1、夢のような婚約 3

「ライアン、どうしたらいいんだ?」

 ラデリート侯爵家の夜会を抜け出して、ハロルドは学生時代からの友人ライアンを休憩室に連れ込んでいた。


 気を許した友人のライアンはまたか、と呆れつつも、ソファに座りハロルドの話を聞いてくれる。

 

 近頃、婚約者のいないハロルドの周りには未婚で、婚約をしていない令嬢たちが群がった。

 それもこれも、先日、侯爵家の跡取りが一人、結婚をしたからだった。

 婚約者のいない侯爵家の跡取りに令嬢が押し寄せている。それはハロルドだけでなく、今夜の主催者であるラデリート侯爵家の令息レオンも同じ状況だった。

 ライアンにもわずかではあるが、狙いを定めた令嬢が声をかけてきていた。

 この友人、すでに婚約が決まっている。妹をこよなく溺愛しているが、きちんと相手の令嬢がいるのだ。

 ティアンの友人アメリア。

 何度かアメリアがティアンを訪ねてきたときに、話しているうち気が合ったのだそう。

 そのまま何度か会うようになり、婚約をしたという話は昨シーズンが終わろうかという頃に聞かされた。


 ティアンをダンスに誘い、そのまま会場を出て……という計画を立てているのに、令嬢たちに阻まれ実行ができていない。

 本日も、ティアンをダンスに誘おうとして、彼女の周りに男性が数人いたことに驚いていると、参加している令嬢たちに囲まれてしまった。彼女たちから逃げるようにして、休憩室にいる。

 休憩室に篭っていないで、ティアンをダンスに誘いたい。

 部屋からでれば、待っていたとばかりに令嬢に阻まれることは必須。

 どうかわしてティアンのところへ行けばいいのか、分からなくて悩ましい。

 そんなハロルドをライアンは盛大なため息をこぼしたあと、非常に不愉快に顔を歪めた。

 いまは王城で騎士をしているが、のちに伯爵位を継ぐ男は、ハロルドを手招いた。

「悠長にしている暇はないぞ」

「どういうこと?」

「本気であいつに向かっていかないと、俺の可愛い妹に他の男とのよくない噂が立ち始めてる」

「噂?」

 聞き返す。ハロルドは聞いたことがない。

 ライアンは「その場を見たことがないんだが……」前置きをして。

「ラデリート侯爵令息が今シーズンの令嬢をティアンに見極めたとか。お前の知らないところで、ティアンに悪い虫がつきそうになっている」

 ライアンは解せないと深々ともう一度ため息をつかれてしまった。

 親友とも呼べる友人の目が細められて。

 お前は何をしているんだと、訴えられる。


「なん……それ、だれがそんなこと広めてたんだよ!」

 ティアンに言いよるような男は見たことがない。

 ティアンは他の令嬢と楽しく談笑している姿は見ても、令息に言い寄られている姿は、ライアン同様に目撃したことがない。

 相手がよほど慎重に、ティアンに接触しているのだろうか。

「僕の優しい同僚が教えてくれたんだが?」

「どこで見たんだ! 誰だ、その、ティアンに言い寄る男は!」

 ティアンに言いよる令息がいつかは現れると思っていた。その時期が思ったよりも早くて、ハロルドはのんびりとしていられないと、椅子から勢いよく立ち上がった。

「お前が早くしないからだ。ことはすでに進んでいる。お前、ティアンに早く言ってくれよ。僕がティアンを任せてもいいと認めてるのはお前だけなんだ。よくない噂のある男に、あっさりと横から取られていくなんて、馬鹿げている。こんなところで、他の令嬢から逃げている場合か」

 ぴしりとライアンからはっきりと痛いところをつかれてしまう。

 まさにそのとおりで、言い返す言葉もない。

 いつか、いつかはと先延ばしにしていた。その隙に、ティアンが別の男と婚約になったらそれこそ、もう手が出せない。

「よくない噂の男?」

「ラデリート侯爵家のレオンだ」

「……ラデリート侯爵家のレオン?」

 ハロルドの問いかけにライアンは大きくうなづいた。

 レオンは、ライアンとハロルド二人の学院時代の同級生になる。

 学院在学中は、数多の女性を虜にしていたが、紳士的で誰とも恋の噂を立たせることなく卒業を迎えた。

 その後、社交界で流れるレオンの噂は、学院在学中とは違い、全く正反対の噂が毎シーズンごとに流れた。

 そのどれもが女性とのことで、そのどれもが一シーズンで終わる。次の令嬢は誰になるのか、ここのところ、面白半分に話題にされる。

 まさかその噂の令嬢にティアンが名を連ねさせてしまうなど許せるはずがない。

 ティアンがその男に言い寄られている。信じたくない。

「ティアンは……そんな男に想いをよせていると?」

「いや、まだわからんが」

 ライアンは言葉を詰まらせた。

「俺がどれだけ苦労したかわかってる?」

「わかってる。だからこうなる前に早くしろと言っただろ」

 こうなる、とは他の男と噂となる前にさっさとティアンと婚約をしろということだ。

 妹をこれでもかと異常に可愛がるライアンに、ティアンを任せてもいいと認めさせるのは長くも根気がいる。

 ハロルドがライアンに認められるまで、何年もかかった。

 こんなにも長く努力したハロルドをよそに、横からあっさりと、想い人をとられてなるものか。

 ハロルドはティアン以外の女性に興味はない。いくら言い寄られても靡くこともなければ、惹かれることも、興味を持つことも全くない。

 それなのに、侯爵家ののちの当主となり、相手がいまだいないだけで、夜会や舞踏会に出れば、令嬢やその両親に捕まってしまう。

 気の強い親に捕まった時には、悲惨だ。なかなか離してもらえない。それらから逃げるに休憩室はちょうどよかった。

 休憩室に逃げてばかりいたために、ティアンに言いよる令息の存在をすっかり見落としてしまっていた。


 ライアンと悠長に話をしている時間はない。

 今夜の夜会は、その噂の令息の家が開く夜会なのだ。

 ティアンが噂の令息に言い寄られてはいないだろうか。

 どこまでも愚かな自身を鞭打ちたくなる。

 ティアンに男が近づかないように、ティアンの周囲を守っていればこんなことになっていない。

 早くフレデリー家の屋敷へ赴き、婚約の話を進めていればよかった。


 ティアンは歳を重ねるごとに、綺麗になっていって。今年は去年よりも可愛さに磨きがかかってていて、胸が激しく高鳴ってしまい彼女を直視できない。

 いつか、他の男性に攫われていってしまうと、危惧していた。

 今シーズンに的中してほしくなかった。

 胸に灯った怒りと焦り。二つの感情をないまぜにしながら、椅子から立ち上がった、そのとき。


 コンコン……ココン、ココン!!


 休憩室の扉が小さくも、性急に叩かれた。

 ライアンが問うと、ティアンだった。

 扉を開けたティアンは、夜会に到着したときの可愛さそのままに、髪がほつれていた。

 綺麗に結い上げられた髪型がどうしてそうなる。ダンスを踊るだけでは、髪型は崩れたりしない。

「兄様、助けてください!」

 周囲を気にして押さえた声量で、ティアンはライアンに助けを求めた。

 彼女には、ソファに座る兄しか見えていない。

 ライアンの反対に立ったハロルドに、気づいてもいない。

 ハロルドもいると知らせたくて、彼女の腕を掴んだ。

 驚きと、触れる手に感じる小さな怯え。

 それだけで、ティアンの身にどうにもならない事が起きていると、ハロルドに知らせてくれていた。

 そのどうにもならない原因は、すぐに知れた。

 くだんの噂の当人レオンが、通路でティアンを呼び、休憩室に現れた。

 今シーズン、囁かれているティアンとの噂が嘯かれたことではないことまでも、わかってしまう。

 この男にとられてしまうなんて、心底イヤだ。



 ティアンが自ら招いてしまったことから助けるために、彼女の婚約者を演じた。ライアンがハロルドとティアンの仲を婚約中の男女のようにレオンへ伝えてくれたおかげだった。意気地ないハロルドにはちょうどいい。

 婚約していると思わせるために、過度な触れ合いも、行き過ぎた行動も、すべては婚約中の一言ですませられる。

 仲睦まじさを、レオンの前で見せつけた。

 彼は憤慨して、休憩室を出て行ってくれたのだが。

 レオンは狙った令嬢を、婚約者がいるからという理由で諦める男じゃない。すでに噂は立っている。噂を広めたのは彼の友人だろう。レオンの友人は、あまり性格的にいい連中と言い難い。ハロルドは彼と彼の友人たちと同じ学院に通っていたので、十分すぎるほどに知っていた。

 婚約を偽物でも仮でもなく、早急に婚約をしなければならない。

 大切な女性を、レオンから守るために、ハロルドがしなければならないことは理解していた。

 ハロルドは翌日、フレデリー家を訪れた。婚約の許可をレオンよりも、他の男性よりも早くもらわなければならない。


 学院時代からライアンを尋ねて屋敷へ出入りしていたハロルドは、フレデリー家夫妻に大変好印象だった。夫妻は子供たちを、大切に思っている。

 ハロルドがティアンを好いていることは二人には随分も前から知られていたらしい。

 ライアンを尋ねているのに、ライアンよりも明け透けにティアンをかまってばかりいたので、知られていてもおかしくなかった。

 学院を卒業して、ティアンと婚約を前提とした付き合いをしていきたい。

 そう願ったのだが、ハロルドが卒業してもティアンは同じ学院に在学中で、ライアンは王城勤務となり、屋敷から出て行っしまい、フレデリー家を尋ねる理由がなくなってしまった。

 ライアンに、早く両親へ婚約の快諾をもらえと、何度も言われていても、どうしても屋敷へ行かなかった。

 婚約の話をしようにも、ティアンに断られでもしたら、立ち直れる気がまったくしなかった。

 ティアンの気持ちが誰に向いているのか、誰に恋をしているかわからなかったのだ。

 恋愛結婚はできないとわかっている。気になる女性がいるなら、早く両親に話をしにいかなければならないことも。

 ただ、ティアンがハロルドからの婚約を待っていてくれているのかもわからない。歓迎されていないとなったら……考えたくもない。

 こんなにも悩んでいても、結局、思い描く未来にはティアン以外の人が誰もいなかった。

 彼女が学院を卒業し、社交界に姿を表すようになっても、できない。夜会で、ティアンに男がよらないように牽制をかけるのが精々で。ハロルドにもライアンにも令嬢は群がってくるので、それらもうまくかわしていかなければならない。

 夜会の翌日は気疲れでぐったりとして、泥のように眠ることを何度繰り返したか。


 彼女が心から惹かれている相手が、夜会に何度も出ることで現れて婚約の話を先にしてきていたら、ハロルドはもうどうしようもない。フレデリー伯爵が、受けてしまったら、ハロルドはもう申し込めない。婚約が解消されるのを待つしかなくなる。

 夜会でティアンをつぶさに目で追っていると、ティアンに好いた相手はまだいなさそうだった。

 そんなことを悩んでいて、この夜会でようやく回ってきた好機。

 逃しては本当に弱腰のどうしようもない男だとライアンに罵られるだろう。



 ティアンの両親はハロルドからの婚約の申し込みを大変歓迎してくれた。

 むしろ、ようやく来たかと言いたげな顔をされてしまった。いつか来ると知られているのも妙に気恥ずかしい。

 それでも、長年、屋敷に出入りしていただけのことはあった。

 婚約は一時的なものと言われてしまい、ティアンに何も伝わっていなかったとこを実感させられた。

 ティアンに婚約したことを機に少し大胆に迫ってみた。頬を赤く染めて、恥ずかしそうに目を逸らしても拒否はされなかった。けれど、ティアンの気持ちはさっぱりわからない。


 ハロルドはこの婚約を解消させないために、ティアンに好かれる努力を精一杯すると決意した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る