3、突然の訪問と贈り物 2
クッキーに手を伸ばし、頬張る。
手土産に持ってきてくれた有名な菓子店リグウェイのクッキー。
クッキーが入った箱がとても可愛くて、部屋にいろんな形のリグウェイの箱を保管している。
果物ジャムを使ったクッキーがとくにティアンの好物と彼に言っていないのに、出されたクッキーはどれもジャムを使ったクッキーが多く皿に乗せられている。
ティアンのことをよく知るサリマから仕入れたのかもしれない。
ハロルドの予告ない突然の訪問に嬉しさに頬が緩みそうになるのを必死にとりすませた。
それでも頬が緩んで目尻が垂れ下がっていることに、本人だけが気づいていない。
嬉しさを隠そうと頬に力を入れていてクッキーが食べにくい。クッキーを頬張ったのが間違えだった。いつまでももごもごしているわけにいかないと紅茶に手を伸ばした。
なんとか飲み下すと、肩を震わせるハロルドが目に入る。
ただ、クッキーを食べただけのどこに面白さがあるのかわからない。
「な、なんです?」
訝しげに、目を細める。
「気にしないで」
笑いたいのを必死に耐えているみたいな顔で言われても、気にならないわけがない。
「前触れもなく訪問されるなんて、珍しいですわね」
屋敷へ来るときは必ず手紙で教えてくれる律儀な人だと思っていた。これまでがそうだったから、今日は完全に油断してしまっていた。
こういうこともあるのだと、心に留めた。
古いデザインのドレスを着た、一番殿方にみられたくない姿。気に入っていて手放したくなかったのだけど、ハロルドに見られてしまって、幻滅されてしまうくらいなら、このディドレスはもう着ないようにしようと心に誓った。
昔からティアンを知っているハロルドは気にしていないようだけれど、乙女心が気にしてしまう。
ドレスの裾のシミが見えないようにそっと隠しながら、冷たく言ってしまった。
「手紙を至急届けさせていたんだけど――」
サリマの一睨みで、ティアンの対面にしぶしぶ座り直したハロルドはティアンの一言に面食らったように瞬きをした。
そのことに今度はティアンが驚いた。そのような手紙届いていない。
「見ていなさそうだね」
ハロルドは困ったように、襟足を掻いた。
「え、ええ。見てませんわ」
その手紙を見ていたら、四阿でのんびりと刺繍をしていない。急いで身支度を整えて、いつものようにそわそわと落ち着きなく玄関先で出迎えをしていた。
ティアン宛の手紙は全て、まずサリマが先に手紙を受け取ったあと、ティアンに渡される。サリマがハロルドからの手紙を止めていたのだろうか。
ハロルドがいつ頃手紙を出したかにもよる。彼がティアンの屋敷へ向けて出ると同時に手紙を急ぎ出していたとしたら、ティアンに届くのは夕方ごろか、夕食後になる。
婚約者の名前が書かれた手紙で、届けた者が急ぎだと言えば、早急にティアンへ届けられる。
屋敷の者たちはティアンの婚約者の名前を知っている。
もしかしたらハロルドが手紙を出した時間がよくなかったのかもしれない。
屋敷へ届いていない可能性も考えて尋ねてみた。
「いつ手紙をお出しになったのですか?」
「昼ごろかな」
「そ、そう……」
屋敷から出しているとなると、すでに着いていてもおかしくない。
従者に渡して、急ぎ届けさせたという。刺繍を始める前に、ティアンに届いていただろう。
サリマを恨みがましく睨んだ。四阿の外、しれっとした顔で待機をしている。
サリマは中庭で刺繍とお茶をするといった時、中庭へ刺繍と図面を持って出た時でも、なにも言わなかった。
主人を驚かせるためにしても、あまりにいつも通りで、ハロルドが来ることを察せなかった。してやられた感がしてならない。
「急ぎ出したのだけど、早く会いたくて馬車を急がせてしまったから、俺が早く着いたのかもしれないね」
手紙が届かなかったことを、彼自身が自分が悪ったのだと言われてしまうと、この場ではなにも言えない。
そんなことないだろうに。
再びサリマを訴えるようにみると、彼女の手に白い便箋のようなものがあった。便箋にタイタリア家の紋章印が押されていれば、間違いなくハロルドが出した手紙になる。
やっぱり犯人は、サリマだったのだろう。あとで問い詰めなくては。
昼からの用事がとても幸運なことに全てなくなったいうハロルドは、ティアンへ笑顔を浮かべた。
婚約をして、夜会でティアンの婚約者だと知らしめたハロルドは時間ができると、ティアンの屋敷を訪ねてくれる。
毎回律儀に手紙で、数日後に会いに行くことを伝えて。
三日前の別れ際。
次はいつ会えるかわからないと言っていた。
突然の訪問は驚いたけれど、会えると思っていなかった分、嬉しさも大きい。
「突然でも、いいです。……ハロルド様なら」
「へえ、いいんだ? そんな許しをもらってしまうと、いつでも来てしまうよ?」
緩やかな笑顔を向けられて、思わず叫んだ。
「じょ、常識の範囲でお願いいたします!」
「あなたのお父様とお母様の不評を買うことはしたくない。もちろん、弁えているよ」
慌てて捲し立てると可笑しそうに笑われてしまった。
逆に、レオンはそんな人だったのかと問われると、言葉に詰まってしまう。レオンとは夜会で会う以外で会ったことがない。屋敷を訪ねてきたことは当然ない。ティアンは知らない。
「ティアンはどちらが良かった?」
たしかに心の準備は必要だった。
手紙で来訪を知らされるのはとても嬉しいけれど、今日のように突然の訪問はもっと嬉しい。
「たまに今日みたいに……来てもらえるの、嬉しいです」
ティアンは恥ずかしさを、クッキーを口にすることで隠した。
驚きはしたけれど、時間ができたからと一番に会いに来てくれる。これほど嬉しいことはない。
「どちらでも嬉しい?」
「いっ、いつもは困りますよ。常に暇ではないのですからね!」
淑女としてのレッスンは欠かすことができない。ハロルドと婚約してからは、レッスンにさらに力がはいる。ハロルドに恥はかかせられない。
「ライアンから聞いている。俺のために頑張ってくれているって。ティアンの忙しい日は訪問を控えるよ」
その後に、残念だけどね、という隠れた言葉が見え隠れる微妙な表情は。
レッスンを増やしたのはつい先週のこと。両親に言われて、恥ずかしくない作法でハロルドの隣に立とうと、復習のつもりで講習をはじめたら、思っているよりも作法がよくないところもあり、再び学び直しているところだった。
ハロルドに知られず内密にレッスンを増やしたのが、兄を通じて、ハロルドに知られてしまっていたらしい。
(兄様! ハロルド様に余計なことを言わないで!)
兄に心の中で毒づいた。
ハロルドには頑張る姿を見られたくない乙女心を兄はわかってくれない。
兄の婚約者でティアンの友人であるアメリアもときどき愚痴をこぼしていた。
愚鈍な兄は婚約相手だけでなく、妹にもそれは存分に発揮されていた。
はっきり言わないでほしいと言わないとライアンはわからない。
それ以外のところでアメリアは兄に魅力を感じているようだから、いいのだけど。
「ハロルド様のお約束を優先しますから、構わずにおっしゃってください」
「そう? それじゃあ、ティアン。明日、出かけられる時間はあるかな?」
「明日ですか?」
カップをソーサーに戻しながら聞き返した。
「そう。なにもなければになるんだけれど」
明日の午前は講習が入っている。午後は刺繍をしようと時間を作っていた。
「午前は時間がとれませんが、午後は空けられます」
「午後でいいよ。迎えにくるから、俺と出かけない?」
「……は、はい」
「楽しみにしていて」
ハロルドはにこりと笑いかけ、ティーカップをソーサーに戻して立ち上がった。
もう帰ってしまう。時間ができたとはいっても、やはり忙しい身なのだ。
少し淋しいけれど、見送りに立ち上がった。
「それじゃあ、明日」
玄関でティアンの頭をくしゃりとハロルドは撫でていった。
◇
翌日午後。
ティアンは宝石店を訪れていた。
煌びやかな宝石は店内の光を存分に吸い込み、光り輝いている。
色とりどりの宝石が大きさ、形もさまざまに展示されている。
「ティアン、こっち」
ハロルドにエスコートされながら、心惹かれる店内を素通りしていった。
あとでみたいと言ったら見せてくれるだろうか。
後ろ髪引かれる思いで、店内から遠ざかっていくと、ハロルドが苦笑した。
「あとでね?」
ティアンが言わなくても、心踊らせていることがわかってしまうらしい。
通された個室は、店の中でも特に別格の部屋のようで、ハロルドと隣り合って座り、目の前に店主が座した。
白が混じった茶色の髪を後ろに撫でつけた四十代くらいの宝石商は、宝石に傷をつけないためか、手袋を両手に、小ぶりの箱をゆっくりと置いた。
「ハロルド様、本日はご来店ありがとうございます。ご要望の宝石の加工はできております。早速ご覧になられますか?」
ハロルドがお願いします、と一言言えば店主は黒の箱をゆっくりと開けた。箱の中には、青い宝石が嵌められたネックレスが鎮座している。
「ご要望のカットをさせていただいています。宝石の台座は……」
宝石商がネックレスのデザインとカットを事細かく説明して台座から慎重に取り出し、ハロルドに渡した。
「ご確認ください」
ハロルドは宝石を光に照らして確認した。
隣からティアンも見つめる。キラキラと宝石の中が輝いて見えた。晴れた日、陽の光を海面がはじいて輝く光景を思い起こさせた。
「――綺麗」
息を吐くように自然とこぼれ落ちた。
それほどに魅力的で、ティアンは目が離せなくなっていた。
「ティアンの瞳の色を選んだんだ」
「私の?」
海の青に似た宝石はティアンのアイスブルーの瞳の色よりも濃い。
「ティアンに渡したくて。気に入ったかな?」
「え、ええ。とても素敵です。綺麗で、魅入ってしまいそうです。こんなに素敵なもの、もらっていいのですか?」
「ティアンがもらってくれないと、僕が困るかな」
困ったように苦笑して、ティアンの後ろに回った。首にネックレスをつけてくれる。
鏡でみれば、瞳の色と合ってちょうどいい。
宝石を引き立てるデザインにもティアンは惹かれた。
「うん、とてもよく似合ってるよ」
耳元で囁かれて、頬が熱くなる。
今日のドレスを黄色にしたのを悔やんだ。もう少し違う色味のものだったらもっと合っていたかもしれない。
「ありがとう……ございます」
褒められたことが嬉しくて、頬が緩みそうになる。
「次の舞踏会でつけてほしいんだけど。いいかな?」
そしてもう一つ。
気が早いかもしれないと前置きして、婚約指輪をもらった。ネックレスだけでも十分なのに。断ろうとしたら、ハロルドはまた、困るな、と嘆いた。目が届かないところでも、ティアンを守ってくれるように、願いが込めてあるから、つけてくれないかな、と言われれば断れない。
レオンよけでもあるから、と穏やかに笑いながらも真剣な目で言われた。レオンの動向はティアンだけじゃなく、ハロルドも目を光らせている。
ネックレスは大切に包んでもらった。
次のドレスを作るときはこのネックレスにあうもの注文しよう。次の舞踏会は仕立て屋にオーダーをしても、多忙期なので急いでも間に合わない。
店内へ戻ってくると、店主はハロルドを伴って、店内の壁際へ歩いていき、商品を紹介し始めた。
宝石を使った時計が壁に飾られている。
もう暫くかかりそうだ。
ティアンは、手近のショーケースに目を落とした。
飾られている煌びやかな宝石が光を弾いて、輝いている。
どれも綺麗で目が奪われてしまう。
その中でも茶色の宝石を見つけた。光の加減で、薄くも濃くもなる宝石は、あまり大きくない。
じっとみつめていると、店の人にあちらの方に贈られるのでしたらカフスにされるといいですよ、と言われた。
「どうして」
思わず小声で、聞き返した。
「とてもお優しい殿方ですね。見ていてわかりますわ」
どうして分かってしまったのだろう。売り子の洞察力の良さに驚かされつつ、頼みたくなるのを堪えた。
この場で頼んでしまうと贈り物にならない。
話している間にハロルドが戻ってきたら知られてしまう。
振り返ると、ハロルドは時計から離れて、別の宝石の話を聞いていて、こちらを見ていない。
ティアンは気づかれていないうちに店員さんに宝石の取置きをしてもらうように頼んだ。
デザインが選べるというので、後日改めて買いに来て、ハンカチと一緒に贈ろうと決めた。
カフスが仕上がるまでに刺繍を急ぎ仕上げなければならなくなった。
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