目でなく、恨みが込められた視線に、ティアンは肩を跳ね上げ、悲鳴を堪えてハロルドに縋った。

「失礼させてもらう」

 サロンを去るレオンに続いて両親、続いて使用人が出て行った。

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