2、いま話題の二人 1
フォリカス家の屋敷の前は、夜会に参加する馬車がずらりと並び、順に参加者が馬車から降りてくる。
ティアンはハロルドと会場に入った。
朗々と呼ばれる名に、会場にいる人の目がこちらへと向けられる。
噂の真相を実際その目で確かめようと、ぎらぎらとした目に尻込みしてしまいそうだ。
フレデリー家が先の夜会で周囲に、ハロルドの婚約を知らせてくれたおかげか。羨望とは違うものがティアンに向けられている。
ティアンがそちらに視線を向けると、あからさまな
ほっそりとした腰回り。ふっくらとした胸。
細められた目は恐ろしく怖い。
ハロルドの婚約者という地位を狙っていた令嬢かもしれない。
髪をカールさせて、華やかなデザインのドレスはシャンデリアの下でも特に目をひいた。
その周囲にいる数人の令嬢も、彼女に劣らず綺麗な人ばかり。
どうして、あんな
鋭く睨み祝福のされていない目はひどく恐ろしく。ハロルドの腕にかけている手を離すと。離れた手にハロルドの手が重なり、腕に戻されてしまった。
ハロルドを見上げると、きょとんとされた。
(どうして分かったの)
「ん、どうかした?」
エスコートするハロルドの瞼がゆっくりと細められて、ティアンを気づかう。
想い合う二人が見つめ合うように周りにみえる絶妙な角度で、恥ずかしくなった。
夜会に出る格好はいつも素敵だけれど、今夜のハロルドは一段と格好良い。
周りの令嬢じゃないけれど、見惚れてしまう。
「ティアン?」
返事がないティアンに、ハロルドは優しく名前を呼んだ。
それだけで、胸が高鳴る。
「……いえ。絨毯に足をとられただけ、です――ので」
声が上擦ってしまった。
咄嗟に咳払いをして誤魔化した。
恥ずかしい。
足を止めてしまった理由を磨かれた階段の上に敷かれた絨毯のせいにしてしまう。
本当の理由を、気がつかないでほしい。
「そう? ……行こうか」
気づいているのかいないのか、それ以上なにも問われなくて、安堵した。
聞かれても困る。他の令嬢と比べて劣等感を抱いてしまったなんて、言えない。
後方でワザとらしい咳払いの音がした。
後ろが詰まっているから早くしろと、名を呼ぶ屋敷の従者が視線をよこした。
会場内を歩くと、二人それぞれの知り合いの貴族に祝福された。
特に夫人からは皮肉のこもった祝福を受けたが、ハロルドが華麗にかわしてしまう。
娘と縁を持ってもらおうと狙っていた人に違いない。
ティアンはそのどれもを、貼り付けた笑顔で聞き流した。
何人目かの純粋な祝福にお礼をして、一息ついた頃にはすでに夜会は始まっていた。会場を盛り上げる音楽が流れ始めた。
ダンスをする人の邪魔にならないように、壁際へ移動した。
その間も、ダンスよりもこちらを追ってくる視線は感じて、気が休まらない。
ハロルドと婚約をするということがどういうことか、今夜だけで身に染みて分かった。
「ハロルド様。申し上げにくいのですが」
ティアンは周りの令嬢を気にして、細心の注意を払いハロルドだけに囁いた。
「なに?」
腕にかけられたティアンの手をとり、引き寄せて腰を引き寄せられる。
言いにくいことと察してくれたのはとてもありがたい。二人の近くなった距離に今日一番の胸の高鳴りを感じた。
屋敷の玄関で馬車を降りてから、ティアンの胸は高鳴ってばかりで、落ち着かない。
「あの――ですね、笑顔は素敵なんですが、少し控えてくれると……」
侯爵位の中でも、容姿のいいハロルドは良くも悪くも目立ち、人目を惹く。
笑顔ひとつで、周りの令嬢を虜にしてしまう魅力を持っている。本人は自覚していないのだろうが、ハロルドの柔和な笑顔は免疫のない令嬢たちには毒にしかならない。幾人かは魅了されてしまって、
誰彼かまわず魅力してしまう男性は彼くらいだろう。
「ティアンが僕のだって周りに見せつけて牽制しないと、キミは可愛いからね。ダメ?」
「な、なんでそんなこと……他の方にしなくてもいいわ」
ティアンを狙う令息はただ一人。レオンだけだ。
今日、彼は夜会に出席をしている。友人たちとの話に華を咲かせている。その会話のなかで、ティアンとハロルドを何度も見てきているのは気づいていた。
ハロルドの牽制は嬉しいのだけど、それはレオンに対してだけでいい。
レオンよりもティアンは令嬢の目が気になってしかたがなかった。
ハロルドに向けられる令嬢の見惚れる目の次に、ティアンに向けられた嫉みはどこまでも追いかけてくる。
少しでも嫌な顔をして見せようなら、すぐに不仲な噂を立てられてしまいそうで恐ろしい。
屋敷の侍女たちは、ティアンよりもハロルドの人気ぶりを理解していた。
見劣りしてしまわないように、腕を振るってティアンを飾り立てた結果、華やかなドレスはハロルドの隣でも十分に映え、人の目を別の意味で惹きつけている。
薄青のドレスはティアンの瞳の色よりも少し濃く、グラデーションになっていて、裾野へ向かってさらに濃くなっている。
ハニーブロンドの髪を結い上げて、肩に流れる髪は緩くウェーブがかっていて、散りばめられた髪飾りがシャンデリアの光を弾いて輝く。
お洒落して、化粧をしても並び立つハロルドの魅力に勝てそうにない。
令嬢の目とレオンと視線が合わないようにダンスをする男女を眺めていた。突然、髪をひと掬いされて、見上げた。
ハロルドが髪に顔をよせている。
すぅっと一息、吸い込んだ。
「うん、いい香り。ティアンにとても合ってる。俺が送った香油を使ってくれたんだ?」
数日前、今日の夜会で使ってほしいと手紙と一緒に送られた可愛い小瓶の香油を侍女たちが嬉々として、髪に塗った。
髪が靡くとふわりと優しい花の香りがする。
いつから気がついていたんだろう。初めてつけてみた香油はティアンの好きな香りがした。
「ええ、私の侍女がつけてくれたの。ハロルド様、いいものをありがとうございます」
手紙でもお礼を伝えたが、やっぱり直接言いたい。
「なにか身につけるものを送りたかったから、使ってくれて嬉しいよ。キミの侍女はよく分かっている」
髪を離して、今度は頭をひきよせた。今度は頭に顔をよせて息を吸い込む。
「僕が選んだ香りをつけてるのってなんか、いいね。とてもくすぐられる」
ハロルドの綻んだ笑顔がティアンを見下ろしている。
「なっ。ばかなことを言わないで!」
どん、と胸を叩いて、距離をとった。
頬と言わず、顔が真っ赤になる。
どうしてそんなに次から次へと恥ずかしい言葉が出てくるのか不思議だ。聞かされているティアンの方の心臓がもちそうになかった。
手にしていたグラスをぐいっと空けて、給仕にグラスを返す。
「果実水、もらってきます!」
ティアンは、そういうとハロルドから離れた。
これで少しは胸の高鳴りも落ち着いてくれるだろう。と安堵した瞬間。腕をとられた。
「ティアンまって、俺も行く」
ティアンの休まる時はないのかもしれない。
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