第四話
榎田さんにノートを返却して、いつも通りに水族館へと向かう。
今日は接客が主で、蓮月さんと一緒にお客様の相手をした。これといった事件もない、いつもと同じ日常だ。
アンを見つめる時間があるのもいつものことだった。アンも、いつものようにそばへ近付いてきてくれる。
その癒やしを純粋に受け止められないところがあるのは、蓮月さんにも夏海にもあれこれ言われたからだろう。だからといって、習慣をやめようとは思いもしなかった。横やりでアンとの関係を崩すのは不満だ。
僕はアンと仲良くしている時間が癒やしなのだから。それを除外するのに蓮月さんも夏海も理由にはならない。
……こう思っているから、二人に指摘されるのだろうけれど。そんな自覚をしながら交流の時間を切り上げて、バイトも切り上げる。
静かな夜だ。
今日は、蓮月さんと一緒ではない。僕と蓮月さんはべったり一緒にいるわけではないので、こういう日も多々ある。乗りたい電車の時間だって違うのだから、帰り時間がずれることだってあった。
今日は僕のほうが遅くて、もうすっかり日は暮れて星々が紺色を飾っている。大きな満月が闇夜を薄く照らしていた。煌々とした光は、いつもよりも明るい夜を作り出す。僕はその光を浴びながら、水族館のスタッフ通用門から敷地内へと出た。
敷地内に出てからは、お客様の移動と道筋は変わらない。そこを通り抜けようとして、一角で足を止めてしまった。
そこには一人の少女が座り込んでいる。
飾り気のない真っ白なワンピースが汚れるのも気にせずに、ぺたんと三角座り。足元は涼しげなサンダルを履いていた。座っているから縮こまっていてそう見えるのか。華奢で小さな女の子。中学生か高校生か。その狭間くらいの少女だった。
そして、満月の光に照らし出される銀灰色の輝かしい髪が揺らめいている。まるでそこだけスポットライトが当たっているかのように、目が吸い込まれた。
彼女も僕に気がついて、こちらをじっと見てくる。だが、声をかけられることはなく、小さな睨み合いが勃発した。
じきに耐えきれなくなったのは、僕のほうだ。そっと目を伏せて、歩みを再開させた。
しかし、どうにも気になって、目線が揺らいで少女の姿を視界の中に捉えようとしてしまう。それほどまでに、印象に残って離れていかない少女だった。けれど、一度逸らしてしまった視線を楽々と元に戻すことはできない。
どうしてここにいるのだろう。それもこんな時間に。どこから現れて、何のためにそんなところで待ちぼうけているのか。
そんな疑問が出てきたのは、入眠直前のことだった。
そのときの僕は、淡い光の中で揺れる銀灰色の艶や、こちらをじっと見つめてくる黒い瞳がイルカのようだと思うことしかできていなかったのだ。
強烈な存在感が余韻を残して、瞼の裏に焼きついていた。
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