3、突然の訪問と贈り物 3
宝石店を出て、店の者たちに見送られながら、店先から離れたところに止めてある馬車へ向かった。
ティアンは、店の名前を忘れないように振り返った。店の名前が書かれた看板が掲げられていない。
入り口の窓や、道路に面する壁にも。
店から一歩出てしまうと、どの家が店になるのかすらもわからなくなってしまう。並ぶ家とさほど変わらない佇まいをしていて、店先に店員が立っていなければ、はっきりとこの家だと断言できない。それだけ、周囲に溶け込んでしまっている。
ここは店の名前を出さない隠れた名店と呼ばれる店なのかもしれない。
店が名前を掲げていないなら、周囲にあるものを覚えるしかなくなる。
見渡すと、店の周辺は民家が立ち並んでいて、目印となる目ぼしいものがない。
屋根も同じ色が並び、目印にもならならない。
これでは、再び来ることができなくなってしまう。
『店から離れた場所に馬車を止めなければならないんだ。少し歩くけど、平気?』
と言われた意味がようやくわかった。御者にここだと言っても、場所の特定は難しい。走る馬車ではとても出来ない。
離れた場所に馬車をおき、歩いて一軒一軒、店か確かめた方が格段に早い。
他に目印となるものはないのだろうか。
キョロキョロと周囲に目を走らせていると、地面に足をとられて、バランスを崩した。
「ティアン、大丈夫?」
ぐらりと傾いたティアンを、ハロルドは難なく受け止めた。
地面を開いた日傘が転がる。
「ごめんなさい。平気よ」
「足元、危ないから気をつけて」
転がった日傘を受け取って、お礼を言いながら、店の目印をこっそりと探した。
今日を逃してしまうと、再び来られなくなる。せっかくいい宝石を見つけたというのに。
後ろ髪引かれる想いで、振り返った。綺麗に景色の中に溶け込んでしまっている店は、ティアンだけで内密に来られそうにない。
店員が笑顔で見送ってくれていて、お辞儀をされたので会釈して返した。
「ティアン? どうかした? 忘れ物でもした?」
「あっ、いえ、ち、違うわ。この景色がとても同じで、錯覚して目眩を起こしそうで」
「じゃあ、俺の腕に体を預けていていいよ。馬車はもうすぐそこだから」
「そうさせてもらうわ」
後ろを振り返った理由を誤魔化して、ハロルドの腕に手をかけた。傘を握り直して、小さくため息がこぼれ落ちた。
◇
馬車の開けられたドアの前で待つハロルドは、ティアンが周囲へ必死になって目を走らせていることに気がついていた。
店内で他の宝石で装飾された作品を紹介されている間、彼女はショーケースに釘付けになり、もう一人の女性店員と話をしていた姿を見ている。
なにかをすすめられでもしたのだろう。
あの店は、良質な宝石を扱うので、賊に狙われやすい。店の名を掲げるどころか周囲と同じ構えにして、店があることを分からなくしている。
店の入り口も厳格にしている。客によって入り口が変わるとも言われる変わった店なのだ。店全体がどこまであるのかハロルドさえ知らない。通された個室は間違いなく、あの店の店内であるのだが、個室はひとつとは限らない。店員はもしかしたら二人ではなくもっといるのかもしれない。それも客によって変えているとまで言われている。どれも真実味のない噂程度のものばかりだ。
宝石の質や宝石を彩るデザインは飛び抜けて良い。世代を超えて代々世話になっている店だ。この店以外にデザインする宝飾を見たことがないが、細かい注文を聞いてくれる店はここ以外にないだろう。
このまま何事もなく順調に進んでいけば、ティアンはいずれタイタリア家の一員となる。彼女に店の場所を教えてもいいのだろうが、厳格すぎる店なので、婚約者というだけで、ティアンが単身店に入ることは叶わないだろう。
馬車のドアが開けられ、「おかえりなさいませ」と御者に迎えられる。
ティアンは傘を閉じて、振り返った。
ピンクブロンドの髪わ風がいたずらに遊んでいく。
「ティアン」
ハロルドが名前を呼ぶ。
ティアンは、振り返った。その顔はとても複雑そうだった。
ハロルドが店の新作を見せてもらっている間に何かがあったと察するに十分だ。
「何か気になることでもあった?」
ティアンは言わないだろう。ハロルドの予想は当たった。
「いえ、なんでもないわ」
ティアンはハロルドから差し出された手に、一瞬躊躇いをみせるも手を重ねて、馬車に乗り込んだ。
続いてハロルドも乗り、ティアンの向かい側に腰を下ろす。ドアが閉められた。
馬車はゆっくりと走り出した。
「とても珍しいところに店があるのですね」
店から徐々に離れていく景色を必死に脳内に焼き付けようと、窓の外を凝視して、ハロルドをちっとも見てくれない。
――少し、景色に嫉妬しそうだ。
「そうだね。あの店は特別な宝石を扱っているから、店名を表に出せないんだ」
ハロルドもそう簡単に店の名前を出すわけにいかない。出入り禁止となるのは今後のためにも避けなくてはならない。
ティアンが必死にハロルドから店の情報を仕入れようとしているところを見る限り、なにかを店に頼んだのだろう。
新規の人の注文を請け負うことをしない。あの店にしては珍しい。
ハロルドの知らないところで、ティアンがなにを注文したのか気になる。先日、庭で縫っていた刺繍はハロルドのものだと分かっても、店に頼んだものを贈る相手は違うかもしれない。
相手を探ろうとすれば、知られたくないティアンは怒るだろう。知られたくないと、抵抗するだろう。恥ずかしそうに赤くした顔や行動が可愛くて、からかってしまうのは秘密だ。
「ハロルド様はお店の常連さんなのですか?」
景色ばかりに意識がいってしまい、全くこちらを見てくれない。もうそろそろハロルドを意識してほしくて、ティアンの手をとり、指先に唇をつけた。レースの手袋越しにぴくりと反応が返ってくる。
「……結婚したら、教えてあげるよ」
手にとったティアンの指に自身の指を指先に絡めてみる。
すると、ティアンは窓の外からハロルドに意識が移った。
「婚約してますけど?」
恥ずかしさを隠すかのように一気に捲し立てる。
「まだ、だめだよ。知りたければ、ティアン。………俺以外を選ばないで」
小さく願いを込めた呟きは、ティアンに聞こえるようにワザと熱っぽく言ってみた。
「……っ」
好意を向けられていると感じているけれど、言葉にしてほしい。その想いは伝わることはなく。
「ティアン?」
「……選ばないわ! 馬鹿なこ、とを……」
「ありがとう。……ティアン?」
にこりと笑った。嬉しくて、頬が緩む。
ティアンがそっぽを向いた。耳が赤くなっているのは、きっと気のせいなんかじゃない。
あまりティアンを揶揄うのは良くない。嫌われてしまったら、長年想い、夢見てきたこの現実を手放さなくてはならなくなってしまう。
ハロルドはティアンの指先を名残惜しくも手放した。
「――来週、店主に誘われてまた店に足を運ぶことになったんだ。ティアンがこの店を気に入ったんだったら、一緒に来る?」
本当は、そんな誘い受けていない。ティアンはあの店になにか名残があるらしい。思いついたように言ってみると、飛びついてきた。
「いいのですか? ご一緒しても」
目を見開き、希望を取り戻したような輝きを放つ瞳はわかりやすい。前のめりにハロルドに詰め寄ってくる。狭い馬車の中で、ハロルドは何かを試されているような気がした。
ハロルドがうなづくとティアンは、「ありがとうございます」と嬉しさ全開に笑顔を向けた。
あまりの可愛さに、見つめていられなくなって、窓の外に目を移してしまったことは許してほしい。
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