第四話
昨日と同じように彼女の分の切符代を出して自宅に辿り着くころには、もうすっかり疲弊していた。
蓮月さんも彼女も、型破りなことをしてきたわけじゃない。だが、二人揃って僕の両隣に並ぶ。つまり、ハーレム状態とも言えるサンドウィッチはそれだけで何かが削られていく気がした。
部屋の中に彼女がいるのは、昨日と同じだ。だから慣れているかと言われるとそれは違うが、蓮月さんの異質性に比べればずっと自然な気持ちになる。もちろん、それでも違和感があったが、蓮月さんのほうがよっぽど違和感がある。
それは、普段バイトで一緒に時間を過ごしていて、蓮月さんのことを知っているからだろう。よく知っている女性が自分の部屋にいるのは、どうにも落ち着かない。そして、落ち着かないのは蓮月さんも同じのようで、僕の部屋をきょろきょろと見つめている。それが更に僕の心を気ぜわしくした。
昨日、彼女に見せた海関連のものが、一カ所にまとまっている。それが目に留まったのだろう。蓮月さんは僕らしさを見つけたように、肩の力を抜いたようだった。そんな様子に僕まで気が抜ける。
僕と蓮月さんのそんな小さな攻防と言うか、探り合いと言うか。そんなことをまったく気にもとめない彼女が、昨日の残り香へと近付く。そっと写真集を手にすると、僕の隣に戻ってきて、テーブルの上に広げた。
それはあまりにも見慣れた行動で、苦笑が浮かぶ。悪い気はしないけれど、蓮月さんには面白くなかったらしい。
「本当に昨日、出会ったばかりなんだよね?」
「もちろん」
「そのわりには部屋に慣れ過ぎじゃないかな?」
「昨日の今日だからですよ、きっと」
「ふ~ん?」
「写真集だって昨日取り出したから、場所が分かってるだけです。疚しいことはありませんよ」
率先して、関係性を示唆するような発言をしようとは思っていなかった。
事実、彼女と僕の間には何もなかったのだから、わざわざ否定するのもそれはそれで怪しいだろう。そう思っていたのに、否定を口にせずにはいられなかったのは、蓮月さんの視線が鋭かったからだ。据わりが悪くて、無意味に言葉を塗り重ねてしまう。
「なるほどね~まぁ、確かにこの子が変わってるんだろうけどさぁ。碧くんは思ったよりガードが緩かったんだね」
「勘弁してくださいよ。彼女がマイペースで僕の調子を崩すだけです」
「こんなことなら、もっと先にガードを取り壊して入り込んじゃえばよかった」
「なんですか、それ……」
「碧くんの家で遊ぶのは私がよかったなぁって話」
「今、来てるじゃありませんか」
「だから、アンさんっていう先駆者がいるのはいまいち不服ってことだよ。碧くんは鈍感だなぁ」
そこまで言われれば、何を求められているのか。なんとなく察するものがある。蓮月さんも隠すつもりはないようだった。友人よりも、より深い一歩を踏み込むことを躊躇しない。そんな発言を開けっぴろげにされていると言うのに、僕はそれほど動揺していなかった。
蓮月さんが僕を構ってくれていたことには気がついていたのだ。もちろん、だからって自意識過剰になれていたわけじゃない。けれど、こうして鈍感とまで言われれば、到達することができた。
苦笑を浮かべた僕に、蓮月さんはしてやったりな顔をする。
「彼女以外にもここに来た子がいるなんて、爛れたこと言わないよね?」
「僕のことを何だと思ってるんですか」
「私以外がいるのかどうか探りを入れてるんだよ」
「……勘弁してくださいよ」
蓮月さんが求めてくれることは自由だ。口説こうとしてくるのも、蓮月さんの自由だろう。
だが、そういう目に遭うとしても、彼女もいる場というのは勘弁して欲しかった。それは、彼女へ対して気まずい思いを抱くというよりも、そうした繊細な話を大っぴらにしたくないという情緒だ。
……どちらにしても、言葉にすれば彼女の前ではやめて欲しいというところに帰着するが。
「ふふっ、それじゃあ、せっかくだから遊ぼうよ。アンさんとは一晩中何をしたの?」
「ゲームですよ」
「だから、そのゲームに何があるのってこと。碧くんがどんなゲームするのかまったく想像できないなぁ……水族館大好き人間ってことくらいしか知らないし」
「だから、僕のことをどんなふうに見てるんですか。僕だって、世間で流行ってるゲームくらいチェックしてますよ。有名なアクションゲームだとか」
「昨日は何したの?」
「クラフト系のゲームをやって彼女はずっと僕のプレイを見てました」
「? それ、面白かったの?」
蓮月さんの顔色が怪訝に染まって、傾く。
僕だって、はたして楽しかったのかは分からない。だが、彼女は飽きることなく見ていたから、それで良かったのだろう。好きなものをじっと見つめるのは、彼女の癖のようだった。それは今だって同じことだ。
「僕に聞いても仕方がないと思いますけど、多分よかったんだと思いますよ。分かりませんけど」
彼女はこちらに気を払わないので、すべてに予測で答えるしかない。蓮月さんもこの短い間で学んだのか。彼女が会話に入ってこないことを受け止めていて、回答が得られないことにも納得しているようだ。僕の予測で構わないらしい。
「まぁ、私には関係ないからいいんだけど、私は一緒にやりたいなぁ」
「アクションゲームなら二人でやれますよ」
「よし、早速やろう」
彼女が関わってこないことに、蓮月さんも関わらないことにしたようだ。
蓮月さんも大概マイペースに僕も誘う。僕もここに彼女をどう誘っていいのか分からないので、素直に蓮月さんの誘いに乗ることにした。
彼女の隣にいたのを蓮月さんの隣に移動する。テレビの位置関係上、隣になるしかないのは緊張した。セッティングして座れば、蓮月さんがさくっとゲームを開始していく。その手つきには慣れがあるので、蓮月さんもそれなりにやるのだろう。
思えば、蓮月さんがバイト以外の時間をどうしているのか。趣味が何なのか。僕は何も知らない。
蓮月さんが楽しそうに頬を緩めて操作しているのを横に、僕もコントローラーを握る。蓮月さんは楽しそうではあるが、得意ではないらしい。ぎゃあと悲鳴を上げながらプレイをしている。
僕は一時期ハマってよくやっていた。それに自分が持っていたゲームだ。操作には慣れている。蓮月さんが落下したり死亡したりするのを横目に、僕は無難にこなしていく。なのでゲームオーバーになることはなく、適度に騒ぎながらのプレイとなった。
蓮月さんとゲームをするなんて、想像してみたこともなかったが、存外普通だ。バイト以外で蓮月さんと関わっていることに、少しの不思議さはある。けれど、楽しい時間を過ごせていた。
昨日も楽しくなかったわけではないが、こうして一緒にプレイするのと一人でプレイするのとでは、別の楽しさがある。蓮月さんの愉快さに釣られているというのかもしれない。
そうしてゲームに夢中になっていると、不意に隣に人の気配がする。はっとして画面から視線を逸らすと、彼女が隣にやってきていた。
写真集を手放して、僕の隣にじっといる。何も言わないけれど、何かを訴えかけるような迫力があった。そんなつもりはないのかもしれないけれど、僕は異常に彼女の輪郭に囚われてしまう。
「どうしたの?」
「やりたい」
ぽつりと呟くような言い方で、下から見上げられた。そばにいるからだろうか。上目遣いがダイレクトに心臓を撃ち抜く。どくりと跳ね上がった心臓をどうにか押さえつけて取り繕った。
「蓮月さん、いいですか?」
「まぁ……」
彼女が我関せずであったから、蓮月さんも知らぬふりをしていたけれど、乱入してくれば無視することもできないらしい。どうやら彼女へライバル意識があるようであったが、それとこれは別のようだ。蓮月さんもそこまで薄情にはなりきれないようだった。
許可を得たことだし、と僕は自分のコントローラーを彼女へ渡そうとした。しかし、彼女はじっと僕の手元を見るだけで、受け取ろうとしない。意思と行動が合致しておらず、僕は困惑に濡れる。
「アン?」
「……碧とやりたい」
彼女は、昨日よりもずっと近い場所にいた。そこで囁かれた自身の名が、鼓膜から脳髄を揺らして、背筋を震わせる。
やりたい、という直截な発言もよくなかった。僕の思考回路が何よりよくないのだろうけれど、それを途端に艶めいた方向へ傾けてしまった僕の心臓が早鐘を打つ。生唾を飲んでしまった。
コントローラーを見ていた瞳が、こちらを見上げてくるものだから、余計に心臓がうるさく響く。内側がうるさい分、外側の音が遠のいて彼女を見つめておくことしかできない。
昨日だって、二人きりでいた。こんなふうに感じ入るなんて、今更だ。けれど、何故か今頃になって、僕はじくじくと何かに蝕まれていた。
「……碧?」
繰り返されて、どうにか我に返る。
ふうと息を吐き出して、僕は蓮月さんに向き直った。蓮月さんは、僕と彼女を見比べて目を細めている。何を考えているのか。やはり、疑いが拭いきれないのか。それを読むことはできなかった。だから、状況を動かすしかない。
「蓮月さん、交代でもいいですか?」
「……アンさん、ゲームできるの?」
「初めて」
ここにきて、ようやく蓮月さんの言葉に彼女が答えた。蓮月さんも答えてくれると思っていなかったのだろう。その視線が彼女を捉えた。
「大丈夫?」
「やってみたい」
「最初は碧くんに見てもらったほうがいいんじゃない? それから一緒にすればいいよ」
「……どうして?」
蓮月さんは妙なことを言っているわけではない。それだと言うのに、彼女は納得できないようだ。何やら空気がピリついていくような気がして、両側で話を交わす二人にハラハラしてしまう。
自分の直感が正しいという自信はない。それでも、気持ちが上擦るのを止められなかった。
「うまくできないと楽しくないでしょ? 最初っから一人でプレイできるか分かんないよ。教えてもらえば楽しいんじゃない?」
「……あなたが、一緒にしたい?」
何の確認をしているのか。僕は話の流れが読めずに、二人の会話を聞いていることしかできなかった。
「それじゃ、ダメなの?」
「碧を取られたくない?」
彼女は淡々としている。そこから飛び出してきた牽制するような言葉にぎょっとした。彼女にそのような発想があることにも驚きだ。そんな出し抜けの言葉に、蓮月さんは驚いた様子もなく、彼女を小さく睨みつける。空気の間に走る電撃が見えるようだった。
「仲間はずれにするなんて意地悪じゃない?」
「見てるのも、楽しいよ」
「だったら、アンさんは見てればいいんじゃないかな」
蓮月さんの口調は柔らかいが、その響きに親しみはあまりない。普段の接客を知っていると、その冷ややかさは目に見えるほどだ。
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