戸坂氏の卵

そうざ

Mr. Tosaka's Egg

 一日数本しかない巡回バスを降りると、長閑で殺風景な景色の中に一際ひときわ目立つ茅葺き屋根が目に飛び込んで来た。

 ここへは何度も訪れているが、その度に孫田まごたは大きな溜め息をく。これから向かう契約農家はとても気難しい人物なので気が重いのだ。殊に今回はクレームを付けに来たのだから尚更である。


「こんにちはぁ、〔卵王亭〕の孫田です」

 土間から呼び掛けると、家屋の奥から大柄な男がのっしのっしと現れた。主の戸坂である。

 戸坂は品定めするような目で孫田を見るなりしゃがれ声を上げた。

「あんたは、いつだったかうちの卵を台なしにしてくれた店の人やな?」

 事前に電話連絡をしているにも拘わらず、何の用だ、という態度である。

「……その節はどうも」

 半年前、孫田は戸坂から届いた卵入りのケースを不注意にも厨房の床にぶちまけてしまった。ほとんどが割れてしまい、それを知った戸坂から烈火の如く一喝されたのだった。

「あれは考えられへん事件やったわ。幾ら代金を貰うた後や言うてもな、自分とこの可愛い卵が乱暴な扱い受けたら気ぃ悪いで」

「以降、取り扱いには細心の注意を払っております」

「まぁ、人生に失敗は付き物やからな。いつまでもぐじゅぐじゅ言うててもしゃーない」

 蒸し返しているのはあんただろ――そんな気持ちをぐっと堪え、孫田は畳敷きの客間で主と向かい合うと鞄から紙包みを取り出し、反撃の準備を整えた。

「事前に説明させて頂きましたように、これが実際の卵なんですが……」

 孫田が紙包みを開け始めると、戸坂は途端に落ち着かなくなった。頻りに下瞼をぱちくりとさせ、舌をひょろりと出した。


〔卵王亭〕は元ケーキ職人の孫田が始めた玉子料理専門店で、自ら考案した創作料理が評判となり、中々の盛況振りだった。

 が、つい先日、事件が起きた。

 品書きの中に〔秘め玉子〕という一品がある。卵の中に注射器で種々の調味料を注入してから茹で、客は自ら割ってみるまでどんな味付けが施されているのかが判らないという趣向だった。

 或る時、客の割った〔秘め玉子〕の中から胎児の遺体が出現した。客は仰天し、店内はパニックになった。無精卵の中に有精卵が、それも孵化寸前のものが紛れ込んでいたのだ。

 結局、事故の原因の究明も含め、店は無期限の臨時休業を余儀なくされた。


 戸坂は腕組みをしたまま孫田に問う。

「あんたんとこはうち以外からも卵を仕入れとるって聞いたんやけどな」

 孫田は三軒の卵農家と契約し、それぞれから毎月決まった個数を仕入れている。

「ですが、ごっちゃになる事はないです。それぞれの農家さんには別々に納品して貰っていますし、それに――」

 言いながら孫田は紙包みの中から殻の欠片を摘み上げた。

「この淡い鈍色にびいろと言い、木目の細かい肌触りと言い、程好い厚みと言い、問題があった卵は間違いなく戸坂さんから頂いたものです」

 戸坂は黒曜石の如く黒光りする前肢の爪で乱暴に卵の欠片を奪い取ると、まじまじと観察し始めた。同時にくちばしを擦り合わせ、ぎりぎりと音を立てた。明らかに決定的な証拠を突き付けられて動揺している。

 ところが、戸坂は殻を口に放り込むとじゃりじゃりと噛み砕き、呑み込んでしまった。そして、開いた口が塞がらない孫田に半笑いで喝破した。

「味が全く違うで。うちの卵じゃないわ」

 光の加減か、戸坂の全身を覆った鱗が波打つように輝いた。

 流石に孫田も殻を味見した事はなかった。食べた事がない以上、その味に関してどうこう言われても反論が出来ない。

 一転、自分が優位に立ったと見るや、戸坂は垂れ下がった喉の皮膚をぶるぶると震わせ、満悦の心持ちを表現した。

 それでも引き下がる訳には行かない。孫田は鞄から瓶を取り出し、戸坂の眼前に掲げた。たちまち戸坂の鱗がざわざわと騒ぎ出す。

 孫田は自信に満ちた声音こわねで言った。

「これが実際に卵の中から出て来た胎児です。よくご覧下さい」

 調理の過程で加熱されてはいるが、しっかりと原形を留めている。幼生期に顕著な大きな瞳、黄色い嘴、四肢には既に可愛らしい爪が揃い、全身はまだやわな産毛で覆われているものの、首回りの部分に生えた煌びやかな飾り羽根が親の血筋を如実に物語っていた。

「この飾り羽は確か威嚇用ですよね? 戸坂さんのものとよく似ているようですが」

 その詰問に、戸坂の飾り羽根が微かに震えた。

「似てへんがなっ。そんな調理済みの胎児じゃはっきりとした事は言えんやろっ」

 そう言って戸坂は外方そっぽを向いてしまったが、孫田は詰め寄り続ける。

「よく見て下さいっ。ほら、顔付きだって戸坂さんに似てるでしょう?」

「似てへんっちゅーたら似てへんっ。しつこいねんっ」

 戸坂が生臭い体臭を放ち始めたので、孫田は思わず顔を歪めた。体臭の発散は戸坂が精神的に追い詰められている確かな証しだった。

 もう一押しだ――孫田がそう思った時、戸坂の飾り羽根が全開した。

「うちの嫁は身体張っとんねんっ。月に三十個近くも卵を卸してる農家は他にあらへんっ。毎日夜業よなべでやっとんのやっ。ぶっちゃけ嫁はもう若うないっ。連れ添って四十年やっ。そやけど皆がうちの嫁の卵はめっちゃ美味い言うてくれるやさかい、期待に応えようと老体に鞭打ってんねんぞぉっ!」

 語尾はほとんど涙混じりだった。

 本人の言う通り、戸坂家の卵は絶品だった。濃厚で円やかな黄身は、味は勿論、鮮やかな色味や滑らかな舌触りも他の卵農家から頭一つ飛び抜けた品質だった。

 文句あんのやったら、もうあんたんとこには卸さへん――孫田の頭にそんな台詞が過ぎった。もし戸坂にそう切り替えされたら元も子もない。

 その時、戸坂が背にした襖の向こうから女の咳払いが聞こえた。戸坂の女房に違いなかった。

「あのぅ、出来れば奥さんのご意見も……」

「嫁はなぁ、あんたに卵を台なしにされた一件以来、塞ぎ込んでんねんっ」

 それを言われると、何も言い返せない孫田だった。


 孫田がバス停へ向かうのを見届けた戸坂は、そそくさと奥の間へ向かった。

 薄暗い六畳間の天井から垂れ下がった二本の荒縄に流木をそのまま使った止まり木が吊り下がっている。女房はそこに置き物の如く留まっていた。

「孫田さん、帰りはったん……?」

「万事丸く収まったから、もう心配せんでえぇ」

 ともすると身体の均衡を崩して落ちそうになる女房に、戸坂は優しく前肢を添えた。

「卵の質が落ちたっちゅー話はされんかったん?」

「ああ、それは最後までなかったわ。料理人ちゅーてもな、そこまで微妙な味の違いは判らんのや。取り敢えず契約は継続って事で纏まったわ」

 女房はほっとしたものの、途端に激しく咳き込んだ。透かさず戸坂が水瓶を差し出す。

 女房はもう何日も微熱が続き、臥せっていた。しかし、無添加、無農薬を売りにしている以上、薬の服用は厳禁だった。そんな状態でも産卵を止める訳には行かない。戸坂家の家計は、女房の細腕に掛かっていた。

「襖越しに聞こえたんやけど、有精卵が混じっとったって、ほんまなん?」

 女房の問い掛けに、戸坂の目が泳いだ。もし汗腺があったら汗が噴き出しているところだったが、彼等はその器官を有していない。

「ほんまや……でも、悪いのは儂やっ。出荷の予定があったのに欲情してもうて、我慢出来んかった儂の責任やっ……」

 所々鱗の剥げた女房は、孫田が置いて行った瓶を愛おしく抱き締めた。

「間違いなくうち等の子や……ねんごろに供養してやらんとな……」

 深い沈黙の時間が訪れた――かと思ったのも束の間、玄関先からの賑やかなさえずりが夫婦のこうべを上げさせた。

「今日も学校は楽しかったか〜っ!?」

 嫌な事は直ぐに忘れてしまうのが夫婦の気質である。

 

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