かつて聞いた足音。


ボクはこれまで

非常に多くのトラブルに見舞われてきた

自分から飛び込んだこともあれば

ある日突然襲いかかってきた事もあった。


だから荒事には慣れている

その時、特有の匂いというやつを

ボクは嗅ぎ分けるのが得意だった。


「——うん?」


理由を突き詰めていくとするならば

`なんとなくだった`と言う他は無い。


道端でおかしな物を見掛けて

つい足を止めてしまうかの様な

なんでもない事のはずだった。


だが


疑念は即座に確信へと変わり

最悪の予感が脳裏に浮かんだ。


途端


散乱する書類の数々

紙束がパラパラと宙に舞う


引き倒され砕ける木製の棚

扉に埋め込まれたガラスが割れる


踏み込みで床が抉れる

駆け出した事で通路に風が吹く

壁をぶち抜いて破片が飛び散る


高速で視界が流れる

急激な加速に耐えきれずに

踏破した場所が崩れていく


動き始めてから数秒

時計の針がひとつ進むごとに

額に汗が滲み、流れ落ちてくる。


身震いがしてきた

表情が強張り始める。


事態の深刻さを物語るかのように

この身体が徐々に出力を上げていく。


そして扉のひとつを

灰燼と化して部屋に突入した。


「——え?」


部屋の中で作業を続けている研究員達

彼らは皆、驚愕の表情をボクに向ける。


——目視!


手に取るべきなのはふたつ


ひとつは……!


「キミとキミだ、来いッ!」


「へっ……?」


「う、うわぁ!?」


確保すべきはフレデリックとジーン

あともうひとつ、大事なモノは……


長方形型のテーブルの上

そこに置かれている小さなアンプル

中に入っている色の付いてない液体


……掴んだ!


鼻先に香り始めたツンとした匂い

前に同じものを嗅いだ事がある


やはりボクの予感は

此度においても正しかった


「てめぇ、何のつもりだ」


「悪いねキミたち」


「……あ?」


貰うよ」


「なんだその焦りがお——?」


次の瞬間ボクたちは


お互いに同じものを見て

そして同じ感覚を味わった。


最初に熱、そして

皮膚の内側から爆裂するような

尋常ならざる灼熱を。


極限まで引き伸ばされた動体視力が

床も天井も壁も、ドロドロに溶けて

流れ出していく様を捉えた。


それと同時に


ボクはなりふり構わずに

全力で血の力を発動させた


隔たり


持てる全ての力を使って

周囲に血の防壁を構築する


のスペースを確保した

外側と内側とを断絶する血の隔離防壁。


耐久性に全てを捧げろ

今後の存続など考えるな


今はただ

守ることだけに力を注げ


死に物狂いで張り巡らせた

外圧を跳ね返す吸血種の生命力

なんかに負けるな——!


あらゆる圧力が防壁に襲いかかって

今まで味わった事の無い衝撃に見舞われる


外部と隔離しているにも関わらず

肉体がノーダメージとは行かないッ!


「あああああああああああ——ッ!」


「い、痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い——ッ!

あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!」


背後で叫び声があがった

それはジーンとフレデリックのモノだ

常軌を逸した苦痛に襲われているんだ


肌が焼け爛れて炭化している

全身の至る所から血が吹き出し

苦しみ悶え、のたうち回っている。


……でも生きている。


防壁の中でコレだったなら

外は酷い地獄になっているはずだ

即死を防ぎさえすれば、治せる!


一瞬で蒸発する様な事態になれば

死者の蘇生どころでは無くなるが


瀕死でも何でもいい

とにかく生きてさえいれば


ボクなら助けられる

死の淵から掬い上げられる


なぜならボクは

吸血種なのだから——!


筋肉が張り裂ける

指先が粉々に砕ける


再生に力を回す余裕が無い

その、ほんの少しの綻びが

致命的な結果を産むと直感している。


守れ守れ守れ守れ!


……守れ!


自分のためではなく

ボク以外の者を守る為に力を使え


自分の望みを叶える為に

本当に死者の蘇生なんて事が

実現可能なのかを確かめる為に


極めて利己的な行動原理

それは吸血種の本質とも呼ぶべきもの

欲望に忠実に生きろ、力を振るえ


腕が溶けて無くなった

知ったことか、どうでもいい


そうだ、ボクの事などいいんだ

今最も重要なのは、後ろの彼らだ


このままだと

人間達が耐えられない


「——規定線紅!」


自身の体を守っていた装備を

全て人間達の守備にと当てた。


「もう、立ってるのが難しいね」


左足は消し飛んだ

右足は膝から下がない


守りを失ったボクの身体は

その途端、急激に崩れ始めた。


「これボク……大丈夫かなぁ……ッ!」


損傷があまりにも激しすぎて

だんだん心配になってきた。


肩口から腰にかけて

丸ごと吹き飛んでしまった

体の内側が焼き尽くされていく。


このままじゃあ

丸ごと消し炭にされてしまう


でも再生に回す力が残ってない

今の状態のまま耐えるしかない


「長いよ、いつまで続くのコレ……!」


こうなってから既に

もう8秒以上が経過している


ボクの予想では爆撃だが

それにしたって長すぎる


ひょっとして終わりが無いんじゃないか

そんな嫌な考えすら湧き出てくる始末だ。


9秒


以前、変わりなく


10秒!


もうボクの体は

7割以上が消失している


顔が半分も消し飛ばされ

胴体はとっくに胸から上のみ

そこから下は既に崩れ去った


1本残った右腕も

肘から先が灰になっている。


眼球は蒸発し、呼吸もできず

音も聞こえなければ、感覚も無い。


ていうかぶっちゃけ

もうなんにも分からない


11秒、もうムリだ!


これ以上続けられると

血の力を操作する為に必要な

ボクの意識すら刈り取られる


それでボクが死ぬことは

恐らくないだろうけれど


背後で守っている人間たちは

間違いなく死んでしまうだろう

そうなればボクの負けだ


唯一残された研究成果は塵と化し

それを生み出せる人間も居なくなり


ここに来た目的が失われ

ボクの足掛かりは何も無くなる


どれぐらいの範囲が

破壊に晒されているかは不明だが

外には恐らく、もう何もないだろう。


12秒——ッ!


頼む、終わってくれ


終わってくれ終わってくれ

終わってくれ終わってくれ終わってくれ


これ以上は心臓がヤバいッ!


そうなればもう

血の防壁を維持できない


それどころか

最低限残しておいた

自己防衛の為の機能が失われる


意識が保てなくなる

ここまで来て失うのは


——嫌だ!


13……13……じゅう……さん……?


来ない、それまでボクを

蝕み続けていた強烈なダメージ


間違いない

それが止まった



無理やり止めていた再生能力を復活

失われた自分の体を治していく


視界が戻ってきた

耳も、皮膚感覚も、触覚も

何もかもが元通りになった。


「——人間!」


守っていた人間たちは

おぞましい事になっているが

それでも辛うじて生きていた。


心臓の鼓動は弱々しく

脈動もほとんど止まりかけで

人かどうかすらも分からない状態だが


まだ生きている

だったらボクが治せる


乱暴なやり方になるから

上手くいくかは賭けだけどね



✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱


フレデリックとジーンを

眷属として成立させるのに成功した後

ボクらは外の惨状を目の当たりにした。


何もない


何も無かったんだ

城も家も、道路も人も


数分前までそこにあったはずの物が

まるっきり消え去っていたのだ。


見渡す限りが瓦礫の山で

命の残り香など微塵も感じない

コレがものの10数秒で起きたなどと


現場に居合わせた者でなければ

到底、信じられはしないだろう。


「そんな……私の家族が……

こんなの、バカげてる……!」


ジーンがポツリとこぼしたが

それにはボクも全くの同意見だった。


とは」


山奥の施設1個潰すのとは訳が違う

敵も余裕が無くなってきたと見えるね。


「イヤよ、信じたくないわ

私、なんにも分かりたくない——」


膝を着き、ボソボソと喋りながら

絶望の涙を流すジーンとは対照的に


フレデリックが


彼女から離れたところで

石の欠片で自らの体を切りつけて

傷が瞬く間に塞がっていくのを

呆然と眺めていた。


「僕……もう人間じゃ、ない……?」


それは


ボクに対しての問い掛けでは無かったが

正気を取り戻す助けになれば良いなと思い

答えてやることにした。


「キミ達はボクの眷属になったんだよ

自意識に手を加えるのは止めておいた


と言っても、自分でその事を

認識することが出来ない以上は

なんの証拠もない主張だけどね」


「……なんで私たち助けたの?」


意外にも、ボクの言葉に反応を示したのは

打ちひしがれていたはずのジーンだった

その顔は絶望と悲しみに歪んでいる。


「理由はいくつかあるけどね

大前提としてボクは研究の完成が見たい

だから、このアンプルとキミ達を救った」


「優秀な研究者なら他にも居た

なのに、なんで私だったの?


私以外にも、もっと凄くて

頼りになる人が、沢山……っ!」


「それはもちろん好みだったからだよ」


「好み——?」


何を言われているか分からない

という顔をしている。


「あとキミらふたりは

ボクに対して割と友好的だった

助け出したあとの交流も考えての事さ」


「本気なの……?」


「もうすぐ証拠隠滅部隊……

と、言うよりも偽装部隊だな


危ない連中がやって来るんだ

指示を聞いてくれる人間じゃないとね」


「危ない連中って何ですか」


フレデリックが会話に参戦してきた

どうやら彼は既に立ち直っているらしい

ジーンに比べて目が生きている。


「もちろん、このクソみたいな……失礼

今の、ゴミみたいな状況を引き起こした

研究が進むと不味い奴らが放った手先さ」


「……ふぅー、待って、落ち着かせて

叫んで滅茶苦茶になりたいのを

今、必死に我慢してるんだから」


「ああ、それなら問題ないよ

ここで落ち着いてくれて構わない


キミらに出す指示ってのは

まさにそれなんだから」


そうとだけ言うとボクは

地面を踏みしめ歩き出した


歩調に感情が滲み出てしまっている

地に足を着ける度、床が砕けて陥没する


「じ、ジェイミーさん

いったい何処へ……?」


振り返って答えた。


「——やられっぱなしは嫌だろう?」


✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱


聞き覚えのある足音が耳に届いた

いつか必ず役に立つからと

あの時あの山で記憶した気配


そいつらが複数で

ボクらの居る方向に向かってくる

前回と全く同じ展開だが

違う点がひとつだけある。


「今度は見逃してあげないよ——!」


地面に


拳を突き刺した

硬い岩盤を貫いて深くめり込む

そして自分の血を床に染み込ませていく。


もはや血の力の行使に

気を使う必要はなくなった


何故ならもう国がないからだ

吸血種を感知する機構ごと吹き飛んだ

だからボクは自由に力を使う事が出来る。


地中に浸透させたボクの血は

まるで大海原を突き進むサメのように

ひたすら前に向かって進んでいく。


そしてそれが


こちらに向かってくる

複数の気配と重なった瞬間


ボクは


さっきの爆撃をも耐え切った

血の隔離防壁を発動させた。


取り囲むことで

1人も逃がさないように


人間の力では絶対に突破できない

脱出不可能の檻を形成させた。


——足音が止まった、今だ!


ドンッ


という衝撃波を巻き起こしながら

最大出力のスタートダッシュを切った。


防壁の内側からだと

外の様子は確認出来ないから

敵はボクの接近に気付けない。


警戒はしているだろう

それに対する備えもあるだろう

だが彼らは必ず、一瞬出遅れる。


敵数9名


いずれも手練で

連携を取られたら厄介だ


それに加え敵は


未知の攻撃手段を持っている可能性が高く

なるべく速攻でカタを付ける必要がある!


月明かりに反射したボクの紅い目が

空中に軌跡を、残光として引かせている

それは非常に長い滞空時間を経て


ある時、消えた


防壁の内側は月明かりすら届かない

ボクの体がそこに吸い込まれた直後から

視界には無数の闇がべっとりと張り付く。


しかし


吸血種の目は暗闇を見通す

光源のない最中にありながらも

人では捉える事が出来ない微細な光を

見ることが可能なのだ。


超高速で飛来したボクは

血の防壁をすり抜けて内部に侵入し


目視した敵影9つのうち

最も危険な存在を探し出し


いくつものフェイントを織り交ぜ

何度も方向転換を繰り返して


狙いを絞らせず

気配を悟らせないように工夫して


異常事態に備え

武器を構えていた工作員の男を

切り裂いた


そのまま着地——ッ!


途端、砕けて割れる地面!


破片が飛び散って煙が立つ

爆音が響き渡ってこだまする!


舞い散る血潮と

ボクの姿を認識する工作員


降り注ぐ雨のような赤い血

地面に生じたヒビが広がっていく

足場が崩れてガタガタになる。


——シャキッ


抜刀の音が聞こえた

四方八方から鳴っている

やはり状況対応が早いね


ボクは爪に着いた血をほろいながら

狭く区切られた防壁の中を

グルっと円を書くように走った!


規則的に見えて不規則

足音がする時もあれば

聞こえてこない時もある。


わざとリズムを刻み

不意にそれをズラす


敵は動けない

いつ仕掛けてくるのか

それが分からないからだ。


でもそれも

きっといつまでも続かない

すぐに対応し打開してくるはずだ。


ならば、そうなる前に

自分から仕掛けるだけだ!


方向転換ッ!


ダァン!と踏み込み

急激に進行方向が変わった。


直線上に敵がふたり並んだ

しかし彼らはボクを目で捉えていた

コンマ数秒の猶予もない中で

視線と視線が交わった。


`殺してやる`という

強烈な念を込めて踏み込む

いざ肉薄するかと思われたその時——!


「……ッ!?」


胸を貫く赤い線!

彼らは背後から貫かれた!


気が逸れた


予想外の事態に加えて致命傷

そのまま畳み掛けるように繰り出された

ボクの爪に、彼らは為す術が無かった。


空飛ぶ首

失われるふたつの命

切り抜けたボクの姿!


敵は、強い

既に3人の犠牲を出しながら

連携も指揮も乱れる気配がない


彼らのうちひとりが

ボクの目の前まで来ていた

全身から封印の光を放っている


これでは彼に触れられない

やつを殺そうと爪を振るった瞬間

ボクの敗北が決定してしまう


やはり進化していたか——!


攻撃を転じて守りに昇華させる

人間の発想力と技術力のなせる技だ


ボクはそれを見止めると

その場で足を天高く振り上げ


斜めから

思いっきり角度を付けて

地面へ叩きつけた……!


ブロックの城を崩すように

いくつにも分断されて崩れていく地面

それは敵から足場の安定を奪い去った。


直進していた足が止まる

転ばないようにバランスを取るので

精一杯となってしまう。


ボクは



己の足を振りかぶり、遠心力を付けて

砕けた地面の欠片のひとつを蹴り込み


「——あげるよッ!」


弾丸のように射出した!


人間の胴体ほどの大きさを誇り

尋常ではないエネルギーを纏い

迫ってくる巨大な塊を


バランスを崩していた敵は

避けることが出来なかった


気が付いた時にはもう遅い

眼前に迫った死の投擲は


男の頭部をぐしゃぐしゃに破壊して尚

勢いが収まらず、背後の防壁に激突して

粉々に砕け、破片を撒き散らした。


これで4人目

しかし余裕は無い!


軸足を元に半回転

真後ろを振り返って


暗闇に光る銀の閃光を

内側に入り込んで躱す


その正体は短剣

アレには再生を封じる力がある

食らう訳には行かないね!


——貫手四閃


瞬きの間に四発、差し込まれる

超高速の貫手は不可避である


人間の動体視力では恐らく

一撃たりとも認識出来ない


吸血種が誇る最高の瞬発力

たとえ同族であっても無傷では済まない

それが人間相手に使われたとなれば

結果はもはや、言うまでも無い……


……はずだった!


貫手を放った右腕の

手首から先が切り落とされていたのだ!


合わせられた!?


この暗闇の中で

あのスピードの物を!?


動揺が緊張を産み

綻びを生じさせる前にボクは

理性的かつ論理的な思考の回路を切断した

生き物らしい判断を下す事を止めたのだ。


貫手は防がれた

手応えを感じなかった

何をしたのか見えなかった。


だが、だと言うのならば!


ボクは、貫手を放ったまま

前に突き出された腕を戻さず


足運びで、更にもう1歩

敵の領域に踏み込んだ!


「——!」


あからさまに動揺する敵

飛び込んでくるとは思わなかったのだろう


必殺の一撃を潰されたのみならず

反撃を食らわされたのだから


隙が生まれる

あるいは反応を見せるのが

道理というものだ、しかし


ボクは


この程度の窮地は

数百年前に何度も味わっているんだ

今更驚く事など、何ひとつ無い……!


——起動、規定線紅


体に這わせていた血の装備が

形を変えてボクの突き出した腕に集め


そのまま槍のように

あるいは弓矢の様に

敵の顔面にぶち込んでやった


突き抜けていく血の槍は

空中にて再び形を変えていき

縦横無尽に飛び回り始めた。


それにより敵は

ボクの他にアレにも

気を配らなくてはならない


もっとも——!


肉弾戦しかするつもりは

ないんだけどね……ッ!


拳を握り込む


空中を駆け回る赤い血に

気を取られてしまった哀れな男に

一瞬にして距離を詰め切り


「あぁマズ——」


上半身を吹き飛ばして殺した

バラバラと肉片が落ちてくる。


コレで残りはあと3人だ

次の一撃に備えて——


「……」


最後に残った3人は

繰り広げられていた戦闘に

一切関与していなかった。


戦意喪失?

ボクに降伏?


いいやそれは違う、奴らは

ボクの動きを観察していたのだ


闇雲に斬り掛かるのではなく

自分たちにヘイトが向くことを防ぎ

己を研磨するために。


「——」


首を傾けて骨を鳴らす

失った腕はまだ治らない

強力な再生阻害が働いている。


ボクは片腕を背後に回して

血の装備で義手のようなものを作り

握ったり開いたりして調子を確かめる。


ゆっくりと近付いて行く

彼らもまたボクの方へ歩いてくる


その目には闘志が揺れている

復讐の炎が灯っているのを見逃さない


彼らは、仲間を犠牲にしてでも

ボクを打ち倒すことを選んだのだ。


血の防壁は既に解除した

もう必要のない物だからだ

それよりも優先すべき事がある。


1歩、また1歩と

ボクらの距離が縮んで行く。


お互いに仕掛ける事はしない

ただ黙って、近付いていくのみだ

歩みは一向に止まる気配がなく


ついには


手を伸ばせば届く距離まで

ボクらは接近していた。


敵の姿がとてもよく見える

筋肉の収縮から心臓の鼓動まで

動き出しならボクが先手を取れる。


敵もそれは理解している

だから自分から手を出せないのだ。


かといって


ボクが先に動くのを待つのも

初速の差に絶望的な差があるので

後の先を取ることは出来ない。


秘策を隠しているにしても

ボクがそれを見逃すはずがない。


彼らは手詰まり

お互いに膠着状態だ


ボクは既にさっき


背中に回した片腕

すなわち血で作った義手から

まるで水滴を垂らすように血を分離させ


背中から腰を伝わせ

太ももからふくらはぎ

踵から足の裏に垂らせて


地面の中に

規定線紅を忍ばせていた。


ゆっくり、ゆっくりと


絶対に悟られないように

隠密の限りを尽くさせて地面の中を進み


そしてそれは今

彼らの足元へと到達し——


「——ッ!?」


足の裏から肩に掛けて

下から真っ直ぐに突き上げて


地面と足を



「——な、何ッ!!?」


体の中を通り両肩まで貫通し

足と地面とを1本の柱のように固定

敵はその場から一切動けなくなった!


隙を突いて


ボクは彼ら三人の間を通り抜け

風を纏いながら遥か後方に着地した。


彼らは振り向こうとするけれど


身動きひとつ取れないほどに

強力に固定された足を動かせなくて

ガラ空きの背中を守ることが出来ず


ボクの


切り裂く爪の一撃を

無防備なその身に受けて

人の形を失い、絶命した。


ただひとり


意図的な打ち漏らしを残して。


「こうなれば——」


「おっと危ない」


ボクは大口を開けて

噛む動作を見せた彼の顎を砕いた。


「服毒自殺なんてさせないよ

キミには利用価値があるからね


寿命が尽きるにはまだ早い

まあ、と言っても…………


——ほんの数十秒だけだけどね」


✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱


「やあフレデリック、ジーン

そろそろ本格的に落ち着いたかな?」


ボクがふたりの所に戻った時

彼らは互いに身を寄せ合っていた


よく見ると

手を繋いでるみたいだった


「心細くて、それ所じゃ無かったわよ」


「僕は……まだちょっとダメかも……


……ていうか、その、血が物凄いけど

それって人間の返り血……だよね……?」


「たっぷりやり返してあげたとも

キミ達の分までじっくり、たっぷりとね」


「血なまぐさい奴ね本当に」


「ああ良かった、ジーン

調子が戻ってきたようだね」


「死のうとしたのよ、もう嫌だって

でも全然死ねないんだもん、なんかもう

じゃあいっそ生きてやるって思ったのよ」


「パワフルな倫理観をしているね

さすが研究者、大分狂っている」


「じ、ジーンは結構

そういう所あるからさ……」


「フレデリックなんか!コイツ!

泣きながら地面に頭打ち付け初めて!


それがもうおかしくって

全部吹き飛んじゃったのよ」


「うんうん、乗り越えてくれて良かった

じゃあもうキミ達は、冷静って事だね?」


「……どうかしらね」


「色々分かったんだけど

とりあえず着いてきてもらうよ」


「何処に連れてく気?」


「それはもちろん

ここよりも良い所さ」


肩を竦ませて

卑屈そうな表情を浮かべ

疑わしそにジーンが言った。


「——どうだか」

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