第42話 儂にその命、預けるが良い


 飛び出した目ん玉を拾い上げながら、皆は目を見合わせる。

 

「もっとも、その真実は秘匿されて世の中には知られてはいませんが」

「それはまことか爺!! あっ、あのお母ちゃんに、お父ちゃんがそうもことごとく……っ! 普段はお父ちゃんの方が形無しではないか!」

「左様ですよ……お母様はお父様のその圧倒的なまでの強さに惹かれ、いつしか心まで魅せられていたのです」


 コタツの上で息を呑んだ面々が額を突き合わせていた。そしてすぐに、尾っぽをブンブン振り回してヨドミは立ち上がっていた。


「し……しかしっ! お父ちゃんは“人間”では無いか! どの様な奇策を用いれば“九尾の妖狐”であるお母ちゃんを完膚無きまでに――」


 すると大五郎は、目を丸くしたあやかしたちへと向かって、胸を張ってこう言い放ったのであった。


「種族やカーストで他人を評価すべきではありません。お嬢様が今。僅かながらにお気付きになっている様に、どんな者にも長所もあって、短所もあるのです」


 鍋を掻き混ぜるお玉を止めて、大五郎は眼鏡のレンズを曇らせながら言う。


「時にお嬢様は、ここ妖怪の国に何故お父様やヨシノリくんの様な“人間”が居るのかと考えた事は御座いませんか?」

「ん、何故じゃと?」


 彼ら一同がヨシノリくんを見つめて言葉を失っているのを見て、大五郎はアクを取りながら続けた。


「人間とは本来、魔界ではなく『人間界』に住まう存在です。それなのに何故、この妖怪の国に彼らは存在するのか……いや、弱肉強食のこの世界で、脆弱な人間が、どうしてのか、と言った方が適切でしょうか」

「確かに……言われてみればそうじゃ。どう考えてみても、人間が生きるにはあまりに酷な世界……それが魔界じゃ。それなのにヨシノリやお父ちゃんはどうやって……」


 訳がわかっていないのだろう。ヨドミが口先を尖らせて肩をすくめたヨシノリくんを横目にしていると、大五郎がヨドミの嫌いなネギを椀に盛ってテーブルに置いた。


「魔界に滞在している人間とは往々にして――“”の系譜である事が大半です」


 皆の視線が一斉にヨシノリくんへと注がれるも、当人は気にした風もなく鍋を突き始めていた。そんな少年の胸ぐらを掴み上げて、河童と豆狸は目をひん剥いた。


「ヨ、ヨヨ……っ、ヨシノリがあの、神話にでて来る陰陽師やって?!!」

「それほんまかいな大五郎はん! 陰陽師って言ったら、僕らあやかしをバンバン祓ってまうて言う、あの化物の事やろう!? 確かに僕ら昔っから陰陽師の怖い話しとか親に聞かされて来てるけど、あんなんおとぎ話違うんかいな?」

「いいえ、妖怪の怖れるその陰陽師とは、現実に存在致します」


 ひっくり返った小豆が宙を舞って部屋に散乱する。大五郎は鍋に入り込もうとする小豆の一粒一粒を菜箸で摘んで払い除けていた。

 コタツにぬくぬくなりながら、ヨシノリくんは能天気に語る。


「うん……僕んちのお父さんとお母さんはね、由緒ある陰陽師なんだって。言ってなかったっけ?」 

「き、聞いとらんぞそんな事、本当なのかヨシノリ!」

「うん! ……よくわからないけど、僕に稀代の陰陽師の才覚があるからって、わざわざ魔界で育てるんだって……意味わかんないよね、僕なんてな~んにも出来なくって、みんなにイジメられてるのにさ」


 けらけらと笑うヨシノリくんであるが、周囲の者の反応はそうでは無かった。枕返しなんか指をくわえて泡を吹きそうになっているし、河童はあんぐりと開けた口を閉じられないどいて、小豆洗いは自分の撒いた小豆を踏んですってんころりと転んでいた。


「でもきっとそれはお父さんとお母さんの思い過ごしだって僕は思うんだ。だって僕、そんな力これっぽっちも無いし、ただの弱い人間だよ〜。一応御札の使い方は教えられたんだけど、妖力が無いからてんで効果を発揮出来なくて駄目駄目なんだ〜」


 ヨシノリくんが懐から難しい漢字の書かれた札を取り出すと、ポンは潜在意識に刷り込まれた恐怖に頭を抱え込んだ。


「わかりましたか? どんなに弱い者にも秀でた所が。どんなに強い者にも劣る所がある事を」  


 ヨドミにネギを食べるようにと無言のプレッシャーを掛けてくる大五郎。……というか、彼らがてんやわんやとやってるうちに、それぞれの椀の中には大五郎に見抜かれた苦手な食材が山盛りよそわれていた。


「しかし忘れないで下さいの強さなど、互いを補い合うの団結の前には遠く及びません。あやかしは、とは、かくして強くあるべきであるのです」


 ジジイの鋭い視線にハッと気付いた彼らは、それぞれの椀を右隣の者へと送りあった。するとどうだろう……ヨドミの前には油揚げが、ポンの前にはネギが、ヨシノリくんの前にはモヤシ、河童の前には豆腐、小豆洗いにはしいたけが、枕返しの前にはしらたきが……それぞれの好物が並んでいるでは無いか。


 ――その時、その瞬間……その場に集いし『狐組』の視線が折り重なる。


「良いかおぬしら……儂は決めたぞ」


 まず始めに声を上げたのは、やはりヨドミであった。余りに鬼気迫る彼女の表情に、彼らはゴクリと生唾を飲んで耳を立てた。


「これより一月後、十二月三十一日に黒縄小学校にて催される一大イベント【番付決定会】にて、儂ら『狐組』の六名は、『さとり組』へ“”を言い渡す!!」


 今日一番に驚いた豆狸が、ヒィヒィ言いながら喉を掻きむしった。


「たた、確かに一年の締め括りに行われる番付決定会では下級妖怪が番付上位のあやかしに“待った”を掛ける事が認められとる!! ほ、ほんでもぉっ」


 ポンに続いて、河童がのたうち回りながら言った。


「一見すると日照りに雨みたいな上手い話しやが、それは大間違いだッパ!! 黒縄小学三百年の歴史で、過去一度も下剋上が達成されたことは無いんやで!!」

「ジャかぁあ正気かヨドミ!! 番付決定会で待ったを掛けて敗れたあやかしは、小学校を卒業しても、死ぬ迄“落伍者”のレッテルを貼られて生き続けなければいけなくなるシャカ!! 勝てば相手の権力をそっくりそのまま頂けるという代償に、勿論それ相応のリスクを負う事になると分かってるジャラ!?」

「…………ボ!!」

「当然タイマンはなんて旨味の無い話しを向こうは受けてくれないシャキ! つまりこのままの六人で『覚組』ほぼ全校生徒を相手取る事になるんだって、枕返しも言ってるショキ!!」

「えへへ、ヨドミちゃんが僕の人数も数えて『狐組』だって言ってくれたよ、嬉しいなぁ……僕もヨドミちゃんの為に一生懸命頑張るからね!」


 妖怪として二度とは浮上出来ない程のリスクを負う事になる“待った”。

 しかし非難轟々とした声を勝ち気な顔で受け止めたヨドミは、胸をドンと叩き、白い犬歯を見せて……のだった。


「カビが生えるかの様な湿った日陰で生き続ける位ならば、儂にその命、預けるが良い」


 一度落ちかけ、再び浮上し始めたその乱気流。噴き上げられるその間欠泉の予測は、百戦錬磨の大五郎の慧眼けいがんにさえ映り込まない。

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